第82話 急転直下
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各ナベニ共和圏の
ナベニポリスから見て北方、パティパティア山脈に面した
評議会は一時
「馬鹿な! タクティ山はオーマシラ連峰に属す天嶮だぞ!? わざわざそこを越えてきたとでもいうのか!?」
「いくらなんでも、それはおかしい。以前のようにディティテイル連峰方面ならば、南パティパティア山系では比較的なだらかであるが故に、越える事は不可能ではない! だが、いくらなんでもオーマシラ方面を越山するのは、リスクとリターンが見合うはずがない!」
「然り! ディティテイル方面の越山ですら、帝国は少なくない犠牲を払ったという。それがオーマシラだと? 全滅している方が自然だ!」
以前の、帝国によるナベニ共和国侵攻は、まさしくディティテイル連峰のロータ山からのものだった。あくまで他の方面に比べれば、比較的というだけだが、なだらかで山越えもできるルートだ。
当然、帝国の侵攻ルートがわからなかった今回も、そちらには最大級の警戒を向けていた。
しかし、よもやオーマシラ方面とは……。こちらの意表を突くにしても、リスクが高すぎると思うのだが……。
「だが、砦を築いているというのであれば、見間違いなどという事はまずあるまい!」
「それが帝国の砦だと判断できる理由は? 大規模な山賊である可能性の方が高いのではないか!?」
紛糾する議会は取り留めをなくし、皆銘々にただ思った事を口にしている。私は努めて、耳から入ってくる情報をシャットアウトし、最悪の事態について考え、対策を練る。
まず、情報の信憑性に関しては、この際考えなくていい。なにかの間違いであれば、それに越した事はないのだから。
だが、それがもし本当の事であれば……? どうやって……?
いや、その方法もこの際どうでもいい。あるというのだから、あるのだろう。問題は、既にベルトルッチ平野内に入り込んでいる、帝国軍にどう対処するかだ。帝国内の全軍を、南側に集結させたとは思えない。パーリィやクロージエン、ゼーレーヴェ海の向こうのグレート・アイルが、もぬけの殻となった帝国領を放っておくはずがない。
恐らく、帝国がベルトルッチに差し向けられる軍勢は十万前後。もしも山越えをしたのであれば、この内三割が脱落していてもおかしくはない。いや、我々としては五割でも七割でも、できるだけ帝国戦力が減っている方が望ましい。誰かも言っていた通り、もしも本当にオーマシラ連峰を越えてきたというのなら、それはあり得ぬ事態とはいえぬ。
だが、楽観などできようはずがない。帝国に十分な人的余裕があるからこそ、彼らはタクティ山に砦など築いているのだろう。建設に要す人員的にも、そこに収容予定の人員的にも、帝国には余裕があると見るべきだ。
それに対して、我々ナベニポリス軍が現在集めている戦力は、六万と少し。これからも増える予定ではあるのだが、それでも総勢は十万に届くかどうか……。人質を取ってすら、我々にはこれが限界なのだ。
以前の防衛戦では、ディティテイルという猛威に削られた帝国軍六万に対して、共和国側も六万程度の軍勢は用意できたものの、足並みが揃わず散発的な戦闘を繰り返す悪手を取った。結果、手もなく敗北してしまったのだ。今回も、その二の舞を踏むわけにはいかない。
今回の戦は……、向こうに脱落者がいれば、数的には優勢とみるべきだろう。だが、我らが強引に物事を推し進めているせいで、我が軍の連携は拙く、脆い。その点は、前回の共和国軍と同じである。
そこに此度のマフリースからの情報だ。それが、どれだけの影響を与えるか……。
――時間は、毒だな。
バン、と机を両手で叩き、立ち上がる。その瞬間、議場は静まり返り、私に注目が集まる。
「――決戦の地を、ウォロコ町とする。諸君、いますぐ総力をウォロコに集めて欲しい」
私が、決定事項のように話を進めると、幾人かの議員が慌てて言い募る。
「ちょっと待って欲しい、ピエトロ殿! それでは、我らの
「マフリースもどうするのだ!? まさか、彼らに故郷を捨てろとは言えぬ!」
この議場には、既にナベニポリスに入っている指揮官たちも参加している。彼らの意見を無下にするわけにはいかないが、それ以上にいまはナベニ共和圏全体が優先なのだ。
案の定、他の
「黙れ! それではいますぐ、全軍をマフリースに向けろと言うのか? 無理に決まっておろう!」
「では、本当に見捨てると!? それで他の
「戦力を小出しにして、以前のような散発的な戦闘を繰り返しても、同じ轍を踏むだけぞ! であるならば、できるだけ戦力を結集して、一気にぶつけねば勝てるものも勝てまい!!」
「であらばこそ、いますぐマフリースに戦力を差し向け、態勢の整わぬ帝国軍の砦とやらを潰してしまえば良かろう!! 恐らくは、この山越えの策こそが、此度帝国が我々に宣戦布告した最大の要因。なれば! その橋頭保を潰し、策の根本を瓦解させしめれば、我々の勝利は確実ぞ!!」
「いますぐマフリースに全軍を集められるならば、それでも良かろう。だが、確実に現在ナベニにおらぬ
「なんの為に人質を取っていると思っている!?」
「人質を手に掛けると!? それこそ悪手だ! 現在我が軍に加わっている連中すらそっぽを向くぞ! 人質は、無事に返すからこそ意味があるのだ!!」
「いまさら、さらなる悪名を背負う事を恐れてなんとする!?」
「それを言い訳に、どのような悪行にも手を染めるようでは、誰も付いてこぬと言っている!! いい加減落ち着かれよ!!」
またも紛糾する議場。しかし、流石に内容が剣呑になりすぎている。なにより、ここで人質に手を出すような真似は、悪手の上にも悪手だろう。そのような者を、味方として見る者はおるまい。時間という毒が回るのを早めるだけだ。
各々が思い思いに意見を呈するそこは、まるでテーブルの上を議題が踊っているようだが、残念ながら先に進む様子はない。私は懐から大銀貨を取り出すと、それをテーブルに置く。その様子に、幾人もの議員たちが注目し、ゆっくりと議場は静まり返っていく。
「……諸君」
そしておもむろに私が話し始めたとき、議場は再びの静寂に包まれた。
「当然存じているだろうが、ウォロコ町はこのウォロコ大銀貨を発行している、ナベニ共和圏でも、我々ナベニポリスに次ぐ一大
「「「…………」」」
「ここを落とされるわけにはいかぬし、個人的にこの状況でウォロコを背後に回して戦をしたくない。この気持ちはわかっていただけるだろうか……?」
言いにくい事を言い切った私に、ナベニの評議員たちからのいくつかの苦笑が向けられる。
ウォロコ町は、大きな銀山を有するが故にナベニ共和圏においても、ナベニポリスに次ぐ影響力を有している。彼らにとっても、我々ナベニポリスは目のうえのたん瘤だったはずだ。それが、この状況でどのように作用するかわからない。故にこそ、背後に回して戦場に立ちたくないというのは、我らの偽らざる本音だった。
実際、他のコムーネよりも近場にあるはずのウォロコの軍は、大軍の徴集に時間がかかっているという理由で、いまだに参陣を果たしていない。日和見の姿勢が透けて見え、最悪の場合に蟻の一穴になりかねない。
故にこそ、ウォロコを拠点とする事で彼らに睨みを利かせつつ、その兵力を十全に我が軍に活かしたい。また、単純に集結地点として、ナベニ共和圏の中心付近にあるウォロコは丁度いいというのもある。
勿論、理由はそれだけではない。ウォロコは、ナベニに次ぐ財力を有するが故に、大軍を受け入れられる規模の都市を有している。小さな町であるマフリースには、とてもではないが全軍が駐屯できる余裕はないだろう。そこを集結地にしても、万全の防御態勢を築くのは難事であるはずだ。
時間的余裕がないという意味でも厳しい。さらにいえば、敵軍の情報が少なすぎる。そのような場所に、ほいほいと全軍を差し向ける危うさは、門外漢の私にもわかる。
「私は政治家だ。あまり軍事には長けておらん。故にこそ、軍事に長けた議員らに聞きたい。もしもいますぐ、マフリースに軍を集結できたところで、敵軍は山中の砦に籠っているのだろう? では、その山間の砦を攻略する策を有する者はいるだろうか?」
「それは……――全軍を移動できるのであれば、可能ではありましょう」
評議員の一人が、私の言葉に対抗するように言い募る。彼は、たしかに以前は軍に属していた議員だが、だからといって軍事に長けているとは思えない。なぜなら――
「本当か? 山中という事は、大軍の優位も活かせず、騎兵の行動は制限され、勾配によっては、そもそも重騎兵は使い物にならぬぞ? 木々の状態如何によっては、弓兵すら使えぬかも知れぬ。そのような山城相手に、軍さえ揃えれば一気呵成に攻められると?」
「…………」
押し黙る彼の様子に、いかに兵は神速を尊び、拙速は巧遅に勝るといえど、やはり尚早は最良の策たり得ぬと覚る。
平原がいくらでもあるベルトルッチにおいて、山間での戦闘経験がある軍人はそう多くない。木々に動きが制限される戦においては、重騎兵戦術を主眼とする軍では、ろくに戦えないはずなのだ。
なにより、短時間で兵をそろえてマフリースに送るという事自体が、あまり現実性のない仮定なのだ。無理を押して為したところで、そのような展望のない状況で、成果が見込めるとは思えない。
結局は、先の戦と同じ散発的な戦闘にしかなるまい。この状況で、緒戦の敗北が伝われば、毒は急速に回り、我が軍は瓦解する。
まったく、時間はかければかけるだけ体を蝕む毒だというのに、それが足りないというのがなんとも皮肉な事だ……。思わず苦笑が漏れる。
やはり、決戦の地を定め、そこに総力を結集させるのが最良だ。
私は、表情を引き締めて、いま一度全員に宣言する。これは、決定事項だ。
「ウォロコに軍を集結させ、そこで行う一戦にて、一気にこの戦の趨勢を決する。それができなくば、我らは――勝てぬ」
またも、皆が口にできなかった台詞を口にする。帝国軍がベルトルッチ平野に現れた時点で、多くの者が予見していた未来。そもそも、我らと帝国とでは、国力の土台が違うのだ。
肥沃な大地で育まれた膨大な兵力と、元遊牧民が主体の優秀な騎兵戦力。我らと帝国が、真正面からぶつかり合えば、まず間違いなく勝利は向こうのものだ。ただでさえ、以前に一度敗北しているのだ。その実力は、嫌という程理解している。
であらばこそ、我らは出せる限りの戦力を一纏めにし、立てられる限りの策を立て、その中から最良を選び、帝国にぶつけなければならない。そうでなくば、勝てないのだ。
我らの悪行に、意味があったのだと証明する為にも、ここでまごついている余裕はない。
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