第4話 混乱の一日・ポーラ

 ●○●


「は?」


 僕は思わず、素っ頓狂な声を発した。

 室内に控えているのは、昨日とは違ってウーフーとイミ、そして新たに雇った侍女のエリザベートさんという、普通の面々。

 そして、僕の対面のソファにはポーラ・フォン・ゲラッシ様。一応、僕の婚約者となっている人が、真剣な面持ちでこちらを凝視している。彼女はそのまま、先程と同じ言葉を繰り返した。


「君たち姉弟の育成環境を、健全に整える為に伯爵家から人員を派遣したい」


 いや、意味わからん……。

 グラはともかく、僕は比較的健全に育ってきた自負がある。少なくとも、義務教育もなければ、そこに含まれる道徳の授業もないような、こんな世界の子供たちよりは、はるかに健全な環境だった。

 少し裏路地に入れば、おっぱい丸出しの街娼とかが小銭で春をひさいでいるのだ。……まぁ、いまは元締めであるウル・ロッドが、人手不足でヒーヒー言っている状態なので、アルタンにはそういうフリーの街娼がいない状態なんだけれど。

 ともあれ、そういう環境で育つ子供たちよりかは、僕はまだマシな倫理観を有している自信がある。……多少不健全な知識に触れる機会はあったとは思うが、まぁ、無菌室で育ったマウス程病気に弱いともいうし、必要な刺激だったと思う。

 なにより、ウチの母方の祖父の家は神社だぞ。妹は養子縁組されて、将来はガチの巫女さん志望だぞ。


「あの、なんでそんな話になっているんでしょうか……?」

「ウサギだ」

「ああ……。……なるほど……」


 もはやそれ以上語るまでもないと言わんばかりの態度のポーラさんに、僕はがっくりと項垂れつつ納得する。

 いや、もうなんていうか、ホントにティコティコさんは爆弾過ぎる。いや、正確には爆弾は彼女ではなく、兎人族とじんぞくという種族なのだが。


「知っての通り、貴族にとって子孫を残す事は最優先の義務だ。それ以外の点が無能であろうと、子さえ残せば『まぁ、最低限の義務は果たした』と認識される程には、優先される事項である」

「いや、流石にそれは過言じゃ……」


 苦笑しつつ言った僕の言葉を、ポーラさんはしかつめらしい顔のまま首を左右に振って応える。


「実際そうなのだ。逆に、どれだけ頭が良く、武芸に秀で、統治に優れていようと、子ができぬ者は家督継承においては問答無用で後回しにされる。兄上も、既に子がいる身であるが、そうでなければ家督継承においては大きな瑕疵となっていただろう。まして、子ができぬと判明している場合は、どれだけ優秀であろうと『家臣でいい』と言われて、あっさりと継承順を譲る事になる。それに、親族や家臣は誰一人文句を言わん。重ねて言うが、どれだけ優秀でもだ」

「……当代が栄えても、先がなければ意味がないから、ですか……」

「そうだ。むしろ、当代が栄えるのに、次代に血を繋げないというのは、ハッキリ言って御家騒動の元だ。次代の家督継承が骨肉の闘争になるのは、火を見るより明らかだからな。私としても、そのような当主は困ると言うだろう」

「なるほど……」


 先日の、アマーリエさんとエリザベートさんの一件も、我が家の存続を憂慮しての事だった。次代を残せるか否かというのは、やはりこの時代においては、かなり重要な要素なのだ。ある程度の身代を得てしまえば、ジーガやザカリーといった身内は勿論、アマーリエさんやポーラさんといった外部すらも、気が気でない重要事であるらしい。


「しかし、だからって、こんないきなり……」

「事が起こってからでは遅い。百歩譲って、君の貞操が奪われただけですめば、我々もここまで踏み込んだ介入は避ける。だがな、よりにもよってウサギだ」

「やっぱりそこですか……」

「そうだ。たしかに、父上や兄上、そして私は、君のみさおを心配しているが、それ以外の親族にとっても、いま君に再起不能になってもらっては困ると考えている。悪い事に、その手の悪評は、ウサギの周りからは探さずとも聞こえてくる始末。懸念は当然の事といえる」


 それは、まぁ、ねぇ……。残念ながら、その点においては、僕としても一切兎人族側を擁護する事はできない。むしろ、ハッキリと性欲任せに北大陸に攻め込んでしまう、兎人族が悪いと言ってしまってもいい。

 とはいえ、それはティコティコさんとはまた別の部族の話らしいが……。


「……再起不能とまではいかずとも、君の興味が女性から外れてしまう懸念は、如何ともし難い……」

「またそれですか……」


 いい加減ウンザリする。つい昨日も、同じ理由で心配されて、エリザベートさんを雇ったのだ。彼女はある意味、アルタン商人連合に対して、僕はきちんと女性に興味がありますよ、という事を形で示す為の証明のようなものだ。

 今度は、伯爵家相手に証を立てないといけないのか……。


「いや、実際問題貴族社会における男色は、かなり憂慮すべき社会問題なのだ」

「そうなんですか?」

「ああ……」


 ポーラさんが深刻そうな口ぶりで、第二王国……というより、北大陸全体の貴族社会における、男色問題について語り始める。


「前述の通り、貴族にとって子作りは義務だ。望まぬ相手とめあわされるのは、なにも女だけではない。男とて、家同士の勢力伸張、同盟の都合で、望まぬ相手とくなぐ必要に迫られる。私と君の婚約も、基本的には伯爵家とハリュー家との同盟の証のようなものだ」

「まぁ、そうですね。ですが、男の場合は女性と違って、第二、第三の相手を選ぶ事もできるでしょう?」


 これは、女性には認められない権利だ。まぁ、DNA鑑定すらないこの世界において、子供の血統が誰のものかわからない状況が許容できないのは仕方がない。女系の家だと、男女の扱いは逆になるのだが、その場合は男の方は放任される傾向が強いらしい。ただし、役立たずと見做されるとあっさりと放逐されてしまうようだが。


「それができぬ場合というものは、往々にして存在する。その家の資産状況や、相手の家との関係、単純に正妻が嫉妬深すぎて側室を持てない、などという話も聞かぬわけではない。そして、側室や第二、第三の夫人を設けたとて、その間を取り図る気苦労はかなりのものらしい」

「なるほど……」


 そう考えると、もし僕とポーラさんが結婚したとしても、たぶんティコティコさんやシッケスさんとの関係というものは、喜ばれないものなのだろう。そこには、子孫を残す事を最優先にして、第二夫人や側室をおくのとは、まるで違う意味があるからだ。

 なにしろ彼女たちは、自分の生む子供にハリュー家の跡を継がせるつもりが、端からないのだ。そこは、そもそも文化の根底が違う。ある意味、家督を有する男性同士が結婚してしまったような状態なのだろう。

 まぁ、ウチの家督はグラのものなんだけど。


「そういった環境におかれた者は、義務でしかないおんなとの関係に倦んで、男に走る場合が往々にしてあるのだ。特に武人に多い。他家から嫁いできた、信用も信頼もできない、子を成すだけの女より、戦場を共にし、同じ死線をくぐった友に対して、特別な感情を抱いてしまうのも、また仕方のない話であろう。共にいる時間も長いしな」

「…………」


 いや、まぁ、うん……。それ、単純接触効果ってやつだね。そういえば、歴女の母が言うには、戦国時代は腐女子の方々が狂喜乱舞するようなが、ゴロゴロしていたらしい。武田信玄とか上杉謙信、そして当然織田信長周りの関係には、然程腐海に造詣の深くない母でも『少し肺に入った』、程度には瘴気を嗜んでいるらしい。

 始末が悪いのは、これはなにも第二王国だけの話ではなく、北大陸の人類国家の多くで見られる現象であり、各国の領袖たちが真剣に頭を痛めている問題のようだ。いや、王侯貴族だけでなく、どうやら聖職者たちにとっても頭痛の種らしく、神聖教が男色を禁忌に指定するか否か、真剣に協議しているのだと、ポーラさんは教えてくれた。


「で? 僕がそういう衆道趣味に目覚められたら困るから、伯爵家から人を入れたい、と?」


 結局は、前日のアマーリエさんと要件は同じである。だからBLに理解はあるけど、断じてそっちの趣味はないんだって!


「うむ!」

「で、その様子だと、我が家に入れる人員というのは……」

「お察しの通り、私だ!」

「いや、まずいでしょう、それは……」


 未婚の貴族家の女子が、長期間他家で厄介になるというのは、風聞の面ではかなり良くない。婚約者という建前があれば、一応は弁解の余地はあるが、それはつまり婚約を公のものとするという事に他ならない。それはつまり、婚約の破棄がほぼほぼ不可能になるといっていい。


「私は問題ないぞ」

「少しは気にしてください。もしも僕らが、なんらかの事情で第二王国や伯爵家と敵対したら、婚約破棄は免れません。そうしたら、ポーラさんは未婚でありながら未亡人のような扱いですよ?」


 ぶっちゃけ、この人との婚約に乗り気になれないのは、僕の気持ちや、生殖機能云々よりも、そこが大きい。僕らの勝手で、彼女の女性としての一生を左右してしまうのは、かなり忍びない。僕らの懐には、そうなりかねない火種がいくつも転がっているのだ。


「ふむ……。まぁ、そうならないように努めるのが、同盟の証たる私の役目なわけだが……。最悪、私が嫁いだあとハリュー家と伯爵家が敵対したなら、私はハリュー家の者として、伯爵家に刃を向ける事も辞さぬ」

「ええ……」


 だが、そんな僕の懸念を、一刀両断するように言い放つポーラさん。彼女は、お淑やかさなど一切感じさせない、凛々しく、堂々とした態度で宣言する。


「騎士として、一度主を定めたのちに変節するような、恥知らずな真似はできぬ。敵を選べぬが武人の常なれば、いざまみえたならば、親兄弟とすらも殺し合うが戦場の掟だ。私が嫁いだのち、君が兄上と袂を分つというのならば、私は君につこう!」

「もしいま、僕らと伯爵家が決裂したら?」

「やむを得ん。私は君の敵となろう。いまの私は、あくまでも伯爵家の騎士だからな。思うところはあるが、致し方のない事よ」


 なんというか……、精神の根幹が完全に武人気質なんだよなぁ、この人……。腹芸ができないのは知っていたが、だからといってなんでもかんでも正直に言えばいいというものでもないだろうに……。


「少なくともそれ、貴族社会における女性の常識じゃありませんよね?」


 僕は、少々気疲れを覚えつつ訊ねる。この人と話していると、その単純明快な生き方にあてられて、思考力が低下していく気がする。いや、どちらかというと、同じように、なんでもかんでも眼前のものを素直に受け入れて、表裏なく生きていきたくなるというべきか……。

 ただ、彼女の生き方が、貴族女性の常ではあるまい。もしそうなら、政略結婚というものが同盟の証足り得ない。


「まぁ、そうだろうな。父上も兄上も、恐らくはそういうつもりはないだろう。私も、最大限両家の融和には努めるつもりだ。だが私は、一度ハリュー家に嫁いだら、ハリュー家の者として尽くすつもりだぞ? 二君に仕えるなど、不心得な真似はせん」

「……本音は?」

「……。……まぁ、どちらを優先するのか、いちいち考えるのが面倒というところは、ある!」


 ですよねー。

 まぁ、元々この政略結婚自体は、不可避とまではいわないが、かなり既定路線だった。それが本決まりになるだけの事で、予定外という事もない。

 ただやっぱり、心苦しいところではある。ポーラさんが考えている、僕らと伯爵家が敵対する場面というのは、最悪でも国外逃亡程度の未来だろう。だが、本当に最悪の場合、僕らは人類の敵――ダンジョンとして、遍く人間たちと敵対するのだ。

 まぁ、流石にそうなったらいかにポーラさんとて、伯爵家に戻るだろうが、その際に付きまとう悪評は筆舌に尽くし難いものとなる。最悪、魔女狩り紛いの扱いを受ける可能性とてあるのだ。


 はぁ……。気が重いなぁ……。



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