第23話 趣味と食べ物
〈3〉
ヴェルヴェルデ大公からの使いとの面会から数日。ようやく面会予約を消化し、バカンスらしい時間が取れるようになった。とはいえ、今日も午後から家探しに動かねばならないが……。
「ふふん♪」
だがそれでも、僕はいま、実に気分が良かった。足取りは軽く、ついつい鼻歌なんぞを口遊んでしまう程だ。隣にはグラが、背後には使用人のミルとクルがいるが、彼女たちの呆れ顔にすら頓着する余裕はない。
天気は快晴、風は穏やかで波も低い。絶好の空模様というわけではないが、それでもやはり、生まれ変わってから初めての釣りともなれば自然と気分は上々だ。
「そんなに楽しいものなのですか?」
「楽しいかと聞かれると悩みどころだ」
グラが呆れつつ問うてくるのに、僕はなおも口元を緩めながら応える。
そりゃあ大物を釣り上げたときには楽しいけど、僕はどちらかというと釣り糸を垂らして海を眺めている時間の方が好きな気もする。釣果よりも、釣りという行為そのものが好きなのだ。
「良くわかりませんね……」
「良くわからないものなのさ、人間ってヤツは」
それらしい事を嘯くも、小学生のようなこの姿ではちっとも締まらない。でもまぁ、父が漁師である僕が思うに、効率を重視するなら、釣り竿なんか使わずに網を放つ方がいいに決まっている。勿論これは極論だが、スーパーに行けば数百円で捌かれたあとの魚が手に入る状況でなお、釣り竿担いで海に赴く人間がいるのには、成果以外のなにかを求めての事だと、僕は思う。
などといえばちょっとは賢しらに見えるかも知れないが、結局のところ狐狩りのような、スポーツ感覚で生き物を狩って楽しんでいるだけなのかも知れない。前世、それで死んだというのに、懲りずにこうして釣りに思いを馳せている僕は、やはり釣りという行為を、漁以外のなにかと捉えているのだろう。
「こんな事で、あなたの摂食障害が治るのですか?」
「まぁ、たぶんね。というか、摂食障害とか言われると大袈裟に聞こえるな」
僕の認識としては、僕が生臭を食せなくなったのは、単純に針生紹運とショーン・ハリューとの齟齬が顕在化したというだけだ。二つの存在を擦り合わせていく過程で、起こるべくして起こったインシデントであり、取り返しの付かないような事態ではないと考えている。
港に赴き、漁師の人に釣りをしていい場所を聞き、その場所に辿り着くまでに三、四〇分。磯というよりも岩場といった方が近い、ゴツゴツとした岩石海岸。
磯臭い匂いにグラと使用人二人もちょっと顔を顰めているが、僕としてはむしろ、この匂いこそが胸を沸き立たせる。
右手に提げたタックルボックスには、この日の為に自作したロッドやリール、針やウキなんかが入っている。ちなみに、本日の僕らの格好は、使用人も含めて動きやすいものにして、ライフジャケットもどきも着込んでいる。やはり、前世の死因を思えば、その辺りに手抜かりをする気にはなれない。
流石にナイロンテグスは作れなかったが、カーボンのそこそこ強力な糸は作れた。まぁ、個人的にはもう少し細くしたかったのだが、僕の製作精度ではこの程度が限界だった。
流石にこの件でグラを頼るのも憚られたので、道具はすべて自作である。釣りは好きだったが、流石にリールの構造には詳しくなく、これの作成にはかなり四苦八苦した。
ミルに日傘を差されて立っているグラを背後に、僕はウキウキとタックルの準備をする。サビキ用の仕掛けも作ったが、ここでは餌を売っている店などない。餌釣り用の虫を適当に探すかとも考えたが、ここは自作したルアーを使いたい気持ちを優先しよう。
まぁ、ルアーといっても鉛製のスプーンだが。
「よしっ!」
諸々の準備を終えて、僕は海に向かって気勢を張る。ルアーフィッシングにはそこまで造詣は深くもないが、やった事がないわけでもない。ただし今日はグラや使用人たちもいる。もしもダメなら、すぐに餌釣りに切り替えよう。
釣果にはこだわらないとはいっても、流石にボウズでは格好が付かない。
などという心配は、幸いな事に杞憂だった。スプーンだけでも釣果は
どうやらスレていない魚たちは、面白いようにスプーンに騙されてくれる。まぁ、そもそも疑似餌で魚を釣ろうとする人間が、この辺りにはいないのだろう。
六匹釣り上げたところで、ゴカイやイソメを探して餌釣りに切り替えた。やっぱり僕は、忙しくロッドを動かしてリールを巻くより、海に糸を垂らしてのんびりする方が性に合っている。
――と思ったのだが、またすぐにアタリがくる。どうやら本当に、この辺りの魚はスレてないらしい。まぁ、船を入れるのも網を放つのも難しい場所だしね。
それに加え、みんな趣味で魚釣りができる程、暇ではないのだろう。漁業で生計を立てるなら、やはりどう考えても竿より網を使うべきだし、ある程度岸から離れた場所でやる。釣りは精々、子供が遊びでやるか、ある程度生活に余裕のある人間の趣味扱いなのかも知れない。
結果、この岩場はいいスポットになっているわけだ。これからも、ちょくちょく来よう。
そんな事を考えて、僕はタックルを仕舞いにかかる。そろそろいい頃合いだ。午後からの家探しもあるし、成果としても上々だ。
こちらの様子を確認したミルとクルが、用意していた石積みの竈で火の準備を始めている。
さぁ、いよいよ本題である、実食である。
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