第10話 彼女の忠誠の在処
●○●
ラベージさんとランさんを見送ってから、僕はエリザベートさんを呼び出した。
「単刀直入に聞こう。君は、どの程度僕らの懐に入り込む腹積もりだい?」
「どの程度、とおっしゃいますと? 重ねてもう一つ、お訊ねさせてください。旦那様のおっしゃる『僕ら』に含まれる範囲をお教え願えますか?」
あえて人払いをした、二人だけの書斎。埃っぽい室内に、厳かに響いた僕の声に、淡々と答えるエリザベートさん。
毅然としたその態度は、主人である僕に対しても一切の媚びを窺わせない。配下のこういう態度を良しとしない主人もいるだろうが、その場合もきっと、彼女は主人に合わせた態度をとるのだろう。彼女がこうしているのは、僕自身がそう望んでいるからだと、彼女が我が家の使用人に交じり、それがベストだと判断したからなのだ。
そして、それは正しい。
「一つ目の答えだが、これは君の将来の展望と言い換えてもいい。ある程度、我が家とイシュマリア商会との友好の証となったら、自分の人生を謳歌したいと考えているのか。あるいは、我が家に生涯仕え、子々孫々に至るまで家業に寄与する
一息にそう言い切って、彼女の様子を具に観察する。その一挙手一投足から、その思惑を窺おうとしての事である。
しかし、残念ながらというべきか、やはりというべきか、エリザベートさんの態度は一切の綻びを見せはしなかった。一貫して侍女然とした立ち居振る舞いを崩さず、その内心を隠しきったまま、彼女は慇懃に頭を下げる。
「旦那様がおっしゃられた両論において、わたくしの希望は後者となります。どこまでわたくしを抱え込むのかは、二つ目の質問にも関わって参りますが、旦那様方がお決めになる事かと」
「ふむ。まぁ、僕の言う『僕ら』の範囲は『ハリュー家』だよ。流石に、新参の君を僕ら姉弟の懐に入れるような、迂闊な真似はしないさ。いまのところ、君はイシュマリアの紐付きなんだしね」
イシュマリア以外の息がかかっていない保証もない。その辺りは、信用するには時間と実績が必要だ。
「では、質問を変えようか。君は将来、結ばれたい人はいるかい? また、結婚相手に求める理想はあるのかな?」
僕自身、この世界における立場や境遇から、恋愛結婚などというものには関心がない。だが勿論、それが理想の結婚像であるという事には、理解を示すところだ。
そして、彼女がそれを望んでいるのならば、当然僕にもそれを叶えてあげるつもりはある。まぁ、その場合僕にできる事なんて、ハリュー家とイシュマリア商会の橋渡しの任を、適度なところで解いてやる、くらいのものだろうが。
……という、建前で質問したつもりだったのだが、僕のそんなお為ごかしはあっさり見抜かれてしまった。
「旦那様、前もって単刀直入にとおっしゃられたのですから、どうか糖衣を脱いでお話しください。わたくしの希望は勿論、ハリュー家の益となる婚姻にございます。失礼を承知で、わたくしも率直な希望を申しあげますが、ザカリー様か、もしくはジーガ様との婚姻を望みます。お二人ならば、間違いなくハリュー家譜代の家臣となられるでしょうから」
「…………」
これでも、交渉事には慣れてきたつもりだったのだが……、どうやらまだまだ未熟だったようだ。僕の拙い韜晦など、エリザベートさんはお見通しだったようで、その思惑がわかりやすく伝わるようにか、自らの政略的な結婚相手を希望してきた。
変な自信を、容赦なく叩き折ってくれたという点で、エリザベートさんには感謝したいところだ。その望みを聞き入れられないのは心苦しいが……。
「ザカリーの元に嫁いでも、残念ながら家は残せないよ」
「年齢がネックであるのなら、養子という形でも構わないかと。あるいは、その養子という立場に、旦那様の子孫を入れるという手もございます。ザカリー様の家系と旦那様の血統という肩書きがあれば、ハリュー家の家臣としてはこれ以上なく安泰であるかと」
「いや、当人にそのつもりがない。これ以上は、彼の事情に深く関わってくるので、余人には聞かせられないが、もしも彼の伴侶として添い遂げたいと思っているなら、僕は諦めろとアドバイスしておく。判断は任せるが」
「そうですか……。では、ジーガ様はいかがでしょう? お歳からしても十分にお子が望めますし、たしかお一人身であったかと存じますが?」
「それもちょっと難しい」
グイグイと、我が家の将来の家臣団に食い込もうとするエリザベートさんに、若干引きつつも、僕はジーガの事情については説明する。こちらは特に隠し立てするような話でもないし、我が家で働いていればその内耳に入ってくる話だ。彼女が下手な真似をして事情を拗らせてしまうと、誰にとっても不幸な結果になりかねない。
ジーガは商人時代妻帯していて、子供もいたのだが、破産時にその妻子を親元に帰しているらしい。我が家で働き始めた事で、二人を手元に戻したいと思っているのだが、やはり先方も一度娘と孫を送り返された事で、慎重になっているらしい。
まぁ、仕えている家の噂を集めれば、危機感を抱かざるを得ないような話がゴロゴロしているのだから、心配になるのも当然だろう。
「そんなわけで、いまジーガの伴侶の座を得ようとすれば、相応の軋轢が生じかねない。それを押してなお、円満にジーガと元の細君との間に立てる自信があるなら止めないが……」
「……流石に厳しいでしょうか……」
それまでは泰然自若とした態度だったエリザベートさんが、人生設計において思わぬ障害に出会したかのように、頤に指を当てて眉根を寄せる。暫時黙考した彼女は、改めてこちらに目を向けてきた。
「ダズ様はどこまで重用されるかが未知数。そもそも妖精族ですし……。ウーフー様は論外。そうなると……、旦那様、ディエゴ殿の将来のお相手は決まっているのでしょうか?」
「なんだって、そこまで徹底して自分を駒として扱いたがるんだい、君は?」
僕はついつい、そんな事を問うてしまう。
彼女が、ザカリーやジーガの伴侶に立候補したのは、勿論色恋が理由ではない。ディエゴ君の伴侶として立候補しているのも、彼がジーガの後継者として最有力の存在だからであり、彼女がショタ趣味だからという事ではない……と、思う。
まぁ、僕の指南役という時点で、その素養がまったくないわけではないだろうが……。
ダズが候補から外れたのは、彼が妖精族のドワーフだからだ。只人と妖精族との間には、かなり子孫ができづらいという事情がある。ウーフーが候補から外れるのはいわずもがな、彼は将来我が家からは離脱するのが確実だからだ。
つまりこの人は、本気で我が家に骨を埋めるつもりという意思表示だ。先程の僕の問いにおける一つの極論を、彼女は実行する腹積りのようである。
しかし、当然ながら僕らとエリザベートさんに、これまでさしたる関わりなどない。そこまでして、彼女が我が家に傾倒する理由がないのだ。
これで全幅の信頼をおくというのは、なかなか厳しい。正直、裏があるのではないかと疑うのは、仕方がないと思う。
僕の問いかけに対して、彼女は静かに笑うとゆっくりとその妖艶な唇を開いた。
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