第84話 悪手を打たれる懸念

 ●○●


「ピエトロ・パーチェめッ!! 文官紛いの青二才がッ!!」


 現ナベニポリスの元首ドージェの名を、唾と共に吐き捨てた吾輩の行為を咎め立てする者はいない。当然だろう。我らは等しく、彼奴に「故郷を見捨てろ」と命じられた者の集まりなのだ。

 そんな真似をして、もし仮に勝利したとしても、そのとき我らの帰る場所などない。それでは、戦う意味すらないではないか。帝国が苛烈な統治などせず、自治共同体コムーネがほぼ無傷で戻ってきたとしても、そのとき故郷を見捨てた我ら軍を、どうして自治共同体コムーネが受け入れてくれるだろうか。そもそも、我が軍の兵はその自治共同体コムーネの農民なのだぞ? どう考えても、そのような状況で、士気を維持できるわけがない。


「しかしデカント殿、これからどうするのです? ナベニポリスの元将が言っていたように、山中に分け入って、帝国軍の砦を攻撃するので?」

「いや、それはあの青二才ピエトロが言っておったように、悪手が過ぎる。攻城戦をするには、我らは数も装備も時間も、なにもかもが足りぬ。山間の砦という立地も、寡兵でもって多勢を相手にするには有利な立地であろう」


 大軍を展開しづらい山城は、平城に比べて即応性に劣るが、たしかに守るに易く、攻めるに難い。無論、攻略法がないわけではないのだが、それを模索していられる余裕はない。


「帝国軍は、如何にしてあのオーマシラ連峰を越えてきたというのでしょう……」

「さてな。気にはなるが、それはいま考えても詮ない事であろう。いまは、我らが如何にして彼奴らを打倒し、帝国に追い返すか。あるいは、殲滅するかよ。それができねば、我らは故郷を失うのだ」

「そう、ですね……」


 マフリースの隣、ジャケパーカの領主は気弱そうにそう頷いた。その気持ちは、吾輩にもわからぬでもない。

 旧ナベニ共和国の自治共同体コムーネが総力を結しても、勝利は覚束ぬ帝国を相手に、その内の北方自治共同体コムーネのみで抗するという意味がわからぬわけもない。

 まず、勝利は叶うまい。だが、完全に希望がないわけでもない。……そう思わずにはいられぬだけかも知れないが……。

 我らが全力で帝国軍に抵抗し、最大限に時間を稼ぐ。我らが戦略的に勝利するには、それしかない。もしも帝国軍を、長期間タクティ山に押し込める事に成功すれば、ウォロコに集結を果たしたのちのナベニポリス軍が、これを機と援軍に駆けつけるという可能性はある。

 一縷の望みではあるが、もはや我らは、その一縷に縋らざるを得ない。それ以外に、生き残る手段がないのだ。

 いったい、どこで選択を誤ったのか……。


「しかし、難事も難事よな……」


 思わず弱音ともとれる言葉が漏れてしまう。いかぬ。状況が絶望的であるからこそ、将たる吾輩が弱味など見せてはならぬ。些細なきっかけで、士気が崩壊してしまいかねないのだから。

 問題は、帝国軍とてそれがわからぬ阿呆ばかりなわけがないという点だ。特に、影の巨人の主たる、タルボ侯だ。どうやら、此度の侵攻の総指揮を担うのが、彼の侯爵であるらしい。愚かであろうはずがない。

 また、どうやって越山したかはわからぬが、彼らはオーマシラを背にしている。それはすなわち、背水の陣も同然。覚悟も定まっていよう。


「デカント殿?」

「いや、なんでもない」


 黙り込んだ吾輩に、ジャケパーカの領主が問いかけてくるが、首を振って韜晦する。

 それでも我らはやらねばならぬ。我らの、唯一の生存をかけて。我らの故郷を守らんが為……。


 ●○●


 いよいよ帝国軍が本格的に動き出した。といっても、準備万端整ったから、いよいよ進軍を開始する、という話ではない。

 どうやら、僕らがトンネルを開いた山――タクティ山のふもとを、この辺りを領する自治共同体コムーネである、マフリースを中心とした連合軍に占拠されかねない状況らしい。それに対処する為、いまだ態勢の整わぬ中の出陣と相成ったわけだ。


「まぁ、たしかに山道の出入り口を敵に押さえられたら、それはもう隘路に押し込まれたも同然ですからね」


 僕の言葉に、同行するベルントさんが、隣の馬上からら賛同する。その周りには、帝国軍の騎兵たち、数百が列をなして下山している。

 その馬たちは、明らかに僕とベアトリーチェが跨っているラプターを気にしていたが、それでも訓練されているからか、動揺を抑えて乗り手の操るままに、緩やかな山道を下っていた。しばらく行ったところでは、また道が険しくなる為、下馬して進まなければならないそうだ。

 竜たちなら、二足歩行である為、ある程度の悪路は問題なく進める。ただ、急勾配には弱い為、ここは足並みを合わせて下馬――下竜して進む事にする。もし竜たちが大丈夫でも、ベアトリーチェはどうなるかわからないしね……。


「はい。それでは、パティパティアトンネル出入り口の砦を押さえられたのと、そう変わりません。とはいえ、実際にトンネルの出入り口を押さえらた場合を考えれば、いくらでも挽回できる余地はありますが。最悪、森を切り開いて、別の山道を作るという手もあります。幸い、敵連合軍は五〇〇〇程度。タクティ山の全域を警戒するには足りな過ぎますし、既にこちらに移動した我が軍の一万七〇〇〇には、遠く及びません」

「そうですね。問題は時間ですか……」


 意気揚々と語るベルントさんは、以前よりも目が輝いている気がする。もしかすれば、戦という事で力の見せ所と意気込んでいるのかも知れない。まぁ、彼らの上司であるランブルック・タチさんは、以前のナベニ共和国侵攻で名を馳せたのだ。若者である彼にしてみれば、タチさんに憧れ、その武勇伝の踏襲を願うのは無理からぬ話だろう。

 父親であるホフマンさんは、いましばらく砦の秘匿が叶っていれば、もっと万全の状態を整えられたと、疲労の浮いた顔で悔やんでいたのだが……。


「時間ですか?」


 首を傾げて問うてくるベルントさんに、僕は頷きつつ懸念を伝える。


「ええ。トンネルの砦からの未開発の道、そこから狭い山道を使っての下山と、いまの帝国軍には数はあっても、展開力に乏しい。地の利は向こうにあるようです。そこを突かれると、緒戦を落とす惧れがありますよ」


 時間は、僕らにとっては味方なのだ。

 時間をかければかけるだけ、帝国軍は数を増し、敵軍との戦力差は開いていく。それだけ、安全に事を運べるという事なのだが、それは当然向こうだって承知のうえだ。であるからこそ、敵が真に勝利を欲しているのならば、邂逅の瞬間こそが、彼らに与えられた唯一の勝機ではないかと思う。

 まぁ、道の開発が遅れたのは仕方がない。正直、僕に言わせれば、よくもまぁこれだけの長期間、これだけ巨大な施設を、この領地の人間から隠し果せたという感想しか湧かない。

 他領内に、勝手に自分たちの陣地を築くとか、神業といっていい所業だろう。いかにパティパティアトンネルという、我ながらトンデモな代物があったとしても、それを最大限活用する為、帝国はかなり我慢に我慢を重ねた。その判断を下したタルボ侯と、実際にその計画を実行したホフマンさんは、称賛されて然るべきだ。

 だがいまは、そのせいで帝国軍の動きが制限されてしまっており、大軍の優位性を活かせていない。


「心配のし過ぎでは? 向こうは、沿岸のナベニポリスからとんぼ返りしてきた軍ですよ? 接敵しても、兵らの疲労を鑑みて、二日か三日は休息と陣地の構築にあてるでしょう。その間に、互いに使者を交わして交渉もすると思うのですが……」

「まぁ、普通はそうですよね」


 セオリー通りであれば、それが正しい流れだろう。なにより、兵たちの疲労というのは、無視し得ない要素だと思う。兵を労われない将など、ろくなものではない。

 だが、ただセオリー通りに戦争をしても、彼らマフリース連合軍は、帝国軍には勝てないのだ。どこかでアノマリーを起こさない限り、彼らは単純に数の暴力で押し負ける。


「そうである以上、彼らが勝利を得る為には、帝国軍が展開し切る前に攻勢をしかけるしかないのではないですか? もしそれで、帝国軍を山道という隘路に追い込めれば、少数の連合軍にも防衛が可能になる」


 それこそ、テルモピュライのペルシア軍のような状況に、帝国軍は陥るわけだ。ただの山林である為、抜け道は作ろうとすればいくらでも用意できるので、あれ程絶望的な状況ではないが、問題の解消には時間がかかる。そうして、足止めが叶えば、向こうの戦術目標は達成されてしまう。

 そして、その一番の機会が、接敵直後だと僕には思えるのだ。なにせ、時間が僕らの味方である以上、彼らにとっては敵でしかないのだから。


「なるほど……。我々の見解では、あの連合軍は我が軍の進軍を遅らせる為の、遅延工作の為の捨て石だと考えていました。だからこそ、性急に事を起こす事はないと……」

「時間稼ぎが目的だからこそ、性急に事を起こす可能性が怖いんですよ。まごついている間に、ナベニポリス軍が到着してしまえば、それこそタクティ山の麓は完全に包囲されて、帝国軍は二進も三進もいかなくなる。まぁ、そうなる可能性は低いでしょうが、彼らの攻略に手間取ればあり得ない話でもない」

「ふむ。なるほど。前線指揮官には、ショーンさんのその懸念を伝えておきます」

「よろしくお願いします。動揺して総崩れになられると、僕らの命も危ういので」

「はい。間違いなく」


 真剣味を帯びた表情で頷くベルントさん。少しは、眼前の戦の気配に、気を引き締めてくれたかな? まぁ、こちらに油断がなければ、まず大丈夫だろう。


「大丈夫なんですの?」


 僕の隣から、緊張の滲む声で問いかけてきたのは、アルティに跨るベアトリーチェだ。その隣には、彼女の騎士であるシモーネさんとその部下も、馬に跨ってここにいる。彼らの鎧には、きちんとエウドクシア家の紋章が刻まれ、シモーネさんにいたっては、ベアトリーチェの旗手に任じられていた。戦場で滅茶苦茶狙われるから、実力者しか就けないポジションだが、彼女の部下は二人しかいないのだから仕方がない。

 なお、当たり前だがヘレナは砦でお留守番だ。


「まぁ、たぶん大丈夫でしょう」


 僕が言った懸念なんて、帝国の優秀な軍人であれば、とっくに考慮していただろう。だからこそ、歩兵らに先んじて、僕ら騎兵戦力が山を下っているわけだろうし。

 歩兵だけで、敵の重騎兵突撃なんて受けたら、それこそひとたまりもないからなぁ……。

 所詮僕の戦に関する知識など、歴女の母におとぎ話代わりに聞かされた、英雄たちの武勇伝に由来する、聞き齧りでしかない。実際に戦場で培った経験以上に役に立つ事などないだろう。

 だからこそ、僕は努めて楽観論を述べる。


「僕が言ったのは、敵が悪手を打った場合に、こちらも不利になるという事です」

「悪手なのですか? わたくしには、彼らが帝国に勝とうとすれば、そこで動くのが当然のように思えるのですが……」

「悪手ですよ。いくら帝国にとって、それをされるのが嫌でも、相手にそれが可能な状態とは限りません。ベルントさんも言っていた通り、マフリース連合軍は疲れているはずです。それを押して攻勢をかけるという事は、敵軍は士気が低く、経戦能力が低い状態になります。下手に長引くと、一気に総崩れになる惧れすらありますね。時間稼ぎどころではありません」


 たしかに、僕の言った方法であれば意表は突けるだろうが、意表を突くという一点にしか利点がない。そのまま押し切れればいいが、そうでなかった場合には、すべてのデメリットが彼ら連合軍に襲い掛かってくる事になるだろう。


「だからまぁ、そこまで心配する必要はないさ。十中八九、ベルントさんの言った通り、敵は到着しても二、三日は軍を休める。その間に、こちらも準備を固められる。一度、きちんと陣地を構築できれば、まず帝国の優位は動かないはずだ」

「そうですの……」


 ほっと、その胸甲に覆われた胸をなでおろすベアトリーチェ。こちらもこちらで、どうやら初陣に緊張の色が隠せないらしい。まぁ、当然か。

 同じく初陣の僕だって、緊張でソワソワと落ち着かないしね。



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