第19話 名無しの権兵衛からの使い

 クルに案内されてやってきたのは、少し神経質そうなおじさんだった。中肉中背、濃い茶髪に明るめの茶色い瞳。質の良さそうな服だが、このアルタンで浮かない程度のものであり、恐らくは、こちらで誂えたものだろう。


「初めまして。ショーン・ハリューと申します」


 僕はそんなおじさんに、先に名乗る事で下手にでつつ挨拶をする。おじさんはどこか満足そうに笑みを浮かべると、そちらも挨拶を返してくる。


「こちらこそ初めまして。私はフィレンツィと申します。然るお方から、あなた方ハリュー姉弟に、良いお話を持って参りました。して、そちらのご令嬢は? まさか、そちらがお姉様ではありませんよね?」


 男はにこやかに挨拶をしたのち、訝しげにポーラ様を見ながら訊ねてくる。僕らハリュー姉弟は、双子だっていうのは知られているからね。まったく似ても似つかないポーラ様と一緒に出迎えた点に、不審を覚えたのだろう。

 なお、グラはまたも欠席だ。流石に、まだ応対を任せられる程、対人能力のお勉強は進んでいない。ポーラ様ほどに寛容な相手であれば、同席をさせても良かったかも知れないが、『然るお方から』などと名乗る大公の使い相手に、そのような火種を残して応対するのは不用意以外の何物でもないだろう。


「私はこの町の代官をしている、ポーラ・フォン・ゲラッシだ。本日は、ハリュー姉弟に注文していた酒杯が出来あがったと聞いて、予約も取らずに受け取りに参じてしまった為にここにいる」


 どうやらそういう建前で、泥をかぶってくれるらしい。まぁ、僕が助けを求めたと詳らかにすると、こちらの落ち度として、大公側に見られかねないしね。


「ッ!? さ、左様ですか……。ですが、御用がお済みなのであれば、お帰りになられては?」


 ポーラ様の正体が、この町の代官であり、ゲラッシ伯爵の血族であると察し、一瞬言葉に詰まったフィレンツィと名乗った男は、すぐににこやかな仮面を被り直すと、やんわりと『さっさと帰れ』と告げる。だがポーラ様は、そんなフィレンツィの慇懃無礼なセリフに、ド直球の言葉を返す。


「いやいや。我が領の要人であるハリュー姉弟の元に、然るお方からの使者などという者が接触しているともなれば、代官としても領主の娘としても、なかなか見過ごせる話ではない。是非とも私も同席させてくれ。無論、ショーン殿が同席を許してくれれば、であるが?」


 歯に衣着せず、お前は怪しいから同席させろと宣うポーラ様に、流石にフィレンツィも顔を引き攣らせて笑顔を引っ込めた。やはりこの人は、アイロニーで殴り合うような慇懃な立ち居振る舞いよりも、直截的でストレートな表現を好むらしい。

 僕はそんなポーラ様に頷く。


「僕としては構いませんよ。どこのどなたかもわからぬ相手と、単独での交渉というのは、やはり心細いですからね」


 ポーラ様からの申し出を受け入れた事で、フィレンツィの抗議の視線が飛んでくる。表情こそにこやかだが、僅かに口元が戦慄いているのが見て取れる。


「そうですか……」


 だが、領主側の同席者がいるからと難色を示すわけにもいかず、また身元を明らかにしていないという負い目から、彼は低い声でそう言ってからは口を噤んだ。ゲラッシ伯爵に話を通していないであろう現状で、これ以上拘泥するのは悪手に過ぎると判断したのだろう。

 僕はそんなフィレンツィを、応接用のテーブルへと誘う。ミルとクルにお茶を淹れてもらい、唇を湿らせる程度にカップに口をつけてから、フィレンツィと向かい合う。僕の隣にはポーラ様がいたが、彼女はあくまでも同席している部外者なので、ここからは僕とこの男との交渉である。


「さて、まずは……、然るお方からのご使者との事ですが、それはこの場でも名を明かせぬお相手なのでしょうか?」


 まずは僕から口火を切って訊ねる。対するフィレンツィは、チラりとポーラ様を見てから首を振った。


「この場におられるのが貴殿だけであれば、私も主の名を明かす事ができたのですが、同席者がおられる状況では如何ともし難く……。申し訳ありません」

「そうですか。ご領主の血族に連なる方に名を明かせぬという事は、もしかして裏の組織からのお使いでしょうか?」


 僕の切り返しに、フィレンツィの顔が一気に紅潮する。テーブルの上で握られた拳がプルプルと震え、なんとか怒りを堪えようと必死になっている様子が見て取れる。

 なるほど。この男、主であるヴェルヴェルデ大公が侮辱されたと思って憤るという事は、かなり忠誠心に厚いようだ。


「お気を悪くされたのなら申し訳ありません。僕らは別に、裏の組織に偏見などありませんし、なんとなればウル・ロッドというマフィアとも付き合いがあります。ただ、流石に犯罪に使われるようなマジックアイテムのご注文ともなると、お受けしかねる次第でして……」

「……裏の組織などではありません」


 もはや不機嫌そうな声音を隠せなくなっているフィレンツィが、そう答えるのを聞いて頭を下げる。


「それは失礼いたしました。他意はございませんので、聞き流していただけると幸いです」

「……そうですね。聞かなかった事に致しましょう」


 元はといえば、名乗らないお前のせいだけどな。まぁ、いまのは彼の後ろにヴェルヴェルデ大公でいるという情報を掴んでいたからこそ、できた揺さぶりだ。あとでジスカルさんにはお礼をしておくべきだろう。ああいう人とのつながりは、お金では得られない価値を生む。


「して? ならばご用向きはいかなものなのでしょう? ご承知かとは存じますが、幻術のマジックアイテムは、ものによっては許可を得ねば作れぬものも多く、流石にお名前も存じ上げぬ方に作るのは、少々難しいのですが……」


 基本的に、ウチに申し込まれる案件というのは、マジックアイテムの製作依頼だ。ポーラ様が言う通り、もしかしたら僕らの引き抜きが目的かも知れないが、まさか相手の名前も知らぬ状況で、こちらが引き抜きを了承するなどとは、眼前の男も思ってはいまい。


「そうですね……。……ひとまずは、ご姉弟の作品である【鉄幻爪】なる指輪の注文をさせていただこうかと。我が主が、昨今話題のその指輪に興味をお持ちでして、なんとか入手の段取りを付けようと、こうして直接お願いに出向いた次第です」


 フィレンツィは一つ頷いてから、しばし沈黙したのち言葉を紡いだ。どうやら、目的を顔繋ぎに変更したようだ。まぁ、注文さえしておけば、次のアポを取ったも同然だからな。

 ただ……――


「【鉄幻爪】のご注文は、かなり先々まで埋まっているのですが……。勿体なくも、貴族の方からもご注文をいただいておりますれば、軽々にその順番を違えるわけには……」

「そこをなんとかなりませんか? 料金には糸目を付けるなとも仰せつかっております」

「ううむ……。その辺りの手続きは、我が家の執事であるジーガに一任しておりまして、調整の都合がつくのか否かも、いまここでは明言できないのです……。ジーガは他にも仕事があった為、アルタンに残しておりますので。どうしても【鉄幻爪】をお求めであれば、アルタンにて当家の執事と交渉をしていただけませんか?」


【鉄幻爪】の窓口は、基本的にはジーガだ。勿論、僕らが自己判断で売ったりあげたりする分には自由なのだが、この男を相手にそこまで融通を利かせるつもりはない。そもそもこちらはバカンス中なのだ。そんなところに、渉外担当を無視してアポをねじ込んだうえで、仕事の依頼をするというのはどうなのだろう?

 いやまぁ、それを言い出したら、ポーラ様やジスカルさんも同様だが……。

 ヴェルヴェルデ大公の使いと名乗っていたら、まぁ都合してやらない事もなかった。流石に、そこまでの大貴族が相手であれば、臨時に一つ二つ【鉄幻爪】を作るくらいの手間はかけても構わなかった。だが、名無しの権兵衛相手では、正式な手続きを踏め、で終わりである。

 取り付く島もないような僕の応対に、鼻白んだような表情になるフィレンツィ。流石に、この程度の注文は上手くいくと思っていたのだろうが、ことごとく思惑を外されている現状が不満なのだろう。

 だが、それを僕に覚られるような態度はどうなんだ? いやまぁ、そこまであからさまな態度ではないが……。


「そうですか……」


 そうとだけ零し、今度こそ沈思黙考し始める。あくまでもヴェルヴェルデ大公の名を出さずに、現状をなんとかするつもりだろうか? まぁ、ポーラ様がいる以上、それも仕方がないのだろうが。

 そんなポーラ様を、フィレンツィが瞥見し、なにかを思い付いたかのように口を開いた。



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