第92話 失態と指摘
まぁ、この人たちにとっては、大事件だろう。ゲラッシ伯爵領を押し通る懸念すらあったところに、完全に予想外の場所に、突然帝国軍が出現したのだから。実際、この事が第二王国の上層部にまで伝われば、そちらも上を下への大騒ぎになると思う。
とはいえ、僕らにとってはホント、いまさら過ぎる話だしなぁ……。
「その反応……、もしや既に知っていたのかな?」
「ええ、まぁ。カベラ商業ギルド経由で……。ただ、まだまだ眉唾の話としてしか聞いておりませんでしたから、実際にそうなのかと驚いてはいます」
「ふむ。あまりそうは見えなかったが、事前情報があったというのなら、納得ができる。しかし、帝国は再びパティパティア越えをしたという事か? いくらなんでも無謀に思えるのだが……」
「しかし兄上、一度成功しているのだ。帝国が同じ事をするのは、それ程おかしな事でもあるまい?」
ポーラ様が不思議そうに訊ねてくるが、ディラッソ様は即座にその質問に首を振る。
「一度目のパティパティア越えが上手くいったのは、それが完全な不意打ちだったからだ。だが、今回は二度目だ。元ナベニ共和国の
まんま、今回のタクティ山麓の戦いで、マフリース側が狙っていた状況だ。これが叶っていれば、本当にマフリース連合だけで帝国軍を封じ込められたかも知れないという点を思えば、山越えというのがいかにリスクかは自明だろう。
ハンニバルがカルタゴ・ノウァを発った際には、歩兵騎兵合わせて十万を超えた大軍勢も、ガリアでは四万六〇〇〇、アルプスを越えた際には二万六〇〇〇にまで減っていたらしい。ピレネーとアルプスという、二度の山越えで全体の七割強の兵力を失ったわけだ。普通に考えれば、これはこれは壊滅的な打撃といえる。
流石に、現在の北大陸の技術力を考慮すれば、ここまでの損害は出ないだろうが、さりとて無傷での越山は不可能なのもまた事実。実際、先の侵攻においては、帝国はかなり手痛い損害を被ったらしい。
また、彼らナベニ共和圏に離反された理由も、山越えの道があまりにも危険で不安定だったからだ。一度その道が閉ざされてしまえば、帝国とナベニとの間には、巨大なパティパティア山脈が壁として立ちはだかり、回り道には時間がかかりすぎる。
「……だからこそ、ナベニ共和圏の各
「だが此度の宣戦布告に加え、既に共和圏内に帝国軍の侵入を許している、か……。ナベニ側の勝利は難しそうだな……」
ディラッソ様の説明に、ポーラ様はやれやれとばかりに嘆息する。
もしもスティヴァーレ圏が一致団結して、帝国の侵攻を阻むという流れにできるなら、この状態からでもなんとかなったかも知れない。ただし、ナベニポリスは教会とは犬猿の仲だ。正式に破門状までいただいている状況で、協力は申し出れないだろう。
「できれば、帝国がいかにしてベルトルッチに入ったのか、その情報だけでも掴んでおきたい。もし万が一、それが帝国=ベルトルッチ間だけでなく、帝国=第二王国間にまで使える方法だった場合、王冠領のどこからでも、帝国が攻めてくる可能性がでてくる。第二王国防衛において、それは重大な懸念だ」
ディラッソ様が深刻そうな表情で漏らすが、その心配は正鵠を射てしまっている。パティパティアに守られているのは、ベルトルッチ平野だけではないという事だ。そして、流用が可能か不可能かでいえば、可能なのだ。……まぁ、帝国単体でそれが可能かどうかは、また別の話だが。
「それよりも、この戦争に対するゲラッシ伯爵領の動きはどうなるのです? 既に、各地で徴兵を行っているのですよね?」
「ああ、その事だがな。父上は、ひとまずサイタンに集めた兵はそのままで、パティパティアのこちら側で新たに兵を徴し、ウワタンに詰める事になると思う。港湾都市ウェルタンに集まりつつある王国軍も、基本的には峠のこちら側で待機する事になる」
ふむ。ひとまず、帝国がサイタン、シタタンを突破して、峠から第二王国を脅かすという心配はなくなった為、警戒度そのものは下ったという感じか。そうなると、わざわざ難所である峠道を通ってまで、兵を動かす必要もないと。
「ただ、そうなるとサイタンやシタタンが無防備になりますが? 帝国が兵を集めているのは事実ですし、安易に無防備な横腹を晒すべきではないでしょう?」
僕がそう問えば、わかっているとばかりに肩をすくめるディラッソ様。そのインテリっぽい雰囲気もあって、ちょっとキザったらしいその仕草に、イラっときたのは隠しておこう。
「その通り。だから私は、サイタンに詰める事になっている。ポーラも、私のお付きとして同行する。まぁ、まず要らぬ心配だとは思うが、ショーン殿の言う通り、無警戒でいていいわけではない。とはいえ、兵力の大部分が、パティパティアのこちら側に待機する事になった以上、万が一帝国が攻めてきた際に、我々にできるのは時間稼ぎくらいが精々だ。そこで提案なのだが、できれば君たち姉弟にも、サイタンまでついてきて欲しいのだが、どうだろう?」
おっと。そうきたか……。
しかし、将来的にゲラッシ伯爵家の家臣となる以上は、この申し出は断れない。むしろ、ここで断るような輩は、向こうが配下として加えたくはないだろう。
主が危険な任務に赴くというのに、同行を拒む家臣など信用ならないにも程がある。ただでさえ譜代家臣らから反感を買いそうだというのに、さらに軋轢の種を増やしては如何ともし難い。
ただ、僕はもう少しあちらでの戦争に加わらないといけないんだよなぁ……。いや、役割的には既に終わっているのだが、事戦争となるとベアトリーチェの能力が心配すぎる。あっさり死なれちゃ、ここまで肩入れした甲斐がない。
「そうですね……。牧場関連で、まだ少しやっておかなければならない事が多いですし、竜たちの食糧も事前に確保してからになりますが、その後にという話であれば、是非ともお供します」
「それはありがたい。いざというときにも、君たち二人がいれば百人力……、いやこの数字は過小評価に過ぎるな。十万の味方を得るに等しい心強さだ」
「それはいささか過大評価に過ぎるかとは思いますが、ご期待に添えるよう微力を尽くさせていただきます」
苦笑しつつそう答える。まぁ、リップサービスの類だろう。本当に帝国が攻めてくるとは思っていないだろうし、実際のところは、僕らのお披露目というか、家臣に迎える為の下地作りのようなものになると思う。
そうなると、グラを連れて行くのは必須となるか……。ああ、もっと早く、ギルドの貴婦人にお行儀作法の授業を頼んでおくんだった……。付け焼刃にはなるが、いまからでも、少し頼んでおこう。
幸い、あまり戦争にギルドは関係ないから、いまは然程忙しくはないだろうし。
「ところでショーン殿、君はベアトリーチェ・エウドクシアという女性を知っているかな?」
「ええ、まぁ。彼女を帝国まで送り届けたのは、僕らですから……」
さも世間話に戻ろうかとでも言わんばかりの態度で、ディラッソ様が話題を振ってくるが、その表情や口調の端々から不穏なものを感じるのは、僕の気のせいだろうか……?
「実はそのエウドクシア嬢が、件の戦に参戦しており、竜を駆って見事敵将を討ち取ったという情報も流れきている。とはいえ、これはあまり正確な情報ではないのだがね」
「へ、へぇ……、まぁ、戦場の手柄は買えますから……」
暗に、雑兵が討ち取った将の首を、対価と引き換えに自分のものとしたのでは、と伝える。それは往々にしてあり得る事である為、ディラッソ様もうんうんと頷いている。
「そうだな。ところで、君の牧場で育てられている竜たちは、元気かな?」
「ええ、まぁ。ホフマンさんに売った二頭以外はとても元気ですよ」
この点は既に、問題は解決済みなのでしれっと答えておく。実際のところ、当時のゲラッシ伯爵領の状況では、竜の管理などという問題は解消できなかったので、維持管理を担ったホフマンさんに売った点に関しては、文句を言われる筋合いはない。
そこを糾弾されても、自分たちだけでは四頭とも餓死させていたと言い張れば、竜に関しては一切寄与していない連中の言葉は、完全に外野からの野次でしかない。
「そうか。四頭の内、二頭が帝国の手に渡ってしまったのは、実に痛恨の出来事であったが、これはまぁ仕方がないな。ところで、これもまた未確認の情報ではあるのだが、彼の女傑は、竜に跨り、光を反射せぬ黒の鎧を身に纏い、伸縮自在の戦斧を武器に、豪傑デカント・タラチネス殿を討ったという。誠に見事な武勇だな」
「…………」
「他の家臣や、他家に突かれぬように、竜と同時に件の商人に売ったという事にしておくように。また、以後君の武具の類似品は、できるだけ他所に流さない方が、君たち姉弟にとってもいいだろう。場合によっては、我が家が仲介に立って、売買の証人となってもいい」
「ご助言、ありがとうございます」
まぁ、これは実際僕が悪い。いくらなんでも、僕とベアトリーチェの類似点が多すぎる。同一人物と思われる事はまずないだろうが、帝国への肩入れが過ぎると、流石に第二王国陣営の目が厳しくなる。
特に、マジックアイテムの兵器を供与するというのは、いろいろとマズかった……。あとは、炭化ホウ素の鎧というのも、性能を思えば軽々に他国に流すべきではない。まず真似はできないだろうが、そこを指弾してくるような連中に、そんな理屈が通るわけもない。
指摘してくれたのがディラッソ様だったのは、幸いだった。
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