第76話 お嬢様、出陣!
●○●
「いよいよか……」
僕は一枚の手紙を眺めてから、朝食の席にについていたベアトリーチェを眺める。その手紙の内容は、いよいよ帝国軍が行動を開始し、トンネルの存在を隠匿する事が出来なくなる。ついては、ベアトリーチェとも合流を図り、帝国側で彼女の防御を担うとの事。
つまりは、パティパティアトンネルまで彼女を護送して欲しいという指示だ。
「どうかいたしまして?」
優雅にパンを千切っていたベアトリーチェは、きょとんとした表情で首を傾げる。こいつがいまも我が家に滞在しているのは、下手に宿とかに泊まられると、そこで暗殺されかねないからだ。家にいれば、とりあえず表立った襲撃者からは守ってやれるうえ、一応ギルドやウル・ロッド、伯爵家が、余計な真似をする者がいないか、監視の目を光らせている場所でもある。
実際、ウル・ロッドは何人かの不審者を捕えているそうだ。ギルドや衛兵の方からはなにも言われていないが、そちらもなにかしらの動きはあっただろう。流石に、表立って我が家に侵入してきたヤツは、まだいない。
「いよいよ君が必要だと、帝国からラブレターを預かったのさ」
僕はピラピラと、封蝋が施された便箋を振る。封蝋に施された印は、ホフマンさんのものであるが、届けたのはホフマンさんではない。流石に、帝国でのお仕事が忙しいらしく、あれから一度も顔を合わせてはいない。
なお、この紙は植物紙であり、第二王国の庶民にはそれなりに馴染みのあるものだ。ただし、属性術を人の手で真似た代物で、質はそれ程良くはない。属性術で作った植物紙は値段が高く、基本的には大切な人への恋文などに使うが、公文書などには使われない。
その最大の理由が、虫が湧く、黴る、インクの跡から腐食していくと、保存性において皮紙に大きく後れを取っているからだ。属性術を用いない紙の質など、もはや推して知るべしである。
それ故に、第二王国の正式な文書は、羊皮紙でと決まっている。閑話休題。
「まぁ、それは光栄ですわ。きちんと鎧と武器でおめかしして、竜の背に乗ってご挨拶に向かわなくてはなりませんわね」
「そういう事だね」
クスクスと余裕の笑みを湛えて、ベアトリーチェは千切ったパンを口にする。その自然体からは、気負いも、叔父たちへの復讐に燃える、暗い闘志も感じられない。だがしかし、これまで彼女が、不慣れに武器を握り、竜に跨って野を駆けてきたのは、いまこの瞬間の為なのだ。己が復讐を成し遂げんが為の、下積みだったのだ。
きっと、万感の思いを、お嬢様の仮面の下に隠して、ああして笑っているのだろう。その辺りは、流石は高貴な生まれだと感心する。
「明日には出立しよう。既に、この家も敵方には割れていると見るべきだ。さっさと、河岸を変えておいた方がいい。帝国がナベニポリスに宣戦布告を果たした以上、向こうだって形振り構っている余裕はないだろうからね」
現在エウドクシア家を牛耳っている、ベアトリーチェの叔父たちがどのような強硬手段に及ぶか、わかったものではない。まぁ、いくらなんでも、他国に軍勢を差し向けるような事はしないだろうが、数十人規模の暗殺者を送り込むという可能性は、十分にあるだろう。
「そうですわね。叔父たちがこの家を襲撃させて、使用人に害が及んでは可哀想ですもの」
「まぁ、それは大丈夫だと思うけどね……。でもまぁ、我が家の使用人を気遣ってくれてありがとう」
ウチの使用人は、緊急事態の動き方を熟知している。パニックルームに逃げ込んだあとは、隠し通路という隘路に侵入してきた敵を、一方的に攻撃できる準備がある為、相手が一〇〇〇人を超えるような物量で、持久戦を仕掛けない限りは、十数人でも十分に防御ができる仕様になっている。
まぁ、とはいっても、逃げ遅れる人間がいないとも限らないので、ベアトリーチェの心遣いには、素直に礼を言っておこう。
「さて、僕はフェイヴとジスカルさんに話をしておかないとな。ジスカルさん、まだこの町にいるのかな……」
食事を終えてから、僕は使用人に頼んで二人を呼ぶ。といっても、ジスカルさんの場合はたぶん、代理にシュマさんかライラさんが来るだろう。忙しい彼が、こんな急な呼び出しに応えられるわけがない。
●○●
その日の午後。僕、フェイヴ、シュマさんの三人は、我が家の
これは別に、ザカリーを信用していないというわけではない。だがしかし、秘密を知る人間というものは、少なければ少ない程いいのだ。フェイヴやシュマさん的にも、明らかに僕の陣営であるザカリーがいたら、もしかしたら不信を覚えるかも知れない。
「んじゃ、いよいよショーンさんのトンネルが、ベルトルッチを阿鼻叫喚の地獄絵図に変えるんすね」
「いや、なんですかその言い方。ナベニ共和圏を侵すのは、僕ではなく帝国です」
「うん。でも、フェイヴの言う事もわかる。ショーン君いなかったら、帝国もここまでスムーズに、ナベニを攻めれなかった」
まずは現状を告げると、フェイヴが諦めたような口調で嘯く。それを否定すれば、すぐさまシュマさんがフェイヴに加勢した。
二対一で僕が不利である。こういう場面で、僕の側に組織票が投じられないという点では、やはりこの密談にグラや使用人を入れなかった意味があるだろう。
議論の不利を受け入れた僕は、早々にこの話題を切り上げる事で、戦略的撤退を図る。
「はいはい。そうですね。すべては僕が悪いんです。我こそは悪の権化! 【白昼夢の悪魔】だー。それでは、本題に入りましょう」
「投げやりにも程があるっしょ……。いやまぁ、別にいいっすけど……」
「ん。どうでもいい」
然して咎め立てする気もなかったようで、二人ともそう言うと真剣な表情を浮かべる。
「さて、僕らの目的は『帝国に裏切られない事』です」
もう少し正確を期すなら、僕やカベラ商業ギルドが帝国に対して与えた利益の対価を、バックレられないように組んだのが、この同盟である。
ちなみに、傭兵や従軍商人なんかに対する報酬を、国や指揮官の貴族が踏み倒すというのは、往々にして起こり得る事態である。負け戦の場合は、かなりの場合で売掛代金の回収というのは、不可能になるといっていい。
「僕もカベラ商業ギルドも、帝国にはかなりの貸しが存在します。帝国にとってもこれらの出費は、かなり痛いはずです」
「ん。だから、これを踏み倒そうとする可能性は、結構ある」
「そっすかね? ショーンさん相手ならともかく、カベラ商業ギルド相手にそんな事するっすか? これは、ショーンさんを侮るってワケじゃなくっすよ?」
僕が懸念点を述べれば、シュマさんがそれに頷く。しかしフェイヴは、僕らの懸念に対して、意見を述べる。当人がそう思っているかに由らず、フラットな立場からの意見が、こういう場には必要不可欠なのだ。
僕を過小評価しているわけじゃないというのも、比較対象が巨大な商圏を有するカベラ商業ギルドなのだから、当たり前の事である。むしろ、同列に扱われると困る。
「まぁ、たしかにカベラ商業ギルドとの契約を軽々に反故にはできないでしょうね。カベラ程の巨大な組織であれば、横のつながりも多いでしょうし、帝国以外の貴族とも太いパイプがあるでしょうから」
「ん。たぶんある。それと、ジスカルの父、現ギルドマスターの息子は聖職者。契約破りを教会から糾弾されると、いくら帝国でも、たぶんかなり困る」
「うへぇ……。おっかねえっす。絶対に面倒事になるじゃないっすか……」
「ん。だからカベラでも、ジスカルの父はこのまま教会での地位確保に動くべきって見方がある。便利だから。現ギルドマスターから、直接孫の代に世代交代する可能性があるのもそのせい」
なるほど。聖職者の地位というのは、そういう使い方もあるのか。まぁ、とはいっても、結局のところは金と権力がものを言うのであって、木っ端聖職者が国との契約不履行を訴えても、恐らくは無視されて終わりだろう。
僕らが聖職を得ていても、この状況では然して役には立たなかったと思う。
「話を戻しましょう。つまるところ、帝国がカベラ商業ギルドからのツケを踏み倒すのは、なかなか難しいだろうという見解ですね。ただそれは、裏を返せば僕個人との契約は、結構危ないって事ですよね?」
「ん。ショーン君……というか、ハリュー姉弟との約束、後ろ盾が弱い」
「そっすよねぇ……。一応、俺っちたち【
そこまで言ってから、フェイヴは吐き捨てるように「ま、俺っちたちがんな汚ぇ真似に手を貸すかは、別の話っすけど」と付け加える。
まぁ、そうだよなぁ。信用を棄損してまで小銭を漁るような真似、名にし負う一級冒険者パーティがやる意味がない。所属している国が違うのなら、なおさら百害あって一利もない。
カベラ商業ギルドや国家であれば、それでもパワープレイで押し通せるのだろうが、一級冒険者パーティではそれは無理だ。影響力の面でもそうだが、なにより信用問題という側面が致命的だ。
ある意味彼らは、ダンジョンの脅威から人類を守る、最強の守護者なのだ。そのイメージというものもある。
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