第9話 アイドルの引退に直面した、ファンの心理

 ●○●


 さて……。

 いざというときの屋敷の守りに【楡と葡萄ラヴァーズ】を用意したのはいいが、流石にほぼ初対面である彼らに、全幅の信頼をおけるわけもない。一応【アントス】の面々も雇っているが、彼らはいざというときは――というか、たぶん間違いなく、グラについてサイタン、新ダンジョンへと向かう事になる。

……それに、信用の面では【アントス】も【楡と葡萄ラヴァーズ】もどっこいだ。

 なので、屋敷の防衛を担ってもらう戦力を纏め、指揮する人材が必要なわけだ。


「――というわけなので、よろしくお願いします、ラベージさん」


 メギンギョルド関連を抜きにすると、そんな人材には彼くらいしか心当たりがない。ギルドとも関係が深く、またその人格を評価できる人間というと、彼以外はもうギルドの老貴婦人くらいしかアテがなくなってしまう。僕らの交友範囲の狭さが成せる業だ。


「へえへえ……」


 だが、どういうわけかラベージさんは、彼に似つかわしくない横柄な態度でソファにふんぞり返り、不機嫌そうに返事をしてきた。どうにもやさぐれた雰囲気である。

 え? 誰、この人……? ラベージさんといえば、必要以上にこちらに気を遣い、おっかなびっくり接してくるのが常だったのだが……。


「どうしました? らしくもない」

弟君おとうとぎみ、ラベージは先日弟君が身請けされたエリザベートさんのファンだったんです。それでここ数日、こうしてやさぐれているだけですので、どうかお目こぼしください」


 ラベージさんの隣で苦笑するランさんが、まるで常識人のように状況を説明してくれた。いま、この室内には僕、ラベージさん、ランさんと、使用人が二人控えている。

 ランさんの言動は、グラがいないからか、かなりまともだ。いつもこれならいいのに……。


「……ラベージさん、先日失恋したばかりでしょうに……」


 たしか、狙っていた娼婦が別の人に身請けされたんだったか。そう考えると、二人続けて肩透かしを食らったようで同情はするが、それで八つ当たりをされても困る。移り気が多いのも、正直どうかと思うし……。

 だが、僕の言葉にくわっと目を見開いたラベージさんは、前のめりになってバンと机を叩いて抗議する。


「ちげぇんだよ!! エリザベート様は、俺たちにとっちゃ妹みたいなもんだったんだ! そもそも、俺ごときじゃ一晩どころか、一緒にお茶するのもままならねえ、高嶺の花だっつの!!」

「高嶺の花が妹?」


 わけがわからないと首を傾げたが、詳しく聞いてみると話は単純だった。

 少し前、アルタンを代表する夜の蝶は、カーラという名前の女性で、ラベージさんよりも少し年上の美女だったそうだ。


「そらもう、すげぇのなんの……。単に美人ってだけじゃなく、黄金の髪に琥珀の瞳。貴族と言われても違和感のない美貌に、人好きのする笑みを浮かべて、小汚ぇチンピラ紛いの俺たちにだって、気さくに接してくれる人柄。それに加えて、美の女神カリテスだって裸足で逃げ出すような、振るい付きたくなるような体付き……」


 当時を思い出すかのように、陶然と語るラベージさん。きっと、いまの彼は少年時代にタイムリープしていて、憧れの美女を目前にしているのだろう。

 早い話、どうやらそのカーラさんが、エリザベートさんの世話を焼いていた姉代わりだったらしい。当然、彼女は既に引退――というか、どこぞの豪商に身請けされて町を出ており、いまも元気にしているらしい。

 どうやら、イシュマリア商会とその豪商はいまでも懇意で、カーラさんの近況もそれとなく流れ聞こえてくるんだとか。

 要はそのカーラさんは、当時のアルタンの町における、トップアイドルだったわけだ。『いずれ上級冒険者になったら、頑張ってあの人と一夜を共に……』という目標が、過酷な下級冒険者時代を生き抜く活力だったそうだ。

 これは、ラベージさんだけでなく、いまのギルマスも含めた当時のアルタンの冒険者たちに共通する、青春時代の思い出らしい。あの、イケオジギルマスがねぇ……。

 残念ながら、その夢を叶えた人はほとんどいないそうだ。イケオジギルマスも、支部長に就いて高嶺の花に手が届くようになったときには、カーラさんが引退したのちだったという。

 そして、そんな彼女が残した後継者が、エリザベートさんというわけだ。彼女の洗練された所作も、そのカーラさんとやらの教育の賜物なのだろう。


「なるほど。それで妹みたいなもの、ですか……」


 一緒にお茶も飲めない妹って、どんな存在だと思わなくもないが、要は推しのアイドルグループが世代交代をして、若いアイドルばかりになった状態に、ラベージさんなりに理屈をつけているのだろう。流石に、十代半ばのエリザベートさんに入れあげるのは、彼の良識が咎める事だったようだ。


「それを、あんたが掻っ攫ったんだ……」


 恨みがましい口調で批難されても、正直困る……。こう言っちゃなんだが、僕だって不本意なんだぞ? むしろ、アマーリエさんたちがかなりゴリ押ししてきた結果だ。


「これが、普通の身請けだったら、俺だって流石に文句は言わねえ。だがよ、望みも望まれもせず、ろくに見送りすらできず、受け出しに金すら支払われてねえってんだから、そりゃあ文句もあるだろうよ。言っとくが、これは俺だけの思いじゃないぜ? 当時、カーラに憧れた世代の連中は、みんな同じように今回の件に不満を抱えてる」

「うへぇ……」


 ラベージさんの言葉に、ついつい呻吟する。正直、迷惑という思いが強い。ハッキリ言って、これ以上女性関連で問題を抱え込むのはごめんなのだ。まして、ラベージさん世代のおじさん連中からいっせいに反感を買うなど、こちらとしては踏んだり蹴ったりもいいところだろう。


「面倒な……」

「その心底嫌そうな態度が、ハッキリ言って反感の元だと思いますがね……――ふぅ。まぁ、ともあれ、仕事は仕事。ショーン様には世話にもなっているし、返しきれねえ借りもあります。勿論、仕事に手抜きや、まして不義理なんざするつもりはありません。俺も、命は惜しいんでね」


 両手を挙げて、まるで降参でもするかのように苦笑するラベージさんに、僕も苦笑する。まぁ、以前の一件で、かなりグラにお灸を据えられたようだし、人柄に関してはアルタンの冒険者の中では、随一に信用がおける人だ。

 人柄に信用がおけても、仕事に信用がおけるかが別というのが、この人の面倒な部分だが……。


「しかし、なるほど……」


 エリザベートさんは、僕らにとって厄介な火種になりかねない。ならば、早いところ対処しておくとするか。またぞろ【扇動者騒動】のような事になっても困るし、ね。

 さらに、上手くすれば僕らにとって好都合な方向に話が転がる。

 そう考えて、僕は眼前のラベージさんを盗み見る。どこにでもいそうな、冴えない風貌のおじさんが、契約書の文字を眉根を寄せて検めていた。


「所詮は僕も、同じ穴の狢、か……」

「なんです?」


 顔をあげたラベージさんに、ただの独り言だと言い訳をしてから視線を逸らした。どうやら彼には、大変な目にあってもらう事になりそうだ。とてもではないが、まっすぐその目を直視する事はできない。


 でもまぁ、傍から見ればきっと役得の部類だ。頑張れ、ラベージさん!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る