第61話 帝国の宣戦布告

 ●○●


「カラメッラ!! ジェラティーナ!! おるか!?」


 なにやらうるさい声が響いていたが、ボクらは構わず互いに訓練を続けた。ティナは、背に三〇キロ程の重石を乗せたまま腕立てを続け、ボクはボクで湾短刀シカを振り続けている。

 やがて、ボクらの部屋に一人の老人が現れると、ガミガミとやかましく騒ぎ立てる。


「ここにいたか!? いるなら返事をせい!」

「うるせぇよ。なんでオレらが、てめぇなんぞに呼びつけられて、へーこら従うと思ってんだ? 用があるってんなら、まずは挨拶しろ。人んちの玄関で騒ぎ立てんな、クソジジイ」


 ボクらの前に現れた老人の正体は、直属の上司でもあるトリマ司教だ。こいつのせいとはいわないが、その命令が元でボクらは一月近くも懲罰房に入れられていたのだ。それがどうして、罰を終えたからといって、元のように上司面をしようというのか。

 そういうのは、最低限ボクらを庇ったやつがすべき態度だ。

 だがこのクソジジイは、そういうボクらのつっけんどんな態度にも頓着せず、話を進めようとする。気にしていないのか、単純に気付いていないのかはわからないが……。


「そんな事よりも、件のハリー姉弟についての情報を、洗いざらい吐け!」

「ハリュー姉弟だバカ。あの姉弟について、オレたちが知ってる事は、前回の審問で全部話したろ」

「名前も覚えていないお前に、いまさら話すような事なんてないよ。どうしても知りたきゃ、あの日のボクらの供述資料を引っ張り出してきて、勝手に調べなよ」


 短刀を振る動きを止めず、汗の粒を飛ばしながら言い捨てる。

 あの審問では、結局教会の上層部は、姉弟の脅威を認めなかった。やはり、ボクらの記憶に幻術の影響がないとはいえない、というのが最大の理由だった。

 どう考えたって、あいつらはヤバいってのに……。上層部とやらの呑気さには、嫌気がさす。所詮、特権階級でぬくぬくと育ってきた連中の思考なんて、楽観論に支配されているお花畑だ。

 だからこそ、ボクらは再戦のときを見据えて、鍛錬に励んでいる。

 しかしやはり、長物に比べて、ボクの短剣術はまだまだ未熟だ。その長物も、強者が相手になると、重さがネックになって、懐に入り込まれる事が多くなる。

 あの姉を相手にするには、ボクは近接戦闘能力が弱い。まだまだ鍛錬が必要だ。


「既に聞いた事などどうでも良い! 彼奴等の技術力について、なにか知っている事はないか!?」

「あん? 技術力だぁ?」


 ティナが片方の眉を吊り上げて首を傾げる。ボクもまた、動きを止めて同じように頭を傾けた。ようやくボクらが反応らしい反応をしたからか、クソジジイは大声で捲し立てる。


「そうだ! 第二王国からの知らせで、彼の姉弟が我が国の国宝と同じ代物を作り、王家へと献上したらしいのだ! まだそれが、真にあの【ディクスタンの聖杯】と同じ代物であるのか、定かではない。だがしかし、もしも本当に聖杯を製作する技術を、その姉弟が復活させたというのであれば、これは重大事である!」

「チッ。なんだよ、ただのお宝の話か。んな、くだらねぇ事知るかよ。アホくさ」


 ティナが一瞬で興味を失くしたように、腕立て伏せを再開する。ボクもまた、己の動きを確認するように、再び湾短刀シカを振る。


「時間の無駄だね。ボクらが持っているのは、姉弟の戦闘力や独特な幻術に関する情報だけ。そもそも、ボクらとハリュー姉弟の関りって、ゴルディスケイルのダンジョン内だけだしね。たぶん、オーカーって司祭の方が良く知ってるんじゃない?」


 ボクらがクソジジイの話に興味を持ったのは、あの姉弟の戦闘に関する情報は、どのような些細なものであろうと、集めておきたかったからだ。いずれ、再戦の際に絶対に後れを取らぬよう、確実にその息の根を止められるよう。

 だが、どう考えても戦闘に関係のない話では、興味を抱けという方が無理な相談である。


「ウィステリア・オーカーは【深教派】ではないか! 我ら【布教派】で、彼の姉弟と接触したのは、貴様らだけなのだぞ!?」

「その接触で、仲良くお話してたとでも? お前、自分がオレたちにどんな命令下したのか、忘れてんの?」

「ティナ、そいつボケてんだよ。だって、ついこないだも、その事でボクらに責任を全部擦り付けてきたんだから、普通忘れるわけないって」

「ああ、そうだな。もう歳だしな。禿げてるし」

「臭いし。うるさいし。大声出した拍子に、血管切れて死ねばいいのに」


 ボクらが互いにそんな事を言い合っていたら、流石にビッグアーマータートル並みに鈍感なこのクソジジイも、顔を真っ赤にして口角泡を飛ばしてくる。


「黙れぃ、このクソガキども! そもそも、貴様らがろくに下調べもせず、彼の姉弟に攻撃を仕掛けたから、以前もいまもワシが迷惑しておるのだ!!」


 怒鳴りつけてくるクソジジイだが、その内容には一ミリも罪悪感を覚えたりはしない。お前らだって、ボクらに任を命じた時点で、そうなる事くらいわかっていただろう。

 こうして怒っているのは、その後に姉弟の価値が高まったからにすぎない。それでどうして、こちらに責任を擦れると思っているのか。


「そんな事よりジジイ! ボクが申請していた話はどうなってんのさ!? さっさと手続き終わらせろよ、愚図!」

「貴様の申請とは、神聖術師承認の件か? たしかに【布教派】の神聖術師が増えるのはいいが、その為にはもっと安定して術を発動できるようにならねば――」

「あー、違う違う! そっちはまだ無理だってわかってるから、もう一つの方の申請だよ。まさか、忘れてまったく進めてないんじゃないよね!?」

「もう一つというと……、まさかあれか? 懲罰房の奥の独房を、修行に使わせろとかいう……」

「そう、それ!」

「冗談ではなかったのか。いやまぁ、使われておらねば、懲罰房の使用は許可されるだろうが……」


 よし。ボクは思わず、拳を握る。

 ボクがその独房でやろうとしているのは、あの弟が使った暗闇の術式の再現だ。勿論、幻術だけで真似しようとは思っていない。

 だが、ああして外部からの情報が一切入ってこない空間での瞑想は、きっとボクの【神聖術】を新たな境地に至らせてくれる。

 あの暗闇では、神の存在を身近に感じられたのだ。もしもまた、同じような感覚に至れるのであれば、ボクの信仰は一歩深い場所へと到達できるはずなのだ。


「そんな事よりも、その姉弟の事の方が急――」

「ト、トリマ司教様っ!」


 なおも、クソジジイがくだらないお説教を続けようとしたところで、ジジイの従者と思しき少年が、血相を変えて飛び込んできた。


「なんじゃ、騒々しい!」

「テメェの方がうるせぇんだよ、クソジジイ」

「ホントそれ。人んちで騒ぐとか、ボクらより育ちが悪いんじゃないの?」

「黙れぇい! それで、なにがあった?」

「は、はいっ。て、帝国が――」


 慌てる少年が、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように、そこで息を吸い込んでから、息と一緒に言葉も一気に吐き出す。


「ナベニポリスに、宣戦を布告いたしました!」


 従者からの報告に、クソジジイは一瞬ぽかんと間抜けな表情を晒したあと、顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。


「なんだとっ!? 我々法国になんの通達もなしにか? だいたい、どうやってベルトルッチまで来ようというのだ!? まさか、第二王国が、国内の帝国軍通過を、これ程早く認めたというのか!?」


 まるで詰るような調子で従者に問いかけるも、当然そんな年端もいかない少年が、詳しい事情を知っているはずもない。「わかりません」と「申し訳ありません」を繰り返すだけの、哀れな従者を見ていられなくなったボクは、頭の足りないクソジジイに、親切な助言をしてやる。


「そんな無駄な事してないで、とっとと戻って情報収集してきなよ」


 八つ当たりを邪魔されてか、クソジジイは一瞬ボクを睨み付けてから、肩を怒らせて帰っていった。実際、こんなところで時間を浪費しているような暇はないだろう。


「ティナ、どう思う?」

「別に。帝国とナベニの戦争ってんじゃ、姉弟は出てこないだろうし、オレたちには関係ないな」

「ま、そうだよね」


 いまのボクらの最優先課題は、あの姉弟の打倒と抹殺だ。その為にも、ボクはさっそく懲罰房へと向かうのだった。

 ちなみに、ティナはあの日以来、暗闇に対して強い忌避感を持つようになってしまった為、ついてこようとはしなかった。



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