第95話 女装について

「【太陽の騎士イルソーレ】様でしたか。不遜な物言い、大変失礼いたしました」


 エスポジートさんの名乗りを受けて、タチさんが頭を下げる。有名な人なのだろうか?


「いえ、自己紹介が遅れて申し訳ございませんでした。そちらは、先のナベニ共和国戦における英雄、ランブルック・タチ様でよろしかったでしょうか?」

「はっ。こちらこそ、名乗り遅れて申し訳ございません。また、しがない下人である私の名前までご存知とは、恐縮の至りです。ネイデール帝国、タルボ侯爵家家臣、ランブルック・タチと申します」

「タチ様。こうして鎧に身を包み、エスポジートを名乗っているのですから、此方の事はただの騎士としてお相手ください。それと、英雄であるタチ様が自ら下人などと称されるのは、先の戦における武人ら全員の名誉にも関わりますよ。お控えられた方がよろしいかと」

「はっ。光栄に存じます」


 言葉こそ畏まっているものの、涼しい顔ですらすらと述べているあたり、タチさんは最初からこの人が相手であると知っていたんじゃないかな? エスポジートさんも、それが当然のように相手してるし。

 というか、やり取りが不穏だよ。もしかしてこの人、法国でも滅茶苦茶立場が上の人なんじゃないの……? 嫌だなぁ……。関わり合いになりたくないなぁ……。

 なんて思っていたら、そんな輝く金髪のお姉さんの目が、こちらをロックオンしてきた。


「そちらの方も、お初にお目にかかります。繰り返しにはなりますが、以後は懇親を結べたならば、これ以上なく幸いにございます。もしよろしければ、お名前を窺ってもよろしかったでしょうか?」


 にっこりと、実に美しく笑みを湛えるエスポジートさん。あまりにも美しすぎて、実に胡散臭い。笑顔の仮面で己の内面を押し隠す、貴族の顔だと思った。そんな人間に、突かれて面白い腹などない。まして、痛いところだらけの腹ならなおさらだ。


「失礼いたしました。僕は、世間ではハリュー姉弟などと呼ばれております片割れ、こちらは本当にしがない一介の研究者、ショーン・ハリューと申します。さて、お恥ずかしながら、当方にはこれ以上紹介するような大層な肩書きはございません。また、生来鈍根どんこんにして不敏でございまして、誠に申し訳ないのですがエスポジート様がどのようなお方であるのか、とんと存じあげません。重ね重ねご無礼をいたします事、ご海容くだされば幸いでございます」


 そう言って、それこそ貴族に相対するように深々と頭を下げる。騎士としての彼女ではなく、良く知らないやんごとなき身分の彼女へと。


「ふぅむ……?」


 だが、僕のそんな当て擦りにはまったく反応せず、エスポジートさんは不思議そうに首を傾げ、籠手に包まれたままの手で己の顎を撫でた。なんだ? よもや、この程度のアイロニーもお気に召さなかったというのか?


「一つお訊ねしたいのですが」

「はい」


 やがて彼女は、意を決したようにそう問うてきた。その顔は、先程までの笑顔の仮面はどこへやら、どこまでも真剣な表情であった。


「あなたは、ハリュー姉弟のの、ショーン・ハリュー殿でお間違いないのですか?」

「? はい。先程申しあげた通り、僕がショーン・ハリューです」

「ふむ。では、その格好は君の趣味という事ですか? いえ、とてもよくお似合いではございますが……」


 あうち……ッ! ミステイクっ! 僕いま、グラの格好してるの忘れてたっ!

 どうする? 女装趣味と思われるのは絶対嫌だぞ?

 思い出すのも悍ましい。姉が二人もいて、三番目の弟という境遇は、日本全国で共通のトラウマがあるのではないかと、勝手に思っている。すなわち、姉どもによる女装の強要だ。

 親たちとて、三人目ともなると育児にかけられるコストの削減方法を良くわかっており、服はほとんどがお下がりが基本だ。だが、姉たちの、それも幼少期の服のお下がりというのは、可愛らしい女児用の服ばかり。おまけに、それがお下がりできないと学んだ親たちによって、たまに僕に買ってくれる服は、男女どちらでもいいようなユニセックスなものばかり。

 結果。できあがるのは姉たちの着せ替え人形と、日常的に繰り返される女装である。初めて出会う奥様方には「あら? 男の子だったのぉ?」「可愛い」「女の子みたい」などという侮辱を日常的に受け、近所の男児たちからは倦厭され、なぜか女児たちは第二の姉たちのポジションを狙って、僕を着せ替え人形にしようとする毎日。

 ああ、トラウマである……。

 まぁ、近所の悪ガキ連中とは、一回シカトされた際にケンカを吹っ掛ける形で、殴り合い(といっても小学校低学年だったので、せいぜいはたき合い)をした結果、仲良くはなれた。夕方の河川敷でこそなかったものの、小学校の屋上までの階段踊り場で、疲れ果てて寝っ転がりながら、お下がりによる着せ替え人形の境遇を愚痴ったら、ガキ大将だったそいつが、えらく同情してくれたのを覚えている。

 聞けば、三番目でこそなかったものの、そいつにも姉がいて、僕と同じような経験があったらしい。やはり、姉を持つ弟というものは、どこも変わらぬ境遇になるのだと、そのとき知った。

 あんな悲しい事件を、この世界で繰り返すわけにはいかない。人間でない今世においては、下手をすればずっとこの姿のままなのだから、なおさらである。僕はエスポジートさんの誤解を解く為に、真剣に語った。

 なお、依代の件を上手い事はぐらかしつつ、僕がやむにやまれぬ事情で、非常に不本意ながらも仕方なくいまの姿に至ったという説明に、このあと四〇分という時間を要した。しかしながら、それもやむを得ない事であった点は付記しておく。

 エスポジートさんも、納得したというよりは根負けして、僕に女装趣味などないという事を認識してくれたようだ。



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