第20話 聖杯の値段と依頼主
「そうですね。では、【鉄幻爪】に関しましては、アルタンにて使用人同士の交渉をさせましょう。それとは別になるのですが、先程代官様がおっしゃられた酒杯の注文についてなのですが、そちらは貴殿が判断できると考えてもよろしいのでしょうか?」
そうきたか。
「ふむ……。まぁ、質と量によるとしか。あまり高品質のものを大量にご注文であれば、やはり執事を通して正式にご依頼していただきたく思います。ただまぁ、一つ二つのご注文でしたら構いませんよ?」
流石にポーラ様には良くて、お前はダメとは言い難い。まぁ、ポーラ様は領主の娘だから優先したと言い張り、名乗りもしない相手には融通しないと断る事はできたかも知れないが。ただ、それではやはり、こちらのスタンスが明確過ぎる。
あからさまに、あれもダメこれもダメと言っているのが相手に伝わるのはマズい。いや、伝わっても構わないのだが、誰の目にも明らかではマズいというのが正解か。
「左様ですか。では、我が主と夫人の為の二つを。しかしながら主の為の品であれば、品質に妥協はできません。ご姉弟に作れる最高品質のものを、ご用意してはいただけませんか?」
おっと……。これはマズい……。
「最高品質ですか……」
ウチのガラス製品で最高品質といえば、当然聖杯仕様だ。だが、あれの製作をみだりに受け付けるのは憚られる。相手がヴェルヴェルデ大公ともなれば、なおさらだ。
しかしここで嘘を吐くのも悪手だ。なにせ、隣にいるのは、先日その聖杯仕様の杯を妖精金貨一万枚、製作期間は五年と吹っ掛けたポーラ様だ。
よもやここで、彼女を同席させたのが仇となるとは……。僕が躊躇していると、それを訝しんだフィレンツィが声をかけてくる。
「どうされました? よもや前言を翻して、やはり注文はできぬ、とでも?」
「いえ……」
やはり、こちらの対応をにべもないものと感じていたのだろう。フィレンツィが険のある口調で質してくる。それを肯定するわけにもいかないが、真相も話したくはない……。
なおも言い淀む僕を見かねてか、隣からポーラ様が口を挟んでしまった。
「使者殿。恐らくだが、ショーン殿が躊躇しているのは、其方が彼らの作れる最高品質の品というものを、見縊っておられるからだと思うぞ。私も先日注文しようとして驚いたところだ。なにせ、一つ妖精金貨一万枚という品だ」
ああ……。できれば値段どころか、存在すらバラしたくなかったのだが、やっぱり言っちゃうかぁ……。そうだよねぇ……。
「なッ!? それはいくらなんでも法外でしょうッ!? 簡素なものなら、砦すら建てられますよッ!?」
やはり、完全に男の想定外の値段だったのだろう。言っとくが、それに加えて製作期間は五年だ。二つなら十年である。その点を譲歩するつもりは更々ない。
「それだけの品という事だろう。私も驚いた。だから、悪い事は言わんから、最高品質という注文はやめておけ。主に雷を落とされるだけだ」
「…………」
流石に妖精金貨二万枚という出費を、独断で下せるだけの裁量はないのだろう。フィレンツィは押し黙り、ポーラ様の言葉が真実なのかと問うように、僕の方を見てくる。
僕はそれに対し、黙したまま頷く。もうこうなったら、聖杯仕様のグラスは妖精金貨一万枚で通すしかない。大きいものなら、さらに料金を上乗せしていけばいいだろう。
はぁ……、各国から注文が殺到するような事態は避けたいんだけどなぁ……。
「バカな……」
外聞を取り繕う余裕すらなく、フィレンツィは独り言のように漏らした。そりゃあ、一つ数億~数十億円の杯を間違って注文しかけたという状況である。驚愕はむべなるかなだ。
とはいえ、未だ注文はされていないのだから、キャンセルですらない。キャンセル料もかからない現状であれば、そこまで深刻な事態でもないだろう。
「ワンランク下の、ガラス工芸品としてのグラスであれば、お手頃な価格で融通可能です。そちらは製作期間もそこまで必要ありませんし、お値段も金貨にして十枚から一〇〇枚程度と、非常にお求めやすくなっております」
金貨一〇〇枚というのは、普通に考えれば安くはない。日本円で例えれば、金貨の種類にもよるが、数百万~一千万円以下くらいの価値だと思う。まぁ、これはあくまでも、僕の体感なので厳密にはお金の価値は違うかも知れない。その価値換算では、この高級宿が数億円ぽっちで買えてしまうからね。
ちなみに妖精金貨基準だと、価値が二~三倍になる。
「それはまた……、随分と強気の値段設定ですね?」
「そうでしょうか? 品質を考えれば、当然の値付けだと自負しておりますが」
それがグラの作である点を踏まえれば、普通にそのくらいの値は付いて然るべきだ。これを高いと思うのは、その者の見る目がないので、別に買わなくても構わない。
ただ、フィレンツィの言葉も、あながち間違いとは言えない。有名な魔術師の作ったグラスに、それくらいの値段が付く事は珍しくはないが、グラはガラス工芸の分野ではまだまだ無名である。そんな人間が、自分の作品にいきなり一線級の職人と同等の値を付けたというのだから、強気というのは正鵠を射ているといえよう。
「……では、グラスはそれで構いません」
流石にこの取っ掛かりすら失うのは惜しいと思ったのだろう、フィレンツィは渋面で注文を入れてくる。その態度も含めて、正直気乗りはしないが、仕事は仕事と割り切ろう。
「そうですか。ではご注文、承りました。詳しいデザインに関しても、ここで詰めますか?」
「いえ、すべてそちらにお任せいたします。お値段に見合った仕事さえしていただければ、こちらに文句はありません」
グラスの形状、大きさ、加工の有無やその意匠と、注文を受けたからには話し合っておかなければならない事は多々ある。だがフィレンツィは、おざなりな態度でそう宣う。どうやら本当に、仕事の依頼はこちらとの関係維持以上の思惑はないらしい。もしかしたら、それを見越して吹っ掛けたと思われているかも知れない。
勝手に作って、あとからあれが気に入らない、これを変えろと言われたって、一切取り合わないけど、いいよね? ステムもプレートもない、ボウルだけのタンブラー型切子グラスに、ドゥーラ選帝侯の家紋入れても怒るなよ?
……いや、流石にそれはあからさまにケンカを売り過ぎか……。でも、ちょっと家紋のデザインが違う程度のミスは、仕方ないよね。打ち合わせを拒否したのはそっちなんだから。……まぁ、しないけど。仕事だし。
「わかりました。デザインはこちらで決めさせていただきます。本日のご用件は、以上でよろしいでしょうか?」
「……そうですね。本日のところは、この辺りで……」
フィレンツィは、多少不服そうではあったが、仕事の依頼主という関係を構築できた事で、最低限度の仕事は果たしたと判断したのだろう。頷きつつ、部屋を辞去する旨を告げてくる。
はぁ……。疲れた。
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