第121話 サイタンの戦い・1

 ●○●


 敵伯爵軍に、攻撃の動き有りとの報を受け、我々も所定の位置につく。よもや、劣勢の向こうから攻撃を仕掛けてくるとは……。

 やはり、御曹司の言うように、向こうの大将ディラッソ・フォン・ゲラッシには不安と焦りがあるという事だろうか。


『諸君よ――』


 やがて、その伯爵公子自らが陣の前で演説を始める。同時に、こちらの御曹司も慌てて演説の用意を始めた。敵にばかりいい格好をさせていては、士気に関わると思ったらしい。だが、あの御曹司に即席の演説などできるのか……。甚だ不安である……。

 その点、向こうの演説はなかなかのものだ。自らの未熟を恥じず、素直に兵に助力を乞う。御曹司には絶対に無理な真似だな……。兵らに、頼りにされているという一体感を覚えさせ、故郷を防衛するという意識が、否応なく士気を奮い立たせる。あれならば、伯爵軍の雑兵らもギリギリまであちらの公子を見放すまい。

 さて、その点こちらはどうだろうな……。

 そんな事を考えていたら、思いがけぬ名前をゲラッシ伯爵公子が口にする。


『――敵はたしかに多く、精兵揃いだ!! されど安心せよ!! 我らには、【白昼夢の悪魔】がついている!!』


 わざわざ、斥候を放って確認するまでもなかったな。

 どうやら、我々の狙いであるハリュー姉弟の片割れというのは、伯爵領でもそれなりに名の知れた者のようだ。兵を鼓舞する為に、その名を用いようとは……。

 あるいは威圧だろうか? いや、こちらで名が売れていない冒険者の異名を、威圧に使おうなどとは思うまい。実際、帝国兵の中には、なにが悪魔だとせせら笑っている兵も見られる。

 だとすればやはり、味方の鼓舞の為にその名を出したのだ。ショーン・ハリューというのは、それだけの人物なのだ……。その事を改めて思い知っただけで、胃の腑の重さが倍増する……。

 御曹司が自軍を鼓舞する為に、威勢のいい言葉をかけていたが、それ程効果は見られない。残念ながら、尊大で杓子定規なだけの御曹司の演説には、兵を奮い立たせるような力はなかったようだ。


『――我らは悪魔の力を借り、今宵すべての帝国兵の悪夢となろう!! 彼奴等に一滴たりとも、我らの水を与えるな!! 一粒たりとも、我らの麦を与えるな!! これ以上、一瞬たりとも我らの土を踏ませるな!!』


 少なくとも、演説の腕前は敵の公子に軍配が上がったらしい。これが、戦の勝敗まで同様であって欲しくはないものだ……。

 森林からも鬨の声があがったような気がしたが、果たして反射か、本当に伏兵がいるのか……。まぁ、十分に手当てはした。これ以上は、そちらの部隊に任せるしかない。

 伯爵軍が動く。いよいよか……。


『突撃ィィィイイイイイイ!!』


 緊張の滲む、切迫した金切り声が響き、伯爵軍が進撃を開始した。歩兵の進軍とは、得てしてゆっくりとしたものだ。だが伯爵軍の戦列の前には、まるで一騎駆けするように騎兵がいた。ただの騎兵ではない。竜騎兵だ。つまりそれは――


「来るぞ! 総員、槍掲げ! 前列! 構えぇ!! あの竜騎兵が、この戦いにおける一番の手柄首だ!! 討ち取って名を挙げよ!!」


 ショーン・ハリュー。我々が戦う理由であり、最悪この少年を討ち取れれば、伯爵領を刈り取らなくても目標は達成できる。そもそも、こんな南の外れの領地など得て、どうするというのか……。

 エウドクシア様と同じく、黒い鎧に身を包んだ小兵こひょうだが、間違いなく弱兵ではない。その背にはなにかしらの術で、いくつもの武器が浮遊している。その小柄な竜騎兵が、背後から立派な斧槍を抜くと同時に、こちらも矢を射掛け始める。

 チッ。弓兵隊は逸ったな……。雑多な矢玉では、あの鎧を貫く事は叶わない。騎獣を狙おうにも、相手は竜。そちらもまた、山なりに降り注ぐ矢など、雨粒と変わらぬとばかりに弾き飛ばしている。

 弓兵が本来相手にすべき敵歩兵は、未だ射程の外だ。結果的に、衝突時に相手に与えていたであろうダメージが低減されてしまった。

 ショーン・ハリューは、竜の手綱を離すと、まるでなにかへ祈祷するように、頭上で両の手首を交差させ、朗々と唱える。


「【開け、射干玉色ぬばたまいろ玉匳たまくしげ】! 【黒神チェルノボーグ】!!」


 まるで夜が滲み出したかのように、ショーン・ハリューの周囲を黒い霧が包んでいく。煙幕? いや、それだけとは思えない。


「ショーン・ハリューの幻術だ! 惑わされぬよう、各自対策を施せ! 心を守れ!」


 私が声をかければ、多くの騎兵らは頷いていたが、兵らは不安そうな表情だ。仕方がないだろう。誰もが、生命力の理を用いて心を守れるわけではない。騎士や冒険者など、戦闘を生業としている者でもなければ、独力での幻術への対処は難しい。

 そう考えると、戦における幻術というものは、なかなかに厄介な要素だ。下手をすれば、一気に兵の士気をへし折られかねない。


「なッ!?」


 どよめきがあがる。私も驚愕に目を見張った。

 ショーン・ハリューを包んだ夜の闇は、瞬く間に意味ある形へと変化し、骨の騎獣に乗った骸骨たちの軍勢に変わる。その姿はまさに、夜の軍勢。

 数百の骸骨騎兵の登場に、兵らが動揺する。こちらの心理状態に悪影響を及ぼす幻術ではなかったが、その代わりに一気に兵力を補うような軍勢を呼び出すとは……。

 いや、流石にそれはないはずだ。そのような【魔術】があるわけがない。これもまた、ショーン・ハリューの幻だ。


「狼狽えるなッ!! あれはただの幻術! 張子の虎だ!」

「そ、そうだ! ショーン・ハリューは幻術師! 虚仮威しで我らの動揺を誘っているに過ぎん!」


 私が声をあげれば、其処此処から兵らを鼓舞する声がかかる。次第に兵らも、動揺から抜け出し、眼前に迫る夜の軍勢に対して、罵声と槍の穂先を向ける。

 草原を駆ける黒鎧の騎士が斧槍を一閃すると、その軌跡をなぞるように、一条の炎があがった。兵らに再度の動揺が走る。やはり、火というものは、どうしたって本能的な恐れを喚起する。

 だが、夜の軍勢の登場に比べれば、なに程の事もない。すぐに動揺は収まる。大丈夫だ。


「カロロロロロロロロォ!」


 竜が吠え、それに呼応するように骸骨どももカラカラと呼応する。その不気味な光景が、いやがうえにもこちらの士気を挫きにかかる。

 そしてとうとう、帝国軍と夜の軍勢がぶつかった。

 まず槍衾が向けられたのは、当然ながらショーン・ハリューだ。散々こちらの注目を煽ったのだから当然だ。

 無数の槍が、彼と彼の乗る竜へと殺到する。ベキベキという、人と人とがぶつかったとは思えない音が響き渡る。あれならば、いかな鎧武者であろうとも、流石に死んだと思うような衝突の仕方だ。鋼鉄とて、不壊ではないのだ。

――だが。

 わあという驚愕の声があがったと同時に、ショーン・ハリューに対峙していた兵らは撥ね飛ばされ、竜に乗った黒騎士は、あっさりと歩兵隊列の一列目を突破した。


「なんだとッ!?」


 本来、突撃してくる騎兵を待ち構え、貫くはずの槍は、その艶のない黒い鎧に当たった端から、まるで枯れ枝のようにへし折れていく。騎竜の方も、刃が通る事はない。精々、多少鱗が傷付いた程度だ。

 衝突する端から、巨大な質量に撥ね飛ばされて、人が木の葉のように宙を舞う。あの突進の衝撃力を殺しきるには、もはやそれだけの人の壁を消費する他ないか……。

 我らは、懐にとんでもない火種を抱え込んでしまった。だが、これだけならば、問題はない。背後を閉じて、あの黒騎士を孤立させてしまえばいい。

 流石に、あの者もいつまでも戦い続けられるわけはないのだから。

 そして、ショーン・ハリューの突撃に数秒遅れるようにして、夜の軍勢もこちらの隊列と接触する。


「ハ――ハハハ!」


 思わず笑い声が漏れた。

 骨の騎兵らは、そのほとんどが衝突と同時に姿を消した。なにか仕掛けがあったのか、幾体かは消えずに戦闘となったが、あれらすべてが消えなかった場合と比べれば些末事であった。

 夜の軍勢は、案の定ただの虚仮威しだった。私は、迫る敵軍を見詰める。いよいよ、敵伯爵軍本隊が眼前に迫っていた。


 大丈夫……。大丈夫だ。最大の懸念だった、ショーン・ハリューの幻術は克服したのだ。このまま接敵すれば、我らの勝利は揺るがない。



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