第75話 ポーラの処遇と、ハリュー姉弟の価値

 ●○●


 ハリュー邸からの帰り道。僕とポーラは同じ馬車に揺られていた。


「……わかっているとは思うが、僕はまだハリュー弟の元にお前を嫁がせたいと思っている」

「そうなのか? てっきり、もう諦めたと思っていたぞ」


 妹の驚いたような表情に、真剣な表情で頷いた。だが、こいつはあのあとの、僕らの会話を聞いていなかったのだろうか? ……いなかったのだろうな。あのあとはずっと、戦術論というか軍事論とでもいうべきものについて、ショーン殿と語り合っていた。それ自体は実に有意義で、コロネリアと大隊構想という、非常に有益なアドバイスが得られた。

 正直、この二つは歴史的な戦術転換の機にもなり得る発想だと思う。とはいえ、それは僕がこの思想を、現実のものとして落とし込めればの話だ。もし仮に成功を収められたならば、必ずや彼の名を歴史に残すと心に決めている。それ程の、重大な出来事だった。

 だが、僕からすればそんな、美女との邂逅にも勝る至福の時間も、こいつからすれば、酷くつまらない会話だったのだろう。直情径行、単純明快、明朗快活の三拍子の娘だからな……。悪く言えば、猪突猛進、軽挙妄動である……。


「ショーン殿が語っていた、彼ら姉弟の人材的価値は等価ではないという話、お前はどう思った?」

「ふむ。まぁ、等価ではないのだろう。グラ殿の多才さ、博学ぶりは、たしかに他に類を見ない非凡なものだ。天才とは、彼女のような者の事をいうのだろうと、実感したよ」

「その通りだな。そしてそれを、弟であるショーン殿も認めている。では、ショーン殿に人材的な価値がないと思うか?」

「それはあるまい。あの場で兄上も言っていた通り、グラ殿に比して劣っているからといって、それがすなわちショーン殿の評価を否定する理由にはならん。なんとなれば、貴族家の家臣として、どちらがより向いているかといえば、正直グラ殿よりもショーン殿の方が、はるかに適性があると思うぞ?」

「そうだな……」


 結局グラ殿は、あの場ではろくに僕らとの接触を行わなかった。理由は恐らく、無礼を働く惧れがあったからだろう。

 僕らゲラッシ伯爵家は、ハリュー姉弟に対して行える素行調査などは、とっくに終えている。これ以上の情報を得ようと思えば、手勢を送り込むくらいしかないが、それをやっても人材の無駄遣いである事は明々白々だ。

 その情報において、真に取り扱いに注意を払わなければならないのは、世評において悪魔とも呼ばれているショーン殿よりも、天使として慕われ、畏敬すら払われているグラ殿の方であると、判明している。

 彼女が、己が好悪のままに僕らに対応すれば、確実に関係を損なう。それが、当人もショーン殿もわかっていたのだろう。

 そしてそんな事態が起これば、ハリュー家そのものの社会的な地位を脅かす。どれだけ恐れられていても、現在のハリュー邸はただの平民の私邸でしかないのだ。

 だからこそ、彼女はあの場ではずっと黙っていたのだろう。しかし、実際に我が家の家臣となった際に、常にそれができるわけもない。

 伯爵家の誰かや譜代の家臣には、目上の人物に対する態度、同列の家臣には同列の者に対する態度を求められるのだから。


「恐らく、ショーン殿は家臣になると決めた際には、自分がその立場に収まって、対外的な応対は自分が担う予定だったはずだ。しかし――」

「――私との結婚話が持ち上がった事で、それを回避する為にグラ殿を当主に挿げ替えたという事か?」

「いや、事はそれ程単純ではない。自分が家臣になったところで、婚姻という面ではグラ殿を守り切れないのだと、ショーン殿は僕のブラフで理解し、即座に方向転換をしたのだ」


 実際問題、グラ殿の傑出した才能に目を付ける者は多く、ショーン殿が当主であるのならば、娶る事でグラ殿を手に入れようとする貴族は少なくはあるまい。父上や僕は、ハリュー姉弟に対して割れ物を扱うように対応しているから、特にグラ殿に対してなにかをするつもりはない。だが、それを理解していない者が、無造作に虎の尾を踏むという事態は、往々にしてあり得るだろう。


「だから、お前がショーン殿に嫌われており、それ故に婚姻を断られたわけではないと、僕は思っている。少なくとも、彼がお前に悪感情を抱いているという印象は受けなかった」

「ふむ。まぁ、慰めとして受け取っておこう。私も、自分が一般的に男性に好かれるような女ではないと、重々理解しているからな。それと兄上、またになっているぞ」

「おっと……。この癖ばかりは、なかなか治らないなぁ……」


 妹に注意されて、僕はぽりぽりと頭を掻きつつぼやく。従士になってから、騎士に相応しくないからと、ずっと改めようと心掛けてはいるのだが、既に二〇年程矯正できずにいる。当主になるまでには、本当に治さなければならないと思っているのだが、それができる自信はあまりない……。

 コホンと咳払いをしてから、話を元に戻す。


「私たちの方針としては、ハリュー姉弟の二人を庇護し、大過なく伯爵領の利益にするべく動く。お前の結婚も、それが目的だった」

「うむ。私としても異論はない。だが、ああも真正面から断られて、なおも検討させる余地があるのか? 流石にショーン殿が、ああまでバッサリと勧誘を断るとは、私も思っていなかった。下手をすれば、次期当主と目されている兄上との間に、蹉跌を残す事にもなりかねないのだぞ?」

「それでもいいと思ったのだろう。あの場で私との関係が多少ギクシャクしたとしても、その後の対応で失点を取り戻すのは可能だ。それよりも、我々に対して『自分たちをいいように使えると思うなよ』と、掣肘を加える方を選んだのだ。事実、二人ともが我々の支配下におかれれば、それを勘違いして彼らを顎で使おうとする親族や重臣は、いないわけではないだろう」

「それはたしかに……」


 幾人かの顔を思い浮かべたのか、鬱陶しそうな表情で頷くポーラに、僕も苦笑しつつ頷く。個人的には、グラ殿が配下になっても、正直扱いに困るのだが、ショーン殿が配下になってくれると、実に心強いと思う。

 すぐに表情を改めた妹が、本題について訊ねてくる。


「しかしならばこそ、ショーン殿は我が家の傘下には納まらないのではないか? 私との結婚というのは、絶望的に思えるのだが?」

「だからこそ、さ。お前は、あのショーン殿を、他の勢力が放っておくと思うかい?」

「む……。なるほど、たしかに」


 天才、グラ・ハリューの舵取りができる唯一の人物というだけで、僕としては家臣として抱え込む価値はあると思っている。だがそれ以上に、ショーン・ハリューという人物には、人材としての価値がある。

 幻術の技量。一定以上の教養。資金力と、それを得られるだけの地歩を固める行動力。騎竜を手懐ける手段と、即座にそれを維持できる環境を整えられる行動力。敵対者を、容赦なく撃退できる手段と行動力。領主の息子であり、次期領主とも目されている僕に、リスクを承知で諫言する行動力……。

 とにもかくにも、あの姉弟の指針を定めて行動を起こしてきたのは、グラ殿ではなく、ショーン殿の方であり、行動を起こしたからこそいまのハリュー家がある。断言するが、グラ・ハリュー一人ではまず間違いなく、ハリュー家はいま程の勢力にはなっておらず、グラ殿も一介の冒険者か研究者として埋もれていただろう。あるいは、問題を起こして伯爵領を去っていたかも知れない。

 そんな人材を、伯爵家の家臣の親族だからと、他の勢力が諦めるか? 論を待つまでもない。グラ・ハリューと同じく、そんなわけがないのだ。


「いずれ間違いなく、ハリュー姉弟は再び勧誘関係で問題を抱える事になるだろう。そのとき、彼らがどうするのかは我々に判断はできないが、その選択肢の一番上に……」

「私との婚姻がくるよう、伯爵家として行動するという話だな?」

「そうだ。なんとなれば、それまでに個人的な関係を深めておいて欲しい。幸い、我が伯爵家とハリュー家との関係は良好であり、聖杯やその他の関連で、信用できる人物が密に連絡を取る必要がある」

「その使者として私をねじ込むから、その間にショーン殿との絆を深めておけと?」

「そうだ。恋仲になるのが理想的だが、恐らくだが、あからさまなハニートラップは、ショーン殿は倦厭するだろう。お前が、そんな小器用な真似ができるとも思っていない」

「うむっ!!」


 自信満々に頷く妹に、貴族女性ならばそのくらいの処世術は身に付けておいてくれと思ったが、そのようないまさらな話を混ぜて、論旨を濁らせたくなかったので、白い眼を向けつつ話を続けた。


「だから、ビジネスパートナーとして、友人として、状況にもよるだろうが――戦友として、ショーン殿との友好関係を築いて欲しい。もし仮に、婚姻が上手くいかずとも、その関係は我ら伯爵家に資するものとなるだろう」

「ふむ。たしかにな。よし、委細了解した!」


 堂々と宣言する妹の姿に、正直不安がないとはとても言えない。同じ立場の騎士として見た場合、妹は実に付き合いやすい部類の人物だ。竹を割ったような性格で、謀は大小問わず苦手で、正義感が強い。

 ある意味では、理想とする騎士像だろう。

 だが、それが妻として相応しいかというと……。少なくとも、ゲラッシ伯爵家の当主の妻は勤まるまい……。そう考えると、我が家の妹はハリュー家の姉と、同じような宿痾を抱えた人物なのだと思い至る。

 どうしよう……。グラ殿と違って、我が家の妹は既に貴族籍なのだが……。



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