第71話 竜殺し

――メシメシメシィッ!!

 まるで、生木を裂くような音が響き、ついで硬質ななにかが床を転がる、カラカラという音がする。その音の発生源はしばらく床を転がったあと、壁にぶつかって止まった。

——それは、黒い爪。

 禍々しいまでに鋭く、大きく、頑強そうな――しかしもはやその役目を果たせなくなった爪が、虚しくゴツゴツとした岩肌の床に転がっている。その本来の持ち主であるコバルトスケイルは、信じられないものを見るような目で私を見ている。

 見事に籠手ヴァンブレイスを切り裂かれ、その奥にあった服も、鋭利な刃物で裁断したかのような切り口で両断されている。そしてさらにその奥にある私の腕にも、ツーっと一筋血が流れた。

 だが、それだけだ。一直線に刻まれた、少し浅い切り傷。放っておいても一週間と経たずに消える、生命力の理で新陳代謝を促進させれば、明日にも治癒している程度のかすり傷でしかない。半ばから爪を折られたコバルトスケイルの状態とは、比べるべくもない。

 このお互いの状態こそが、我々の実力差を如実に表していた。それを覚ったのか、コバルトスケイルは目に動揺と、たしかな恐怖を滲ませて一歩退いた。己の命運を託していた爪牙が、果物ナイフ程度の成果しかあげられないと知れば、それも当然の心理か。

……だがな……。


「——イモ引いたら、負けだぜ。負けってなぁ、死って意味だ」


 私の言葉を理解したわけでもないのだろうが、その青銀の竜はそこで立ち止まる。竜種としての誇りが、それ以上の無様を許さなかったのだろう。

 しかし、もはやそこに闘争心などは残ってない。種としての絶対的強者としての矜持だけで、コバルトスケイルドラゴンは立っている。だが、それ以上の行動は不可能なようだ。

 引導を渡すべきだろう。このまま生かしておけば、こいつはやがてただの大きなトカゲにまで成り下がる。竜のまま死なせてやりたい。

 そう思い、私は一気に距離を詰め——


「——ッ!!」


——脳天に拳打を撃ち放つ。

 なにかが砕ける硬質な音と、なにかが潰れる湿った音が同時に響き、コバルトスケイルはどうと地面にその身を横たえた。

 しばらくすると、青を中心とした光の霧へとその身を変えていき、残ったのは例の爪と、牙が数本。それに大きな魔石だけ。

 やはり、ダンジョンのモンスターの死というのは、それが雄敵であればある程虚しいものだ。拳を交えた相手が、ただの塵芥となって消えていく。

 それでも今回は、随分と形見が残った方だろう。然して雄敵というわけでもなかったが、末期の潔さだけは評価できる相手だった。牙くらいは手元に残しておいていいだろう。


「さて」


 それでは残務を整理しましょうか。


 ●○●


 コバルトスケイルが片付けば、残りはおまけでしかない。しかも、その片割れはろくに動けないときている。倒すのは然して労苦ではない。


「ふぅ……」

「少しは気晴らしになったかい?」


 いつの間にかそこにいたフォーンに言われ、苦笑しつつ頷いた。


「ええ、まぁ……」


 まるで母親に寝小便が見付かった子供のような心境だ。思っていたよりも、私は精神的に追い詰められていたようだ。昔のように暴れて、少し平常心を取り戻したおかげで、それを実感する。


「苦労性だね、あんたも。まぁ、その気晴らしで、躾のなってない若い犬が吠えなくなんなら、あちしにも文句はないよ」


 チラと背後を見るフォーンに釣られてそちらを見ると、青い顔のエルナトがこちらを見ていた。私と目が合った途端、慌てて目を逸らす彼に、フォーンがシシシと意地の悪そうな笑い声を漏らす。


「ウチの二大巨頭であるアンタが、あんな小僧に舐められてっと、あちしとしても困るんだからさ。ちったぁシャンとしなさい!」

「面目ない。お行儀を良くする事と、下の者に舐められないというのは、どうにも両立が難しいようで。この分では、ギルドマスターになっても、国やいまの幹部たちが期待しているような働きができるかどうか……」


 冒険者ギルドという組織は、その性質上どうしたって事務方と実務を担う冒険者との間に、意識の齟齬が生まれる。ときとしてそれが、決定的な決裂に繋がる事も多い。

 ギルドの統率から離れた冒険者がならず者と化す事も、冒険者を統率できなくなったギルドがその機能を喪失する事も、それなりにある事だが、それは国や人々にとっては害悪でしかない。だからこそ、冒険者ギルドの上層部には、私のようなあまり生まれのよろしくない、それでも上級冒険者に上り詰めた者の座る席が用意されている。

 しかも、私は【雷神の力帯メギンギョルド】の副リーダーという肩書きも持っている。

 冒険者たちを統率するにあたって、これ以上ない旗振り役だ。

 私も肉体の衰えを覚え、引退も見据えなければならない年齢だ。十分な蓄えはあるものの、安定的な職に就けるのであればありがたい。だが、性に合っているとは、やはり言い難いのだ。

 私は所詮、ただの喧嘩屋でしかなく、敵を殴り殺す以外にできる事などない。諍いの仲裁など、両方殴り飛ばして黙らせた方が早いと、いまでも思っているし、それ以外のやり方など知らない。グラさんがギルドで暴れたときも、それを痛感した……。

 通り一遍の事ならできるが、ギルドが私に求めている役割は、誰にでもできる事務作業ではなく、暴走する冒険者たちを上手く抑制する事と、冒険者たちの希望をギルド上層部に反映させる事。

 それが本当に、私にできるのか……。


「まぁた、ウジウジ悩んでる顔してんよ?」

「……はは……。失礼。たしかに少し、ネガティブになり過ぎましたかね」


 力なく笑いながら頭を掻く。たしかに、いまここで悩むような事でもない。

 気を取り直して、私たちは探索を再開した。私は一級冒険者パーティ【雷神の力帯メギンギョルド】の副リーダーにして、三級冒険者【壁】のセイブンなのだ。こんなところで、情けない姿は晒せない。


「次の獲物が待ち遠しいですね」


 ボソりと呟いた私の言葉に、フォーンが呆れてため息を吐いた。


「セイブン、アンタはこの作戦が片付いたら、一ヶ月くらい休暇を取りな。なにも考えずに、女でも侍らせて遊び惚けな。そんくらいの金はあんだろ?」

「なにも仕事がない状態って、それはそれでストレスがたまるんですよね……」

「アンタねえ……」


 付き合っていられないとばかりに肩をすくめたフォーンが、探索を再開させる。たしかにそれなりの蓄えはあるが、浪費というのは好きではない。元々が貧民だったせいか、遊興に金を使う事は忌避に近い感情が沸いてしまうのだ。

 趣味といえば、アルタンの町の美味い食事処と酒場を見付ける事くらいだが、それは別に休暇をとらなくてもできる。

 結果、仕事漬けの毎日というわけだが、その仕事をするのもしないのもストレスになるというのだから、呆れられるのも当然だ。我ながら、なんと難儀な男だろう。実に面倒臭い。


 本当に、あと竜の二、三匹はでてきて欲しいものだ。できれば、もう少し歯ごたえのある相手だといい。



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