第72話 行動を起こす理由
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次の日の早朝。問題なく門を抜け、早朝にも関わらずハリュー邸の扉を叩いた俺を、ザカリーが驚いたような顔で出迎えた。
背後にいるラスタの事をチラリと見てから「お帰りなさいませ」なんて、慇懃に挨拶してくれる。そんな挨拶を受けられるのは、これで最後かも知れないと思いつつ、俺は彼とジーガと三人で話し合った夜を思い出していた。
「悪いな、ザカリーさん。ショーン様はもう起きているかい?」
「ショーン様ですか? さて、今朝はまだ地下からあがってこられてはおりませんが……」
案の定というべきか、ショーン・ハリューはまだ朝食前だったらしい。なんだかんだで、あの人は朝が遅めなのだ。それが徹夜故か寝坊故かは、その日によるが。
「そうか。だったら応接室で待たせてもらってもいいか? 決して急かさなくていいが、話したい事があるんだ。割と重要な話だ」
「かしこまりました。ラベージ様と、そちらのお連れの方は先日ラベージ様を訪ねてこられた、ラスタ様でよろしかったですか?」
「は、はい」
どうやらラスタは、数日前に俺を訪ねてこの屋敷に訪れていたらしい。そんな自分を覚えていた事に驚いているラスタだが、ザカリーなら驚くようなスキルではない。彼は元は、あのブルネン商会の技能奴隷なのだから。もしも彼が「これまで当家を訪ねてこられたお客様の顔は、すべて記憶しております」と言い放ったとて、俺はそれを微塵も疑わないだろう。
それから一時間後。ショーン・ハリューは応接室に現れた。扉が開かれた直後に、俺とラスタは椅子から立ちあがって彼を出迎えた。
「ふぅむ……。そちらの女の子はラベージさんのお知り合いですか? いくら僕がいまの雇い主だからって、結婚の挨拶とかはご両親とかにされるべきでは? いえ、まぁ、そこまで義理を感じ、親しんでくれているのだとすれば、少々面映ゆいところですが、やぶさかではありませんよ?」
などと、少し前に撃退したラスタの事など、欠片も覚えていないとばかりに笑うショーン・ハリュー。なにをどう思考したのか、俺とラスタが結婚の報告にでもきたと勘違いしたらしい。
いやまぁ、たしかに男と女が二人神妙な調子で、重要な話があると呼び出せば、そう取られてもおかしくはないか。だが、これから俺たちがしようとしているのは、重要な話ではあるが、決しておめでたい話などではない。むしろ、その真逆といっていい。
そしておそらく、彼は本当にラスタの事など覚えていないのだろう。以前、食堂で撃退した襲撃者たちの顔も、たぶんショーン・ハリューは覚えていない。そんな連中とラスタたち、彼にとってはそれは等価なのだ。
「いえ、そうじゃないんです……」
重々しい俺の口調になにかを察したのだろう、ショーン・ハリューの顔から笑顔が消え、神妙な調子で問い返してくる。
「なにかありましたか?」
「実は……――」
俺は昨夜ラスタから聞いた話を、ショーン・ハリューに打ち明ける。一切包み隠さず、衷心からの謝罪と協力の意思から、持てる情報のすべてを開示した。
「なるほど。四日後か……」
襲撃の時期が思った以上に早かったのだろう。ショーン・ハリューは頭を悩ませるように首を傾げつつ、宙を睨む。ひじ掛けに乗せた腕でこめかみを支えながら、しばしそうして沈思黙考している。
その様子に、ソワソワとなにかを話しかけようとしたラスタを、俺は襟首を引っ張って止めた。ショーン・ハリューがどう考え、なにをどうするのかにまで干渉するのは、いまの俺たちの立場ではするべきではない。そこに、俺たちの私情が混じらないわけがないのだから。
やがて、結論に至ったのか、彼は居住まいを戻すと口を開いた。ただしその言葉が向かったのは、俺たちではなかった。
「ザカリー、ィエイト君とシッケスさんを呼んできて。一級冒険者パーティの、ィエイト君とシッケスさんを、ね」
「かしこまりました。ィエイト様とシッケス様をお呼びして参ります」
慇懃に腰を折って頭を下げ、退出するザカリー。余談だが、俺は彼がィエイト殿とシッケス殿を、様付で呼ぶのを初めて聞いた。これまでは、一使用人に対するように、呼び捨てだったから違和感が強い。
彼の中でどういう結論に至り、俺たちの処遇がどう決定されたのか、気になるところではある。だがしかし、それを問う事はしない。俺たちは、俺たちの至誠を示し続ける事でしか、この場で身の潔白を証明できないのだから。
そんな俺の覚悟を表情から読み取ったのだろう、ショーン・ハリューはまるでできの悪い子供でも見るような目で苦笑した。
「バカですねぇ、ラベージさんは。リスクを言い訳に行動を起こさない方が、賢しらに見えるでしょうに」
そんな彼の表情と言葉から、またも彼に敵対した【
とはいえ、ここからどのような話になるのか、まだまだわからないのだから、安心するのは尚早に過ぎる。
「まぁ、決断を迫られたとき、する理由としない理由を天秤にかければ、大抵は行動をしない理由の方に傾くものです。それを言い訳に動かない事は、賢い選択のように見えるのかも知れません。少なくとも、自分の中では」
そう言って肩をすくめるショーン・ハリューに、お前は何歳だと問いたくなった。元々達観したような事を言う子供ではあったが、それでも昨夜の自分の葛藤すら見透かされているようで、状況も弁えず眼前の少年に対して畏怖と共に、ささくれ立つ思いを抱いてしまう。
「まぁ、世の中大抵の行動には、往々にしてリスクが伴います。行動を起こさない方が賢しらに見えるのは、ある意味では当然といえるでしょう。ですが、行動を起こさなければ往々にして、なにも失わない代わりに、なにも得られない。それでは結局、ただ足踏みをしているだけだ。状況次第では、無能の烙印を捺されてしまう」
うんうんと頷きつつそう言うショーン・ハリューは、しかしそんな選択を小馬鹿にするようにせせら笑っている。
「僕もまた、リスクばかりを考えて行動を控える小賢しい質なので、今回のラベージさんの決断に対しては、一定の敬意をもって尊重させていただきますよ」
遠回しな言い方だったが、その言葉は俺の判断を尊重するような内容だった。しかし、だからこそそこに籠められた、俺に対する失望や、これまで感じなかった距離のようなものを感じていた。
これは本当に、ハリュー姉弟との決裂、敵対関係も覚悟せねばならない……。そうなれば当然、グランジからの依頼もパァ。どころか、この町でまともに生きていけるのかすら怪しい。
ショーン・ハリューが懇意にしている商人たちを、俺は知っているのだ。あれだけの有力者を敵に回して、このアルタンで生きていけると楽観するのは、阿呆の誹りを免れない。あまつさえ、そんなショーン・ハリューのお仲間であるマダムことアマーリア率いるイシュマリア商会から、女を身受けするなど夢のまた夢だ。
そこで、件の一級冒険者パーティメンバー、ィエイト殿とシッケス殿が入室してくる。その背後からは、ザカリーも戻ってきた。
「ショーン君、なにか用? ザカリーさんの様子からして、ちょっとただ事じゃないみたいだけど?」
「ああ。家令が僕たちを様付けで呼ぶなど、よっぽどだ」
シッケス殿とィエイト殿が開口一番ショーン・ハリューに問う。対するこの家の家主は、彼ら二人に依頼をした。
「シッケスさん、敵方に我が家と領主との繋がりが露見した可能性があります。かなり拙速に行動を起こすようです」
「え? じゃあもしかして、領主に連絡入れる前に騒動になるって事?」
「はい」
淡々と情報交換をするショーン・ハリューとシッケス殿だが、その情報をもたらしたはずの俺たちからすれば、なにを言っているのかチンプンカンプンだった。どうしてそういう結論に至るのかとか、領主との繋がりってなんの話なのかとか、疑問は浮かぶ。浮かぶが、口には出さない。
俺たちがただ茫然と眺めている前で、状況は推移していく。
「申し訳ありませんが、シッケスさんにはひとっ走りして、この町の行政官と領主に、先日話にのぼった内容を認めた手紙を届けていただきたいのです。一刻の猶予もないと申し添えて」
「え? こっちが? 領主がいるのって、たぶんサイタンだよ?」
驚くシッケス殿だが、その驚愕は当然のものだ。ここからサイタンまで、パティパティアの峠を越え、シタタンを通り過ぎ、国境付近まで行かねばならない。シッケス殿がどれだけ健脚なのかは、行動を共にした事もあるだけに理解はしているが、普通なら徒歩で一週間以上、どれだけ急いでも五日はかかるだろう。
「申し訳ありません。考え得る限りの最速にして、最も確実な連絡手段が、あなたしかいませんので。なにより、相手に門前払いされない人物でなければ、遣わす意味がありませんから」
「むぅ、そう言われると断りづらいなぁ……。よっし、じゃあお姉さんにまっかせて!」
「はい。お願いします」
シッケス殿は力こぶを作るようなポーズを取ると、その二の腕をパンパンと叩く。それに合わせて揺れる胸に視線を奪われないよう意識するのは、なかなかに困難な作業であった。ショーン・ハリューはそんな彼女に、深々と頭を下げる。
「それで? シッケスはいいとして、僕の役割は?」
ィエイト殿の問いに、頭をあげた彼は即座に答えた。
「そこの二人の保護と監視です」
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