第62話 大王烏賊

 とはいっても、この状況は既に詰将棋のようなものだ。ビッグヘッドにはタイムリミットがあり、僕はその間悪手を打たなければいいだけ。そして、ヘイト管理において、幻術はこれ以上ない有用性を発揮する。

 咆哮とともに突進してくる巨体は、杖を携えたまま走る僕を追いかける。その途上で、多くのモンスターをなぎ倒し、踏み潰していくがビッグヘッドは意に介さない。モンスターは蜘蛛の子を散らすように、僕らから離れようとするが、僕はむしろそいつらを追いかけるように、ビッグヘッドから離れる。

 しばらくは、鼬ごっこを繰り返しつつ、モンスターたちの被害を助長していく。だが、そんなビッグヘッドの巨大な顎門がとうとう、僕という獲物を捉えた――かに見えた。


「そっちじゃないよー」


 ビッグヘッドドレイクの巨大な口腔が、小さな僕の事を一呑みにする。だがそこで、巨頭の竜は気付く。そこにあるべき、肉を引き裂く感触も、断末魔も聞こえないと。まるで、虚空を呑んだかのようだ、と。

 その通り。それはただの幻。強過ぎる感情は、幻術を誘発するいい起爆剤だ。怒りであれ、敵意であれ、焦燥であれ、悲嘆であれ、幻術において感情それは、火を付けられるのを待っている導火線でしかない。

 つまりは、ああして苦しんでいるのも、僕の幻影を追いかけているのも、すべては文字通りの自縄自縛であり、自分で自分を傷付けているのと同義なのだ。


「【石雨ラピスプルウィア】」


 それに加えて、攻撃用の属性術も放つ。この石雨の術式では、下級とはいえ竜種のビッグヘッドの分厚い鱗を貫く威力は望めない。だが、傷は付かずとも高速の礫が無数にぶつけられるのだ。苛立たないわけがない。そして、その苛立ちは【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】を亢進させる。

 さらに、ビッグヘッドの周囲にいるモンスターにとっては、石の雨は無視できない脅威だ。当然混乱から右往左往するモンスター群が、僕とビッグヘッドとの間になだれ込む。

 ビッグヘッドは幻影を食まされた事に気付き、すぐさま僕を探し、再び僕に向かって突進しようとしたのだが、入り乱れたモンスターに行く手を塞がれ、たたらを踏む。その隙に僕は、ビッグヘッドを中心に円を描くように駆ける。

 苛立ったビッグヘッドは咆哮をあげると、その巨頭を振り回して周囲のモンスターを吹き飛ばす。だが、多くのモンスターの間に紛れた僕を見失ってしまったようだ。

 とはいえ、モンスターの群れだってただ混乱しているばかりではない。こちらに攻撃を仕掛けてくるものも、当然いる。そういったモンスターは、とりあえず盲目にしていなしているが、数が多くなってきたせいで、処理が追い付かなくなってきた。


「残念、後ろからもう一撃石雨を撃ち込みたかった……ッ!」


 そうこうしている内に、ビッグヘッドに再捕捉されてしまったようで、ギロリと僕を睨む、バスケットボールよりも巨大な目と目が合った。

 これでもかといわんばかりの怒りの感情が籠った咆哮をあげ、途上のモンスターを撥ね飛ばし、踏み潰し、ビッグヘッドが迫りくる。間の悪い事に、僕の周囲にはロックスケイルヴァイパーとダブルヘッダーがおり、こちらに敵意を向けている。一度に二頭は処理できず、時間をかければビッグヘッドに追い付かれてしまう。

 仕方がないので、ダブルヘッダーを優先して処理し、次にビッグヘッドの敵意ヘイトを幻影に移す。


「【幻惑ドローマ】」


 もはや、この幻惑の魔術に関しては、息をするように使えるといっても過言ではない。緊急回避において、これ以上に便利な【魔術】はないと確信している程だ。

 案の定、ビッグヘッドは再び幻影を一呑みにしたようで、明後日の方向へと噛み付いた。

 だが、僕が確認できたのはそこまで。いまはビッグヘッドよりも優先しなければならない相手がいる。当然、ロックスケイルヴァイパーだ。

 一見するとただの岩肌にしか見えない鱗を纏ったヘビの顔が、僕の胴に噛み付かんと迫っていた。一瞬、攻撃と防御、どちらを優先しようか迷った。その迷いが良くなかったのか、ロックスケイルヴァイパーの顎はガブりと鎧のうえから僕の胴を捉えてしまった。

 この依代の身体能力は、一般的な人間を凌駕する。それでも、体重は僕の身長に見合ったものしかなく、当然踏ん張りもきかない。軽自動車級の突進だって、ビッグヘッドはものともしなくとも、僕にとっては十分な威力だった。


「――ショーンッ!?」


 グラの叫びが聞こえた気もするが、そちらに顔や意識を向けている余裕はない。僕は腰から大王烏賊ダイオウイカを抜くと、胴体に噛み付いたまま信じられないものを見るような顔でこちらを見ている黄色いロックスケイルヴァイパーの眼球を突き立てた。さらに――


「蠢け――大王烏賊」


――僕は久しぶりに大王烏賊に付与された属性術を発動させ、眼下の奥にあるであろう脳を、水の触手でぐちゃぐちゃにする。ロックスケイルヴァイパーは悲鳴もあげられず、ビクビクと痙攣をはじめ、すぐに霧となって消えていった。

 今際の際にものすごい咬合力で鎧が軋んだ際には、ちょっとだけヒヤッとした。

 僕は腰の後ろに大王烏賊を納刀するが、水の触手はそのままだ。まるで、腰から四本の尻尾を生やした妖狐のようだと思ったが、ちょっと中二臭いと思い直し、表情を引き締めて周囲のモンスターを見る。


「【忿懣シモス】」


 追い打ちとばかりに、ビッグヘッドの敵意を煽る。当然、それに起因して怒りも増幅されるだろう。こいつが幻影を追っているうちに、周囲の厄介なモンスターを処理してしまおう。

 スリープゲッコー、フェイクドレイク、バーグラーサーペントの三頭が、こちらに敵意を向けている。それ以外は混乱しているか、僕が盲目にしたものばかり。警戒度を一段階下げておいて大丈夫だろう。

 スリープゲッコーは【魔法】持ちなので、注意しておこう。まぁ、幻術は僕の得意分野なので、早々後れを取るつもりはないが。

 杖を携えたまま駆け、まずはバーグラーサーペントを攻撃する。こいつは、戦闘中に相手を攫って餌にしようとする習性がある。この混戦で、攻撃以外の行動をされると動きが読みづらくなるうえ、仲間と分断されてしまう恐れもある。優先して倒しておきたい。


「【恐怖フォボス】」


 こいつは別に、怒りを煽る必要はない。幻術で煽る感情は恐怖でいい。

 案の定、まっすぐ進んでくる小柄な僕に、バーグラーサーペントが一瞬怯み、行動が鈍化する。その隙を見逃す事なく、水の尻尾で地面を強く蹴り、大蛇の懐へと飛び込んだ。



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