第62話 一級冒険者の来訪
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パティパティアトンネル開通後、僕らはのんびりと過ごしていた。四層の開発を進めたり、ィエイト君やシッケスさん、あとはたまにシュマさんに訓練をつけてもらったり、養鶏場や牧場の経営で必要な仕事をこなしたりと、実に充実した毎日だった。
命を狙われず、国だの宗教だのに煩わされない生活の、なんとのどかな事か……。
そんなささやかな幸せを噛みしめる日々にも、しかし残念ながら終わりというものは訪れる……。終幕を告げる使者は、軽薄な糸目の男……。
「【
「はい。なんか、こっちにくるそうっす。前に名前だけは言いませんでしたっけ? サリーさんっていうんすけど」
軽く首を傾げつつ問うてくるフェイヴ。僕はその名前を聞いた途端、背筋に氷柱を落とされたような感覚に陥る。
ああ、その人なら覚えている。なにせ、【
ただ、重要人物の情報というのは、それだけで価値がある。それは、ダンジョンにとってもそうだろうが、人類にとってもまた同様なのだ。故に、なかなかアクセスの手段がなく、同じ【
そんな、謎に包まれた一級冒険者がこちらに来るというのだ。なにをしにくるのやら……。まだまだ僕らのダンジョンは、大半の上級冒険者を迎え撃てるだけのポテンシャルがない事は、前回のエルナト君侵入の際に露見してしまっている。
四層を拡張してはいるものの、僕らのダンジョンの防衛力は、あのときと然程変わっていない。だとすると、一級冒険者を相手にはできないのだが……。
「その人は、なにをしにゲラッシ伯爵領へ?」
「たぶん、帝国の動きを探って、緊急事態にはいち早く王都に知らせを出す為じゃないっすかね。サリーさん【転移術】の使い手っすし」
「ああ、なるほど」
昨今の、帝国の不穏な動きに対して、第二王国側が打った布石が、貴族でもあり、一級冒険者でもある、そのサリーさんなのか。
いや、これはあくまでもフェイヴの予想である。実際には、別の任務を帯びている可能性は十分にあるだろう。例えば、僕らが下級竜を従えた方法や、それを他国に横流しして、利益を貪ろうとしているのではないかを調べに来た、とか。
だ、大丈夫。ホフマンさんに売ったのは、状況的には不可抗力だし、ゲラッシ伯に禁止される前だ。法の不遡及なんて概念が、この時代の貴族にあるかないかは別として、一応は抗弁できるだけのカードは手にある。
「フェイヴさん。契約は守ってくださいね?」
僕は、フェイヴに微笑みかけつつ圧をかける。僕らの情報、帝国の現状、今回の一件が片付くまでそういった情報を、パーティメンバーにすらみだりに話さないという契約を、再度念押ししているのだ。
対するフェイヴも、苦笑しつつ降参とばかりに軽く両手をあげる。それと同時に肩もすくめていた。
「大丈夫っす。そもそも、冒険者ギルドですら、あの一行が一度国外に出てから戻ってきただなんて、微塵も思ってないっすから。当然、師匠やセイブンが気付いているわけもないっす」
「そうですか。誰にとっても、秘密のまま事態が終息すれば、それに越した事はありませんね」
僕のセリフに、フェイヴも「まったくっす」と大きく頷く。このままなにも起こらず、事態が僕らの予想通りに推移したならば、フェイヴはなにもせず報酬を得られるのだから、それも当然だろう。
逆に、もしも彼の働きが必要になる事態に陥れば、フェイヴは僕の情報を秘匿していた事を、フォーンさんやセイブンさんに白状しなければならない。当人としては、それはなによりも忌避したい事態だろう。
今回の事態が穏便に進んで欲しいと、この世で一番願っているのは、もしかしたらフェイヴかも知れない。
「ゲラッシ伯爵は、どうやらかなり王都に足止めされてるらしいっすね。サリーさんは、ゲラッシ伯とそのご婦人を連れて戻ってくるそうっすよ」
「へぇ。帝国の動きがキナ臭いこの状況で、王都を離れられないというのも、なかなか訝しい話ですけどね。なにかあったんですか?」
「サリーさんの話では、なんか美術品の関係そうっすけど、俺っちにはさっぱりっすね」
あ。聖杯の件か。そういえば忘れていたな。新年の行事のついでにお披露目するって、前にどこかで耳にしていたのだが、最近は帝国云々、ベアトリーチェ云々、竜云々にかまけていたせいで、完全に失念していた。
まぁ、ゲラッシ伯が足止めされるという事は、箸にも棒にもかからなかったという、最悪の事態にはならなかったようだ。所詮、色が変わるだけのガラスだし、マジックアイテムも存在するファンタジー世界で、あれがどの程度評価されるか、わからなかったところもあった。
いやまぁ、まだわからないけどね。ゲラッシ伯が足止めされている理由も、もしかしたら帝国関連の事かも知れないし。周辺の領主に援軍を要請して、その見返りに聖杯の件で僕らに口利きするって感じになっているのかも知れない。
だとしたら面倒だな……。一応、ゲラッシ伯には製作費も製作期間も伝えてはいるが、領の存続が関わるような事態ともなれば、空手形の一つや二つは打っていてもおかしくはない。
「帝国は、いよいよタルボ侯爵領に兵を集結させつつあるようっすね。まだ宣戦こそ発されていないっすけど、いよいよ既定路線って感じっす」
「まぁ、トンネルができたのだから、当然そうなるでしょう。彼等は海に飢えていますから」
ホント、帝国人の海に対する執念はすさまじい。ただ、それもまぁ、わからないでもない。
ここ最近の、帝国の塩の値動きは、需要と供給という概念からは逸脱した動きだった。在庫は十分にあるというのに、誰もが塩不足に怯えて買い貯めており、そのせいで塩の値段が高いままであり続けるという、最悪の相場環境だったのだ。
この場合問題なのが、帝国にとっての塩は、ほぼ一〇〇%が輸入品であるという点だ。塩の値が高止まりするという事は、それだけ帝国内の産物が買い叩かれてしまうという事だ。
帝国貴族にとって、これはおおいに頭痛の種だっただろう。帝国にとって塩は、安ければ安い程いいというのに、帝国人の心理は十分な塩に満足できず、その価値を高めてしまう。いかに農業国の帝国といえど、この状況は他国に財布の紐を握られているに等しい。
彼らが偏執的に海を欲するのも、その状況を少しでも是正したいという思いからだ。
「まぁでも、事ここに至っては、それ程予想外の事にはなりませんよ」
「そうっすよね。ナベニポリスと帝国とじゃ、国力が違い過ぎるっす。それは、ナベニポリス周辺の、元ナベニ共和国の領域を含めても同じっす」
僕の楽観的なセリフに、フェイヴもヘラヘラと同意を示す。流石にあの国力差のうえ、トンネルのおかげで兵站にも問題がないとなれば、帝国がナベニポリスに負けるという事は、まずあるまい。
あとはただ、大軍で敵を押しつぶせばいい、一番シンプルで効率のいい戦術だけで、事は足りるはずなのだ。
そうしてフェイヴと話した三日後、一級冒険者サリー・エレ・チェルカトーレさんとゲラッシ伯が、転移術で王都からアルタンの町へとやってきた。そしてその日、帝国がナベニポリスへと宣戦を布告したのであった。
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