第93話 軽い神輿の置き処

 ●○●


「クソ、クソ、クソッ! どうして私が、このような後方に捨て置かれているのだ!?」


 今日も今日とて、御曹司は不機嫌であらせられる。その原因は言わずもがな。このナベニ侵攻軍の総司令であるタルボ侯爵に食って掛かっては疎まれ、中央から帝国軍本隊を連れてきた将軍からも、侵攻軍全体の足並みを乱すと疎まれて味方をされず、結果として軍の最後方という形で冷や飯を食わされているからだ。

 本来ならば、後方支援というものは重要な生命線でもある。もしも敵の奇襲で壊滅などすれば、前線は袋のネズミも同然だ。敵が、後方を扼す姿勢を見せただけでも、帝国軍は対処を強いられるだろう。

 だが、今回の戦においては違う。これまで我々を阻む壁だったパティパティアは、今度は我々を守る盾となる。結果、我らが御曹司は、お題目は殿軍という大役を有しているが、最後方で手柄を立てる機会は絶対に巡ってこないであろう場所にて、ただただ兵糧を減らすだけの仕事というわけだ。


「私を誰だと思っているんだッ!」

「し、しかし、考えようによっては良かったかも知れません。戦で兵や命を失う危険を冒さずとも、殿軍を務めたという事実は、それなりの軍事経験として認められます」


 ローニヒェン男爵が、慰めのつもりなのかなんなのか、オドオドと言い募る。御曹司の方はといえば、当然そのようなお為ごかしを言った小男を、ギロリと睨み付ける。


「その程度の手柄を立てる為に、この私自らがわざわざ軍勢を率いて、こんな南方くんだりまで赴いたと思っているのか!? 侯爵領で盗賊討伐でもしていた方が、よっぽど有意義だったわッ!!」

「で、ですが公子殿、此度の戦に参――」

「僕の名前は、ディートリヒだッ!!」

「ヒィ……!」


 いよいよ怒り心頭に発した御曹司は、手元のカップをローニヒェン男爵に投げつける。いまだ爵位も有していない若造にあるまじき振る舞いだが、我らポールプル派の貴族にとっては、将来のポールプル侯爵家の跡取りというだけで、その振る舞いに口を挟むのは憚られる……。

 どうやら御曹司は、タルボ侯を始めとした南部の貴族らに公子公子と呼ばれすぎたせいで、この呼ばれ方に心底嫌気がさしているらしい。その点がわかっただけでも、ローニヒェン男爵には感謝せねばな。

 ポールプル侯爵閣下のおまけのように呼ばれていると感じるのだろうか……。


 それから数十分の間も荒れに荒れた御曹司の癇癪を、なんとかやり過ごした我々は、我々が駐屯を命じられている砦の一室で一息吐いていた。

 ローニヒェン男爵や私のような、代替わりのしたての貴族は、此度のような大規模な戦に参陣したというだけでも十分な箔となる。当主の代理として参戦した者らにとっても、なにもせずとも功績が転がり込んでくるこの立場は、そう悪いものではない。

 御曹司に任された殿軍という扱いはあくまでも張子だが、張子なりの旨味もあるのだ。その一番の利点が、危険を冒さずとも、そこそこの功績を得られるという点だろう。そこは一応、タルボ侯と将軍が、ポールプル侯爵家に対して、最低限は気を遣っているという証拠でもある。


「御曹司には、そのくらいの扱いで、我慢してもらえないものかね……」

「無理だろ。ポールプル侯爵家だぜ? あの親にしてこの子ありってところさ」

「違いない……」


 私は大きく嘆息すると、手元の木製ジョッキからワインを呷った。

 いまでは貴族と辺幅を飾り立ててはいるが、帝国ができるまでの我々は、現帝国領内に散在する遊牧民族の一部族だった。寄り集まる事で、昔より影響力が強まり、暮らしも豊かになったようだが、やはり野卑な根っこはなかなか矯正できるものではない。

 私の倅に代替わりする頃には、遊牧民時代を知らぬ世代として、普段から貴族として振舞えるだろう。なので、私の代までは、こうして振舞う事を許して欲しい。

 そうして、しばらく同じ境遇の貴族らとくだを巻いていたところに、一人の兵士が走ってくる。その者は我々の前にくると、背筋を正して用向きを伝えてくる。


「ボーデン子爵閣下。ポールプル侯爵公子様への面会を求めている、怪しい者がおります。我々では判断が難しく、ご指示をいただきたく思います」

「うん? 身分は聞いたのか? 飛び入りで公子殿にお会いできるわけがないだろうに、随分と無礼なヤツだな」


 ワインによって鈍った判断力でも、そのような不逞の輩を御曹司に会わせるわけにはいかないとわかる。それは、兵士らにも自明のはずだが……。

 私の言葉に、曖昧な表情を浮かべる。なるほど、怪しいからと、叩き出すわけにもいかないからこそ、私に判断を仰ぎにきたわけだ。


「その……、その者は第二王国からの密使を名乗っております。密使の証はあるが、ポールプル侯爵公子様でなければ見せられぬと……」

「なるほど……」


 密使か……。これまた面倒な……。

 それが本当に密使であるのかどうかもそうだが、公子相手の使者ともなれば、それなりに身分のある者である可能性もある。兵士らが、私に投げてよこすのも当然の厄介事だ。

 とはいえ、ここで嫌だと言えるわけもなければ、酔いを理由に断るわけにもいかない。仕方なく私は、それなりの手勢を連れて、件の密使とやらに会う為、重い腰をあげた。



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