第24話 克服
パチパチと、焚き火の爆ぜる音を聞きながら、枝に刺しただけの魚が焼ける匂いを嗅ぐ。
少し離れた、ミルとクルが用意した石積みの竈の方では、深底のフライパンのような鍋で、僕の釣果が料理にされていた。僕の前にある焚き火で焼かれているのは、僕用に一匹だけ取り分けた、ギマっぽい魚だ。それを串刺しにして、遠火で焼いているのである。
塩を振っただけの、豪快というにも大雑把な料理だが、そのプリミティブな光景は、どこか本能を刺激する喜びを伴っているように思える。
「大丈夫ですか?」
そんな僕に、心配そうなグラが声をかけてくる。
僕としては、ひとまずはこれで、様々な葛藤にケリがつくだろうと考えている。もしもダメなら、そのときこそ本当に、重篤な摂食障害を患っているのだと考え、本気で【尸刑】のお世話にならねばならない。
なので僕は、努めて気楽に彼女に頷く。
「大丈夫。もしもダメでも、次善の策はあるから」
次善というよりは、窮余の策という感じだが……。まぁ、八方塞がりよりはマシだ。心配なのは、【尸刑】を使うと確実に理性が利かなくなるので、解いてもらう為にグラの手を借りねばならないところか。死んでいった冒険者たちの姿を思い起こすと、流石に自分のそんな姿を彼女に見せるのは、気がひけるんだけどね……。
「そろそろいいかな?」
僕は串刺しの魚を手に取る。未だジュウジュウと鳴っている脂に、美味しそうな匂い。思わず唾液が漏れるが、ここまではいつも通り。
問題はこの先だ。僕はギマっぽいそいつに、躊躇せずガブリと食い付いた。
――美味しい……。
本当に久しぶりな、動物の脂の味。サッパリとしていて、ホロホロと崩れる白身の肉。シンプルな塩味に、香ばしい焼き魚の香りが混じって、本当に、涙が出る程美味しい。
フラッシュバックはない。思い出すのは、この魚がかかったときの手応えと、その後のやり取り、釣り上げたときの喜び。そう、この魚は僕が釣ったのだ。僕の獲物だ。
だからこそ、喜びと感謝でもって食す。
そこに余人を交えるなど、ましてそのせいでこの命を粗末に扱うなど、僕の好きな釣りという行為そのものに対する冒涜だ。なんて言うと説教臭くなるから言葉を変える。
僕らは命のやり取りをしている。この魚が死ぬ事で、僕が生きる。魚だけに限らない。獣も、鳥も、野菜も、果物も、穀物も、僕らの生の糧として、その命を奪っている。ああ、人間とはなんと罪深いのだろうと思ったところで、いまの僕はその人間ですらない。
だが、こういうときにどうしても考えてしまうのは、自分たちが死んだらどうなるのか、だ。
当然、僕らが死ねば、いまのバスガルがそうされているように、人間たちによって解体され、なんらかの用途に使われるのだろう。それはある意味、僕がこうして魚を食べているのと同様、他者の生の糧として、僕らの命が消費されているという事であり、自然の摂理にも思える。
だがいやだ。
僕はグラの骸をそのように辱められたくないし、僕自身もできる事なら死んだあとくらいは、安らかに眠らせて欲しい。流石に後者は高望みだろうが、僕らは二心同体。僕の死骸はグラの遺体だ。
ならば当然、グラの尊厳を守るというエゴの為に、自分の尊厳もまた守らねばならない。
ではどうする?
僕らは命のやり取りをしている。この魚の命を奪い、僕は生きる。では、この魚はなにかを得たのか? 否である。この命のやり取りは、必ずしも等価交換ではない。
僕は一方的に、この魚を殺し、そして食らった。牛も、豚も、鳥も、野菜も、果物も、穀物も、僕は彼らになに一つ与えず、搾取している。
人間に対しても同じ事だ。奪われるのが嫌であるなら、奪い続けなければならない。僕はもう人間ではないし、人間の敵対種族なのだ。人間に殺されるわけにはいかず、人間を殺し続けなければ、食らわなければ、僕らは死ぬ。
そんな事は、生まれ変わったその日にわかっていた事ではある。だが、どうしてもそれを現実として消化できていなかった。いや、きっといまもまだ、完全に消化はできていない。
それは、針生紹運がショーン・ハリューである以上、仕方のない事だ。僕は化け物だが、同時に人間でもあったのだ。その事実を否定すればする程、認知は歪む。特に、食に対する認知と信念が歪む。
魚卵が嫌いだった僕が、親父が獲ってきたきた大量の魚に大喜びをする。その違いはなんだ? 命の量? 殺害の感触? 成魚と卵の違い? 否だ。
改めて考える。僕がなぜ、あの冒険者たちを食せなかったのか。
いまならわかる。それは、僕が彼らを殺す理由が、僕らの権利を侵害してくる敵であったからだ。いってしまえば、相手に『悪』というレッテルを貼って、殺人というものを正当防衛という形に落とし込んでいたのだ。
だが、普通は正当防衛で殺した相手を、食べたりはしない。少なくとも、現代日本人の感覚としては、それは異常な行動だ。
相手が『敵』であり『悪人』であったから、僕は相手を殺せていたのであって、『獲物』としても『糧』としても見ていなかった。だから、グラが連中を食している光景を目の当たりにして、己が心の中に立てていた薄っぺな建前が、簡単に崩壊してしまい、人間としての食事すらままならなくなったのだ。
「ふぅ……」
僕は魚を食べ終わった。きれいに骨と頭と尻尾だけになったそれを見て、改めて思う。
これは踏襲なのだ。魚卵が嫌いだった僕が、それを克服して、あまり好きではないながらも食べられるようになったように、人間を食すという行為を、そのまま食事という形で受け入れなければならない。それだけではない。殺人に対しても、いま一度見つめ直す必要があるだろう。
釣りをするように、スポーツをするように、狩りを楽しむように、いつかは普通の行為として、人を殺せるようにならねばならない。正当な理由などなくとも、己の糧として殺せるように、心構えを持たなければならない。
そう、僕はもう化け物なのだから。ダンジョンコアという、モンスターに転生したのだから。
「大丈夫ですか?」
再度問うてきたグラに、僕は今度こそ本心から微笑んで答える。
「うん、もう大丈夫」
結局のところ、この程度のものだ。鉛を呑むような思いで飲み下せば、嚥下できない事ではない。生まれてこの方繰り返してきた呪文を唱え、僕はグラに笑いかける。
死なない為に殺し、生きる為に食らう。
こうして僕は、拒食症紛いの体調不良を克服し、そしてまた一歩、化け物の道を進んだのだった。
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