第77話 レッドへリング
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階段の先にあった吊天井の廊下のど真ん中には、書見台が鎮座しており、そこには一冊の本が乗せられていた。最初に廊下に入った斥候が、十分に注意をしてから回収してきた本のタイトルは【燻製鰊の虚偽】との事。なんのこった。
色とりどりの宝石があしらわれ、丁寧に皮で装丁されたその本は、一目で高価な代物だとわかった。だが、誰もそれを我が物としようとはしない。
その理由は、栞紐の先に繋がった鳥籠のような装飾の中に鎮座する、真っ赤な魔石が理由だった。それがマジックアイテムである以上、これもまた罠の一環である可能性は高い。
おまけに、その本には『【
それでも、下級冒険者を連れてきていたら話は変わっていたかも知れないが、ここにいるのは中級だけだ。
「な、なんで俺たちがッ!?」
「ハリュー姉弟からのご指名だ。他に立候補者がいない以上、お前らが先に開け」
俺の命令に、カイルとかいうガキが狼狽えて仲間を見る。だが、斥候の小男は脂汗を浮かせてキョロキョロと周囲を見回しては、味方がいない事を察して青い顔になり、気弱そうな小娘は諦めたのか俯いていた。
そう。こうなった時点で、どうしようもないのだ。逆に、ここでこいつらが辞退し、別の人間が罠に掛かったとしたら、【
「わかりました……」
消沈するカイルが分厚い本を受け取る。【地獄門】の前に集った面々の視線を一身に浴びて、【
パァ――っと、強い光が迸り、目を開いていられなくなる。ドサッと重い音が、さっきまで【
再び目を開いたとき、【
床には件の本がただ一冊、何事もなかったかのように落ちているだけだった。
「……本の中に、囚われた……?」
誰かがポツリと呟いた。眼前で起こった事態を、素直に受け取るならそうとしか考えられない。だが、そんなバカな。
「本の中に人を閉じ込めるなんて、できるわけねえだろ!!」
誰かがそう怒鳴る。目の前で起きた現象が信じられないのだろう。それはそうだ。本の中に人を捕える【魔術】など、この世にあるわけがない。もしもそんな真似ができるとすれば【神聖術】の類だろうが、【神聖術】のマジックアイテムなどというものはない。【神聖術】を【魔術】の魔導術で紐解く事など、できるわけがないのだ。
いっそ、転移術でどこかに飛ばされたという方が理解としては容易い。だが、転移術の【門】が、魔導術でマジックアイテム化されたという話も、噂ですら聞こえてこない。逆に、調べれば調べる程困難であり、あと一〇〇年は不可能だという噂はいくらでも聞こえてくる。
さらにいえば【門】は、あくまでも己の意思でくぐるものであり、別の場所に強制的に飛ばすなどという術式は【門】ですらねえ。
「…………」
「エルナトさん……」
斥候の男が不安そうな表情で声をかけてくるが、俺は応えられずに床に落ちた本を眺めていた。
ウチのパーティの魔術師に聞いてみた際には、本に施されているのは幻術を基本とした、複合的な術式だと言っていた。詳しい性能までは専門外だからとわからなかったようだが、そこに転移術だの未知の理だのが刻まれていたのなら、ヤツは真っ先にそれを述べたはずだ。
じゃあ、幻術をどうすれば、本に人が囚われる? それがわからないから、冒険者どもが動揺しているのだ。
俺は口を開いた。
「なんだ。たいした能力じゃねえな」
「エルナトさん?」
「そうだろ? 本を開いたら本の中に囚われるってなら、開かなきゃいい。表紙の宝石を引っぺがして理を崩すか、栞の先の籠から魔石を取り出しちまえば、ただの本だ。壊すのにリスクがないとわかれば、こっちのもんだろ?」
俺の言葉に、斥候の男は青い顔でごくりと息を呑んだ。その男の背後から、ウチの魔術師が話しかけてくる。
「エルナト。本の中に囚われた連中がどうなったかもわからない状況で、理を崩すのは危険だ。最悪、二度と戻って来れなくなるぞ?」
だからなんだとも思ったが、【
「理を崩したら戻ってくるんじゃねえのか? 本当に本の中に入ってるってワケじゃねえんだろ?」
「わからん。正直、どういう術式を組めば、本の中に人を捕えられるのか、皆目見当がつかない。だからこそ、不用意に術式に干渉するべきではない」
「それはわかるが、ここでまごまごしてたって、いずれ魔石の魔力が切れるぞ?」
「……そうだな……」
それはわかっていたのだろう、そいつは暗い顔で頷いた。巻き込まれた男のパーティメンバーも同じような表情で俯いている。なんだそりゃ。それじゃ結局、なにもせずに連中が死ぬのを待つだけじゃねえか。
それなら、一か八か理を崩してみればいい。死んだら死んだ、帰ってこないなら帰ってこないで、そんときはそんときだろうに。
――とはいえ、いつまでもこんな本に拘泥しているなど馬鹿らしい。俺の言葉で、眼前の出来事がまったく未知の現象などではなく、なんらかの【魔術】であると思い出した連中は楽観的な雰囲気を取り戻し始めていた。
「ビビってんじゃねえぞ。たしかに本に人を捕えるってなぁ、インパクトのある仕掛けだ。だがなぁ、結局そんなのは独自の複合術式のお披露目以上の意味はねえんだ!」
ダメ押しとばかりに俺は声を張る。それで多くの連中は活気を取り戻し始めていた。そう。こんなのは所詮、俺たちの目を地下の工房から逸らす為の、ギミックでしかねえ。
「そうだぜ! 噂の【白昼夢の悪魔】が幻術を使う事くらい、知らなかったヤツはいねえだろ! 俺たちが、幻術一つでビビって地下に降りられなくなるわきゃねえんだ!」
斥候の男が、自らを奮い立たせるように俺に追従する。ウチの面々も、全員が顔から怯えを消し去り、これから向かう工房の攻略に意欲を漲らせていた。
それに倣うように、冒険者連中からも弱気は消えていく。男が消えたパーティだけは相変わらず意気消沈していたが、いつまでもこいつらに構う余裕などない。
初手から躓いたが、俺たちはハリュー姉弟の工房攻略を再開した。
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