第77話 レッドへリング

 ●○●


 階段の先にあった吊天井の廊下のど真ん中には、書見台が鎮座しており、そこには一冊の本が乗せられていた。最初に廊下に入った斥候が、十分に注意をしてから回収してきた本のタイトルは【燻製鰊の虚偽】との事。なんのこった。

 色とりどりの宝石があしらわれ、丁寧に皮で装丁されたその本は、一目で高価な代物だとわかった。だが、誰もそれを我が物としようとはしない。

 その理由は、栞紐の先に繋がった鳥籠のような装飾の中に鎮座する、真っ赤な魔石が理由だった。それがマジックアイテムである以上、これもまた罠の一環である可能性は高い。

 おまけに、その本には『【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の皆さんへ』という、パピルス製のカードがリボンで添えられていたのだ。危ない橋を渡ってくれる者が指名されているというのに、鉱山のカナリヤ役に立候補したいヤツはいない。

 それでも、下級冒険者を連れてきていたら話は変わっていたかも知れないが、ここにいるのは中級だけだ。


「な、なんで俺たちがッ!?」

「ハリュー姉弟からのご指名だ。他に立候補者がいない以上、お前らが先に開け」


 俺の命令に、カイルとかいうガキが狼狽えて仲間を見る。だが、斥候の小男は脂汗を浮かせてキョロキョロと周囲を見回しては、味方がいない事を察して青い顔になり、気弱そうな小娘は諦めたのか俯いていた。

 そう。こうなった時点で、どうしようもないのだ。逆に、ここでこいつらが辞退し、別の人間が罠に掛かったとしたら、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の連中は恨みを買う事になる。そうなれば、協力して探索など不可能になるだろう。


「わかりました……」


 消沈するカイルが分厚い本を受け取る。【地獄門】の前に集った面々の視線を一身に浴びて、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の連中が慎重に本を開く。小男と小娘が本を支え、カイルがゆっくりと表紙を開いていった——そのとき——

 パァ――っと、強い光が迸り、目を開いていられなくなる。ドサッと重い音が、さっきまで【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の連中がいた辺りから聞こえた。

 再び目を開いたとき、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の連中は忽然とその姿を消していた。ついでに、不用意に【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の近くにいた冒険者も一人、姿が見えなかった。

 床には件の本がただ一冊、何事もなかったかのように落ちているだけだった。


「……本の中に、囚われた……?」


 誰かがポツリと呟いた。眼前で起こった事態を、素直に受け取るならそうとしか考えられない。だが、そんなバカな。


「本の中に人を閉じ込めるなんて、できるわけねえだろ!!」


 誰かがそう怒鳴る。目の前で起きた現象が信じられないのだろう。それはそうだ。本の中に人を捕える【魔術】など、この世にあるわけがない。もしもそんな真似ができるとすれば【神聖術】の類だろうが、【神聖術】のマジックアイテムなどというものはない。【神聖術】を【魔術】の魔導術で紐解く事など、できるわけがないのだ。

 いっそ、転移術でどこかに飛ばされたという方が理解としては容易い。だが、転移術の【門】が、魔導術でマジックアイテム化されたという話も、噂ですら聞こえてこない。逆に、調べれば調べる程困難であり、あと一〇〇年は不可能だという噂はいくらでも聞こえてくる。

 さらにいえば【門】は、あくまでも己の意思でくぐるものであり、別の場所に強制的に飛ばすなどという術式は【門】ですらねえ。


「…………」

「エルナトさん……」


 斥候の男が不安そうな表情で声をかけてくるが、俺は応えられずに床に落ちた本を眺めていた。

 ウチのパーティの魔術師に聞いてみた際には、本に施されているのは幻術を基本とした、複合的な術式だと言っていた。詳しい性能までは専門外だからとわからなかったようだが、そこに転移術だの未知の理だのが刻まれていたのなら、ヤツは真っ先にそれを述べたはずだ。

 じゃあ、幻術をどうすれば、本に人が囚われる? それがわからないから、冒険者どもが動揺しているのだ。

 俺は口を開いた。


「なんだ。たいした能力じゃねえな」

「エルナトさん?」

「そうだろ? 本を開いたら本の中に囚われるってなら、開かなきゃいい。表紙の宝石を引っぺがして理を崩すか、栞の先の籠から魔石を取り出しちまえば、ただの本だ。壊すのにリスクがないとわかれば、こっちのもんだろ?」


 俺の言葉に、斥候の男は青い顔でごくりと息を呑んだ。その男の背後から、ウチの魔術師が話しかけてくる。


「エルナト。本の中に囚われた連中がどうなったかもわからない状況で、理を崩すのは危険だ。最悪、二度と戻って来れなくなるぞ?」


 だからなんだとも思ったが、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】はともかく、巻き込まれた男のパーティは先の発言を非難するような目つきで俺を見ていた。ここで変に拘泥しても、士気を下げるだけか。


「理を崩したら戻ってくるんじゃねえのか? 本当に本の中に入ってるってワケじゃねえんだろ?」

「わからん。正直、どういう術式を組めば、本の中に人を捕えられるのか、皆目見当がつかない。だからこそ、不用意に術式に干渉するべきではない」

「それはわかるが、ここでまごまごしてたって、いずれ魔石の魔力が切れるぞ?」

「……そうだな……」


 それはわかっていたのだろう、そいつは暗い顔で頷いた。巻き込まれた男のパーティメンバーも同じような表情で俯いている。なんだそりゃ。それじゃ結局、なにもせずに連中が死ぬのを待つだけじゃねえか。

 それなら、一か八か理を崩してみればいい。死んだら死んだ、帰ってこないなら帰ってこないで、そんときはそんときだろうに。

――とはいえ、いつまでもこんな本に拘泥しているなど馬鹿らしい。俺の言葉で、眼前の出来事がまったく未知の現象などではなく、なんらかの【魔術】であると思い出した連中は楽観的な雰囲気を取り戻し始めていた。


「ビビってんじゃねえぞ。たしかに本に人を捕えるってなぁ、インパクトのある仕掛けだ。だがなぁ、結局そんなのは独自の複合術式のお披露目以上の意味はねえんだ!」


 ダメ押しとばかりに俺は声を張る。それで多くの連中は活気を取り戻し始めていた。そう。こんなのは所詮、俺たちの目を地下の工房から逸らす為の、ギミックでしかねえ。


「そうだぜ! 噂の【白昼夢の悪魔】が幻術を使う事くらい、知らなかったヤツはいねえだろ! 俺たちが、幻術一つでビビって地下に降りられなくなるわきゃねえんだ!」


 斥候の男が、自らを奮い立たせるように俺に追従する。ウチの面々も、全員が顔から怯えを消し去り、これから向かう工房の攻略に意欲を漲らせていた。

 それに倣うように、冒険者連中からも弱気は消えていく。男が消えたパーティだけは相変わらず意気消沈していたが、いつまでもこいつらに構う余裕などない。


 初手から躓いたが、俺たちはハリュー姉弟の工房攻略を再開した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る