第91話 ゲラッシ兄妹の定期訪問

 ●○●


 とはいえ、すぐに戦闘なんて起こらない。帝国軍は、ベルトルッチでの足場固めに血道をあげており、ナベニポリスは自軍の引き締めに躍起になっているらしい。そんなわけで、決戦はたぶん一月先という話である。

 まぁこれは、どちらかが相手の裏をかいて、不意打ちを試みれば変わってくる予定だ。ただ、帝国は時間をかける程有利になり、ナベニは防衛戦の準備を進めている以上、まずリスケの惧れはないだろう。


 そんなわけで、今日の僕はアルタンの町に戻ってきていた。定期的に戻らないと、グラが非常に不機嫌になるので仕方がない。そして、なぜか最近、ちょくちょく顔を出すようになっているのが、ゲラッシ兄妹だったりする……。


「ふむ。ショーン殿としては、戦場における投射兵器の役割を重視すべきと?」


 我が家の談話室のソファに腰掛けたディラッソ様は、その理知的な双眸に真剣な光を灯してそう問うてきた。一緒に来たポーラ様は、お茶請けのクッキーを本当に美味しそうに食べており、こっちの話に加わる気配はない。

 これまでは貴重すぎて貴族ですらあまり口にできなかった、バターが使われているクッキーだからね。作るのは大変だったけど……。

 まぁ、クッキーの味以前に、そもそも彼女はこの手の話にあまり興味はなさそうだ。


「現段階における、戦争の主力は騎兵です。であれば、その攻略方法を最優先に考えるべきかと。そして、その場合における最適解が、鎧越しにも通用する遠距離攻撃手段の開発と、槍兵による槍衾の構築による、密集陣形だと思います」

「ふむ……。しかし、単純な弓矢では重騎兵の鎧は貫けぬ。新たな兵器の開発をせねばならぬが?」

「いまの技術であっても、クロスボウならば鎧も貫けます。あるいは、マジックアイテムの兵器を量産し、歩兵に携行させるという選択肢もあります。これが戦力化できれば、歩兵だけで敵の騎兵戦力を迎撃できるようになります。数に勝る歩兵で、敵騎兵戦力に対抗できれば、現行の騎兵優先の戦術は、根底から瓦解するでしょう」

「ふむ。道理だ。だがしかし、やはりなかなか難しいぞ? クロスボウは装填に時間がかかる。その時間を捻出できねば、そこから敵の突破を許してしまう惧れとなろう。マジックアイテムの投射兵器は、一つ一つの製作コストが嵩みすぎて、とてもではないが大多数の歩兵に持たせるには向かない。一つを作るのに、魔導術を修めた魔術師が、最低一日は拘束される事になる。当然、材料費とてかかる。とてもではないが、剣や槍を支給するようには、揃えられまい」

「ですが、揃えられれば敵の基本戦術を破壊できます。たしかに初期費用はかかりますが、戦争に負ける事と天秤に懸ければ、どちらを選ぶかは迷う余地はないかと」

「むぅ……」


 悩まし気に呻吟するディラッソ様。僕の言葉にも一理あると納得はしつつも、やはりその為に必要となる莫大な費用を思えば、素直にそれを採用しようとはならないわけだ。まぁ、当然といえば当然。

 鉄砲伝来が一五四三年以後予算減るで、その鉄砲を戦術として確立させた長篠の戦いが一五七五年以後用はナイツの三二年後の事だ。つまりは、火縄銃の開発とそれを戦術に組み込むまでに、そこまでの時間を要したわけだ。しかも、この世界には鉄砲の影も形もないときた。下手すれば、もっとかかる。

……いまから三二年後……。うーん、僕らはともかく、ディラッソ様はすっかりおじいさんだろうな。そのときの為に、いまから莫大な予算をかけて投射兵器開発を進めろというのも、自分で言っていて無茶だと苦笑を禁じ得ない。

 なお、長篠の戦いの年号の覚え方は、僕のオリジナルだ。正直、先生に教えられた『イチゴ、夏越なごし』とか『人がコナゴナ』とかは、あまりピンとこなかったので、自分で作った。語呂合わせがしっくりこないときは、自分でオリジナルを作っちゃうと、忘れにくくていいのだ。

 なんてまぁ、偉そうにディラッソ様に語った僕だけど、そもそもこんなのは、地球の歴史の受け売りだ。実際にテルシオという前例があったればこそ、こうして訳知り顔で講釈を垂れられるわけで、要はテストをカンニングしているようなものでしかない。


「たしかに、敵が使うであろう戦法に対策があるというのであれば、金策を言い訳にそれを怠るのは愚かな話だ。しかしなぁ……」

「まぁ、現段階ではクロスボウを量産しておくだけでも、騎兵対策としてはいいかと思います。それと、量産を主眼においた遠距離攻撃のマジックアイテム開発も同時に進めておけば、必要になった際にもすぐに動けるかと」

「それが現実的か……。むぅ……、もう少し自由に動かせる資金があれば、話は早いのだが……」

「あるいは、港湾都市ウェルタンがゲラッシ伯爵領であれば、話は違いましたね」

「む?」


 僕の言葉に、ディラッソ様の眉根が寄って、渋い表情を浮かべる。まぁ、僕の言葉をそのまま受け取れば、王家の直轄領を欲しているような、不穏な言葉になる。

 だが、ウェルタンは元々はゲラッシ伯爵領の一部だったのだ。だが、件の遊牧民らの侵攻の際に失陥し、取り返した際に、王家の直轄領として組み込まれた。

 まぁ、第二王国からすれば、莫大な富を生むアンバー街道の終着港を、そっくりそのまま返してやる義理はない。王冠領としても、遊牧民からの侵攻を許してしまった負い目から、あまり強くは出られなかったのだろう。

 だからこそ、それを嘆く事くらいは許されるはずだ。ウェルタンの生み出す財源があれば、遠距離攻撃用のマジックアイテム開発に回せる予算もかなり増えたはずだ。

 まぁ、そのときのゲラッシ伯爵家は、いまのゲラッシ伯爵家とはあまり関係ない、かなり遠い親戚らしいので、そもそも彼らにウェルタンを『失った』という感覚があるかは、わからないが。

 ディラッソ様は渋い顔のまま肩をすくめると、致し方なしとばかりに首を振った。


「たしかに、ウェルタンのあげる利益は惜しいが、あれは王家の財産だ。我らがそれを欲するは、不敬どころか非常に危うい真似だ。もしも君が、私の部下になった際には、あまり口にしてくれるな」

「そうですね。失言でした」

「ふぅ……」


 少し疲労の滲むため息を吐いたディラッソ様が、一息吐いてからすっかり冷めたお茶で喉を潤す。

 この人は、初めて我が家を訪れたあの日から、たまにこうして我が家を訪ねてくるようになった。しかも、アポは前日、歓迎の用意は必要ないと言付けて、ポーラ様以外にはお付きすら連れずにやってくるのだ。いや、友達か。

 いくらなんでも不用心すぎるとは思うが、それだけ親しくしているというアピールなのかも知れない。まぁ、僕としても余人がいる状況だったら、さっきみたいな突っ込んだ議論は控えるだろう。


「どうやら、四方山話よもやまばなしは一段落ついたようだな」


 そう、呆れたような口調でポーラ様が会話に加わる。なお、この部屋にはグラもいたが、彼女はずっと本に目を落として、一切口を開こうとしない。せっかく僕が帝国から帰ってきているのに、二人の時間を邪魔されて不機嫌になっているようだ。

 あと、やっぱり失礼を働きかねないので、極力ゲラッシ兄妹とは会話をしないようにしているらしい。


「四方山話という程、あれこれと話していたわけではないよ」


 ポーラ様の言葉に、苦笑しつつもそう返すディラッソ様。まぁ、たしかに僕らは、一貫して戦術についてしか語っていない。


「四方山話でなければ、雑談か無駄話と言い換えようか?」

「流石に無駄話は酷いな。でも、そうだね。どうやらポーラも、いい加減焦れたようだし、さっさと今日訪ねた本題を話そう」

「さっさと、などと言えるような前置きじゃなかっただろうに……」


 なおも揚げ足を取ろうとするポーラ様のジト目を無視する形で、ディラッソ様は深刻そうな表情で話し始めた。


「実は……、帝国軍に動きがあったのだ。しかも、なんと――驚くなかれ? 実は帝国軍が既に――ベルトルッチ平野に入っているという情報が、入ってきたのだ」


 うん。まぁ……、知ってる。



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