第22話 ヴェルヴェルデ大公
●○●
「ふぅむ……」
私の挙げた報告に陛下が呻吟する。
「オタカルよ」
低く、優し気な声音が降ってくる。その事が、いまはとても恐ろしい。
「は」
「余は、貴様の家臣の人柄や仕事にまでは口を出さぬ。貴様の家臣は余の家臣ではなく、貴様の家臣なのだからな」
「は」
「されど、このままでは彼の者、余らの思惑から外れよう」
「まったくもって、慙愧の念に堪えませぬ。この不始末、どうぞこの首でお許しください。その後の事は、倅と家人に引き継ぎ、彼の者もまた必ずや断罪いたします。陛下の歩まれる王道の蹉跌となるくらいならばこの命、自ら路傍に擲つ所存にございますれば」
私は本心から言い募る。跪いていた姿勢から、平伏して大理石の床に額を擦り付け、自裁の許可を乞う。だがしかし、陛下は面倒臭そうに片手を振って、それを制止する。
どうやら生き恥を晒してでも、まだ忠節を尽くす事をお許しくださるらしい。
「良い。このような些事で貴様を失うては、それこそ阿呆らしい。されど、軽挙は控えよ。ドゥーラやラクラの連中につけ入られるような愚だけは犯すな」
「は。誠に汗顔の至りにございます」
私は床に額を擦り付けつつ、姉弟の元に送った使者である家臣を心中で罵る。これまでの仕事において、彼の者はそれなりに優秀だった。貴族や、ボゥルタン王家にすら遣わしても問題ない、礼法と教養を有する家臣だったのだが、よもや平民相手ではここまで拙いとは……。我々の目的を知っていてなお、相手を軽んじて交渉するなど愚の骨頂だ。
その人脈と礼儀作法という技能は多少惜しくはあるが、ここで切らねば陛下からの疑念を招こう。
「しかし、ガラスか……」
陛下が思案するように呟かれる。ハリュー姉弟のガラス作品にご興味をお持ちなのだろうか? たしかに、彼の姉弟の姉は、なかなかの属性術師らしい。仕上がってくるであろうものは、それなりに期待が持てよう。
まぁ、使者のあの男の態度に臍を曲げて、職人が手を抜いていなければの話だが……。
「オタカルよ。姉弟の申す、最高品質のガラス工芸については、なにかわからぬか?」
「申し訳ございません。残念ながら、こちらで掴んでいる情報に、特筆するようなものはございません」
「ふむ。左様か……」
なおも黙考する陛下。どうやら相当に、気掛かりがおありのようだ。
「オタカル。実は年始のパーティに、王宮にてなにやらお披露目があるらしい」
「お披露目でございますか?」
はて、なんの話だろうか?
「なんでも、それはガラスの器だそうだ。流石にそれ以上の情報はないが、一時期王宮で転移術師のスケジュール管理を発端にした、ちょっとした騒動が起きていた。いま思えばそれは、件の器の移送にまつわる予定調整だったようだの」
なるほど。転移術師は国家の流通における要。それを急に変更すれば、どうしたって周囲に影響が生じる。陛下はそれにお気付きになり、独自にお調べになられていたのだろう。流石に、貴族の情報収集において、いち家臣に過ぎぬ私の出る幕などない。その情報は知らなかった。
「しかし妙な話でございます」
「うむ。ただの器を見せびらかす為に、年始の席は使うまい」
そうだ。そのガラスの器がどれだけ出来のいい代物であろうと、それを披露する為に、年に一度のパーティというのは大仰すぎる。そういうものは、まずは身内の間でお披露目し、段々と周囲にその評判を広めていくのがセオリーではないか。国内の主だった貴族が集まる年始のパーティで、いきなり披露するというのは順番が逆だ。
「王宮側は、余程にその器に自信があるのでしょう」
「そうでなくば、恥をかくだけよ」
わざわざ、根回しもせずに国内の貴族にお披露目するのだ。これで凡庸な品など披露してしまえば、いかに王宮といえど嘲笑を浴びる。いや、そういう流れに持っていきたい者にとっては、実際の品の良し悪しなど関係なく『出来の悪いもの』として、周囲の連中も巻き込み、そういう空気を作る。だからこそ、本来は少しずつその品の前評判を高めておき、不当な酷評ができないような下地を醸成しておくのだ。
だがそれをしないというのだから、そこに王宮側の絶対の自信が窺える。この器であれば、必ず貴族たちの肥えた目すら瞠目させられる、という思いが。
「気にならぬか?」
陛下のご下問に、しかし答えられない。その意図するところが、この私をもってしても思い至れなかった。
「――急遽入れ替えられた転移術師の予定。王宮側の自信。そしてその品だ」
「はて。どこぞで、大帝国時代のガラスの器でも出土したのではと、私のような愚かな者は考えてしまいます。あるいは、アジッサ・バウデルの三宝が内、一つが見付かったのやも程度の憶測しか……。陛下はなにかお気付きになられたのでしょうか?」
「では、これも付け加えようぞ。砦一つ分の金貨を要する――ガラスの酒杯、だ」
「ああっ!?」
思わず面を上げて、許可も得ずに陛下を直接仰いでしまう。
なんたる不覚。そうだ。そもそもいまは、彼の姉弟について話していたのだ。そこで陛下がなにかをご思案なさっていたのだから、当然姉弟といまの話はつながっていると考えるべきだったのだ。
「よもや陛下は、その新年のパーティにおけるお披露目の品は、ハリュー姉弟の作である、と?」
「わからぬ。だが、あり得ぬ話ではあるまい? 確証はないがの、転移術師の移動先は、どうも王冠領方面のようだ。そして、転移術師の予定調整とときを同じくして、ゲラッシ伯爵家も多少慌ただしく動いていた節もある」
「なんと……っ」
それはまた、話の信憑性が高まる情報だ。だとすれば、姉弟の頑とした態度と、強気というにも法外な値段設定にも頷ける。そしてそれらの一切が真実であるならば、つくづくゲラッシ伯爵領においておくには惜しい人材だ。
なんとしても、陛下が手元に置いておきたいとおっしゃられるのも、むべなるかなである。
「…………」
陛下は暫時沈思黙考する。状況を鳥瞰してみれば、我らの立ち位置はあまり面白くはない。ハリュー姉弟との関係を良好なものにする為にも、やはり件の使者は目に見える形で罰を与えねばなるまい。
「オタカル・ネーメトよ」
「は」
「……スタンク・チューバを呼び寄せよ」
「は? い、いえ、了解でございますが、しかしどうしていま、チューバなどを?」
スタンク・チューバ。元は四級冒険者だったのだが、その素行の悪さから三級より上にあがる事が叶わず、やがて依頼中に依頼主と諍いを起こして相手を殺してしまう。冒険者資格の剥奪どころか、冒険者ギルドから懸賞金付きで追い回されるようになった、文字通りの札付きの男だ。
だが、実力だけはたしかで、実際の戦闘能力のみを評価すると掲げているギルドも、渋々上級冒険者資格を与えた程の男だ。その戦闘能力だけは、間違いなく三級に届く。
当家はそういった、ワケありの食客も多く匿っている。理由は単純明快で、その戦闘能力をヴェルヴェルデ王国再興と国土の奪還における戦力とする為である。
それをここで呼び出すというのは、ハリュー姉弟を暗殺でもするつもりだろうか?
「彼の姉弟。我らに対して必ずしも好意的ではなかろう」
「それは……」
素直に答えるなら頷く他ないご下問に、黙る事しかできない。改めて、自らの不手際を恥じ入る。陛下は淡々とお続けになった。
「問題は、我らの掌中からこぼれたのち、彼の姉弟がドゥーラやラクラのものとなる危惧だ。その場合、彼奴等に国宝級のガラス工芸を作れる職人が渡る事となる。それはいささか拙かろう?」
「は……」
つまり、敵の手に渡るくらいなら彼の姉弟、チューバに始末させよという、内密のご指示だ。たしかに、妖精金貨一万枚の製品を作れる職人が、彼の選帝侯らの手元におかれれば、それは実に厄介だ。それが本当に、国宝級の代物であるのなら、欲する人間や国は枚挙にいとまがないだろう。
少なくとも、彼の姉弟が与した側は、軍資金面での負担が劇的に軽減される可能性がある。加えて、姉のグラの【魔術】の多才さに、弟の異質な幻術だ。陛下のおっしゃられる通り、敵にだけは渡したくない姉弟である。
――そう、敵に回したくないからこそ、味方にならぬのなら消すしかない。
陛下はそうご判断を下されたのだ。そう考えると、その金貨一万枚の酒杯の情報、他の選帝侯家に先んじて情報を得られたのは大きい。あの愚か者も、一応は役に立ったわけだ。勿論、狙っての事ではあるまいが。
「……了解いたしました」
私は、陛下の冷静沈着なご判断に敬服しつつ、了承の意を示す。だが陛下の深謀遠慮は、その程度には納まらない。
「彼の使者にスタンク・チューバのお守を任せれば、罰としては十分であろう。其方が余に忠節を尽くす者であるのなら、その者もまた余の為に働く者ぞ。徒に処するは、蛸が己の足を食らうが如き愚行よ。余はこれから先も、様々な事に手を出さねばならぬ。忠義の配下が目減りしていては、身動きが取れなくなってしまうからの」
「は。しかしながら、組織の秩序というものが……」
「故にこその罰である」
ああ、なんと慈悲深いのだろう。私だけでなく、使者を任せた男にすらご寛恕をお与えになられるとは……っ。私は感銘から、言葉に詰まって再び頭を下げる。
冒険者ギルドでも手に余るような札付きを相手にすれば、さしもの頭でっかちですら、自らの振る舞いを反省するだろう。もし陛下のご宥恕を得てなお反省もしないようであれば、それこそ生きている価値などない。私が手ずから縊り殺してくれよう。
私は、陛下の御言葉のままにすべく、応諾した。
「御意……っ」
「うむ。期待しておるぞ」
お優しすぎる……ッ。このような無能に、そのようなお優しい言葉など、過分にすぎる。罵り、次はないと脅すべきなのだ。配下が同じような真似をすれば、私はそうする。
陛下の寛大な懐に感服しつつ、私はひたすらに頭を下げた。嗚咽を抑えるので精いっぱいだったのだ。
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