第83話 窮余の策と竜甲女

 ●○●


「パーチェ殿、マフリース及びそこからウォロコまでの途上にある自治共同体コムーネの軍が離反したぞ」

「そうか。マレトリア殿、手間をかけて悪いが、早急に人質を処刑後、彼らはもはや我が軍ではなく、裏切り者であると通達しておいて欲しい。いずれ、討伐軍を編成する、とな。ああ、準備はしなくても結構。その代わりといってはなんだが、できるだけ彼らの悪評を流布しておいてくれまいか?」

「悪評?」

「そうだ。彼らは、自らの事しか考えておらず、足並みをそろえて帝国に抗しなければならぬときに、己の利にのみ拘泥し、離反した。自己中心的で、我々ナベニ共和圏全体の平和を脅かすような、軽率で無思慮な連中だと。兵、将、官問わずに広めておいて欲しい。ナベニ共和圏という呼称は、気にする者もいるから、場合によっては使わなくてもいい」

「わかった。いずれ、彼らが帝国軍に蹴散らされた際の、士気の低下を最小限に止められるよう、できるだけ悪役として語るとしよう」

「お願いする」


 こちらの意図を十全に理解したサビーノの返答に、苦笑しつつそう返すと、私は手元の資料に目を落とした。

 現在、ナベニポリスに集積してある物資に関しては問題ない。だが、これをウォロコまで移動させるのは、量を思えばなかなかに手間だ。部隊を付けた輜重隊を編成して、順次ウォロコまで送り出さねばならないのだが、我がポリスは海にばかり目を向けすぎたせいで、海軍戦力はなかなかのものなのだが、陸軍が弱い。戦力的な意味でも、士官等の質的な意味でも。

 はぁ……。戦というものは、なんと不合理なのだろうか。物資を動かすだけでもこれだけ手間がかかり、それが利になるわけでもない。労力と浪費を考えれば、戦う前から目を覆いたくなる程の非生産的な活動だ。


「足止めは、マフリースらの軍が立派に務めてくれよう。その間に、我らはできる限りの準備を整えられる。彼らの犠牲には、感謝せねばな……」


 帝国軍が各自治共同体コムーネを受け入れるという可能性もなくはないだろうが、向こうからすれば向背定かならぬ者に、軽々しく背は預けられまい。一度、ナベニ共和圏の自治共同体コムーネに手酷く裏切られている帝国が、念願の海を得られる機会に、そのような隙を見せるはずがない。

 さっさと潰して、自国の軍人をおいてしまった方が安全確実だ。もしも隙を見せてくれるのならば、そこに付け入る事もできようが……。


「やはり北部の自治共同体コムーネの離反は、想定の内か……」


 いまだ部屋にとどまっていたサビーノが、感情の窺えない淡々とした口調で述べる。私もまた、その言葉に無表情のまま頷いた。


「我が軍には、一度の敗北も許されない。しかし、帝国の軍をすんなりとベルトルッチ平野に入れては、こちらの時間があまりにも足りない。捨て石は必須だった」

「だから、離反という形で我が軍とは切り離した軍勢を、帝国軍への布石として打ったというわけか。彼らが敗北しても、我が軍の敗北ではないと?」

「少なくとも、帝国戦を前に共和圏内の自治共同体コムーネ同士で争う可能性を危惧していた者らからすれば、朗報以外のなにものでもあるまい。彼らに敵意や不満を抱いていた者も、留飲を下げる。それが、甘い毒であるという事には気付かずにな……」


 そこでようやく、サビーノは呆れらしい感情を滲ませて、嘆息する。


「あえて敵を作る事で、軍団を纏めるか……」

「毒を以て毒を制すようなやり方であるというのは、重々承知のうえさ」


 我々ベルトルッチは、あまりにも独立独歩を重視し過ぎた。これまでの時代は、それでも良かった。だが、各領邦を強く統制し、一纏めにする国が出てくるであろうこれからの時代には、封建国家ですらない、都市単位の自治共同体コムーネが好き勝手に統治し、緊急時に際して合従連衡するようなやり方では、もはや国土を守れんのだ。

 いまのベルトルッチ平野の自治共同体コムーネらは、一つの軍集団として行動するには、それぞれの我が強く、蟠りを抱えすぎている。以前の帝国侵攻に由来する不和だけではない。長年、この土地で醸成された不和の種は、易々と解消できるようなものではない。

 前任者たちは、それを力でもって制し、時間をかけて解消を試みた。帝国の侵攻がなければ、十年、二〇年後には一つの国としてまとまる事はできたかも知れなかったが、結果はご存知の通りである。

 そのを以って、時間という毒の侵食を遅らせて、時間を稼ぐという荒療治。いや、荒療治というよりかは、先を見据えぬ姑息療法とでも言うべきか……。


「滑稽だと思うかね?」


 私の質問に、サビーノはただ無言で私を見返すのみだった。


「所詮こんなものは、我が軍が『緒戦で手もなく敗れる』という事実を糊塗するだけの、窮余の策だ。騙されてくれる者ばかりではあるまい」

「…………」

「だがそれでも、まとまりのない我が軍では、こうでもせねば帝国軍の到来を待たずして、士気の崩壊から軍が瓦解する」

「それは、諸君らが強引に物事を推し進めすぎた結果ではないかな? もしかすれば、以前の五大名家が健在であれば、再びナベニ共和国のような共同歩調を取れたかも知れぬ。少なくとも、帝国がエウドクシアの家督相続という大義名分を得る事もなかった」

「五大名家の一つ、マレトリア家の御当主としては、現状はご不満かな?」


 私がからかうように問うが、サビーノはにこりともせず、ただただ私の反応を待つように凝視してくる。その態度に嘆息してから、私はこう返す。


「たしかに、そうだった『かも知れぬ』。だが、そうでなかった『かも知れぬ』。いまより酷かった『かも知れぬ』。仮定を重ねて遊んでいられるような、余裕はない。なにより、君はいまより酷い『かも知れない』と思ったから、我らと共同歩調を取ったのではなかったのかね?」


 首を傾げる私に、サビーノは大きく頷いた。


「その通りだ。私が、あなたについたのは、以前の腐敗が顕著になったナベニの政治体制では、帝国軍に対処できないと確信したからだ。そういう意味では、あなたは良く帝国に対処していると思う。やや独断が過ぎるとも思うが、それは我々が寡頭制に慣れていないからだろう」

「ああ。まぁ、最悪のときは私を諸悪の根源として差し出し、同じ五大名家の出身として、ベアトリーチェに取りなしをお願いしてみるといい」

「なるほど。そこも織り込み済みか……」

「そうだ。一応注意しておくが、いかに寡頭制の政治体制とはいえ、完全な独裁などというものは、幻想だ。王だろうと皇帝だろうと、それを下支えしている者の意見を、完全に無視し得るものではない。それを考慮して議事録を振り返れば、私はかなり独裁的な振る舞いをしてきたはずだ。この点を論い、私の非道と自らの、元五大名家という立場を主張すれば、最悪でも、ポリス内の人命と個人の財産は、守られるだろう。君や君の家族の命、五大名家としての尊厳まで保障できないのは、本当に心苦しいがね」

「なるほど、了解した。検討しておこう」


 私の覚悟を知ってか、ようやく苦笑するように微笑んだサビーノに、私も苦笑する。実にぞっとしない話ではあるが、笑わずにはいられなかった。

 なにせ、それはかなりの高確率で訪れる未来なのだから。


「マレトリア殿には、ナベニの防衛を任せる。私は、軍を率いてウォロコに赴く」

「おや? あなたは軍人ではないのでは?」

「そのような贅沢も言っていられない。まったく、寡頭制というものは面倒臭いな。政治家と軍人を分けて考えられぬ。私には、否応なく総大将という役割が課されてしまう」

「なるほど、それはたしかに非合理的だ。とはいえ、無知蒙昧なる民どもにとっては、そういうわかりやすさこそが重要なのかも知れぬ」

「おお、実に五大名家らしい、選民的な発言ですな」

「フフ……。そうだな……」


 そう言って、私たちは最後に本心から笑い合った。

 帝国軍とぶつかったマフリース連合軍が、竜甲女ドラキュリアに敗れたという一報が入ったのは、それから六日後の事である。



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