第3話 混乱の一日・アマーリエ

 ●○●


「は?」


 僕は思わず、素っ頓狂な声を発した。


「ええ。ですからどうでしょう? こちらの淑女を、ショーン様の夜伽の指南役に推薦したく思いますの」


 お上品かつ、どこか妖しさも醸し出す年齢不詳の美魔女、アマーリエさんの隣には、同じく上品で柔らかく微笑む女性が座っていた。

 長い栗色の髪に灰色の瞳。見たところは十代後半といったところだが、醸し出す雰囲気は妖艶の一言である。なにより、服の上からでもわかるその豊満な体付きは、ジーガは勿論、とっくに枯れているであろうザカリーですら、微かに意識を乱される程に蠱惑的だ。

……ホント、勘弁してくれ……。【竜卵EE】にした体は、もう軽々に作り直せないんだぞ……。

 とある日の午後。アルタン商人連合の仲間である、イシュマリア商会のアマーリエさんが、比較的急用という事で面会をしていた。だがその内容が、あまりにもぶっとんでいた。


 要は、エッチなお姉さんを、エッチな目的の為に、タダで雇いませんか、というもの。短期間でもいいし、気に入ったら永久就職でもいい。勿論、一夜限りでも構わないという……。


 いや、なんだその男に都合が良過ぎる、エロ漫画かAVのタイトルみたいな依頼は。というか、これは依頼なのか? こっちにデメリットらしいデメリットがない。費用すらかからないとは……。グラですら詐欺を疑うレベルだろう。

 なお、針生紹運君は享年とって十七歳なので、そのような不健全な代物の存在は知らないものとする。決して、姉二人のそういうものを漁って、小学三、四年生くらいから、保健体育の授業を予習していたわけではない事を、ここに明言しておく。

……歳の離れた姉弟あるあるだよねぇ。因みに、自分で買い求めた事がないのは、本当に本当である。


「…………」


 僕は部屋の隅で控える、ジーガとザカリーに視線を送る。ザカリーは使用人らしく、自然に顔を伏せてこちらと顔を合わせないようにしていたが、ジーガはあからさまにそっぽを向いていた。

……どうやら、ハメられたらしい……。

 おかしいと思ったのだ。なぜかこの面会において、多忙を極めるはずのジーガと、使用人筆頭である家令のザカリーの二人が側仕えを務め、それ以外の使用人を排除していたのだから。ジーガに至っては、弟子のディエゴ君すら遠ざけている始末だ。

 それだけの緊急事態が起こったのかとソワソワしていたが、それにしてはジーガに慌てた様子がなかったので奇妙に思っていた。そこに、アマーリエさんが、綺麗でエッチなお姉さんを連れてきた事で、混乱に拍車がかかった。

 そしていま、その緊急事態の内容を聞かされて、混乱は最高潮である。しかも、現在味方はなし……。文字通りのホームで、アウェイに立たされた気分だ……。


「えっと……、まず一ついいですか?」

「はい。なんなりと」


 柔らかく、しっとりとした口調で応じるアマーリエさん。なんというか……、この人はアレだ……。言動の一つ一つが、いちいち色っぽくて困る。

 シッケスさんとかティコティコさんとか、体はエロいのに言動が残念過ぎてちっとも色気を感じないタイプとは真逆である。なお、別に体がエロくないわけでもない。

 鬼に金棒じゃねえか……ッ!!


「まず、なんでいきなりそんな話になってるんです?」

「ウサギです」

「――ああ……、なるほど」


 その一言で通じてしまうあたり、僕もまぁかなりこの世界に馴染んだといえる。やはり北大陸における兎人族ウサギへの忌避感は、相当に根強いのだ。迫害とまではいわないが、それも彼らが強いからといえる。彼らがそれなりに強い獣人族でなければ、たぶん完全に差別対象の民族だっただろう……。


「しかし、ティコティコさんは、いまは割と落ち着いてますよ? あまり心配しなくても……」

「我々としては、その事に油断したくないのです。万が一、ショーン様の心身に癒えぬ傷を残し、子宝を望めぬ状態にされては目も当てられません。せっかく軌道に乗りつつある、アルタンの畜産業はあちこちからの介入を受けかねません」

「あー……、まぁそれは……」


 アマーリエさんの切実な物言いに、僕は一切反論できない。たしかに、家業というものは子孫が継承するのが基本で、僕の生殖能力がない、もしくはなくなったというのは、俯瞰的かつ長期的な視点では死んだも同義なのだ。そうなれば、あちこちから食指が伸びてくるのは自然な流れだ。


「勿論、このエリザベートがお気に召さぬとの事であれば、別の娘をご用意いたします。好みの容姿、嗜好などございましたら、如何様にでもご対応いたしますわ」

「いや、問題はそこじゃ……」


 明け透けというより、無神経な物言いに心配になって、エリザベートさんを盗み見たが、彼女はまるで子犬でも眺めているかのような穏やかで優しい微笑みを湛えたまま。

 なんというか、比べるべきか迷うが、ジスカルさんの鉄の笑顔を思い起こす微笑みだ。無論、受ける印象はまるで違うが。


「閨事の手解きは我らの領分にございますれば、これはアルタン商人連におけるイシュマリアの存在意義かと存じますわ。逆に、これを蔑ろにされますと、わたくしたちは他の分野においては、他の商会からは一歩も二歩も後れを取っております。最終的には、排除される惧れとてあるでしょう」

「いや、そんな大袈裟な……」


 とは言ってみたが、たしかにイシュマリア商会は、直接畜産業に寄与する部分が小さい。採れた羽毛、毛皮、皮、骨等々の加工業務に人手を出すのが常だが、それは別に代わりがいないわけではない。

 いまは立ち上げメンバーとして中核を担っているが、将来的に他の商人たちがその席を狙って攻勢をかけてこないなどとは、誰も言えない。その際に、絶対にイシュマリアの排除があり得ない、とも保証はできないのである……。

 そんな状況において、彼女がアルタン商人連合において存在感を残そうと思えば、己の得意分野で勝負するしかない。そして、イシュマリアの得意分野といえば、それこそ房事となるわけだ。


「うーん……」


 理屈はわかる。事情も、それが切実である事も。

 ウサギの強引なやり方で、男として再起不能になった人の話は枚挙にいとまがない。ダークエルフの子作りにおける、他種族の男性の扱いの悪さも有名だ。

 ハリュー家の血族として、僕ら――この場合、家臣筋であるグラではなく、傍系となる僕の血筋を欲している、彼らの切迫した思いも良くわかる。

 わかるが、正直困る……。

 僕は最低でも、ティコティコさんがいる間に生殖能力が発現するのを避けたいのだ。その為に必要なのは、できるだけ『性』を意識しない事だと思っている。

 一度目に発現したのは、ふとしたきっかけで感じた、オーカー司祭の女性らしい香りがトリガーだった。勿論、それまでの積み重ねがあったという前提で、しかし最後の一押しがそれである以上、確実に匂いは僕の性癖の一つと見ていい。

――いや、なんだコレ。なんで僕は、真面目くさって自分の性癖を分析してるんだ!? 意味がわからない!!

 いやまぁ、性欲がない体である以上、考察するしかないのだが……。最低でも、一度ティコティコさんが離れてから、ゆっくりと己の本能と向き合う時間が必要だと思っている。その為、いま性急に事を進めたくないのだ。

 だが、そんな事情など知る由もない、我が家の使用人たるジーガが、こっちに矛を向けてくる。


「旦那、これを断るのは流石に無理だぜ? イシュマリアの顔に、これでもかって泥を塗る事になる」

「……君たちがそう仕向けたんだろうに……」


 ジーガがそっぽを向きながら提言してくるのに、やや恨みがましい言葉を返す。


「最大限こちらの要望に応えるつもりがあり、なおかつ無償、無期限という、ほぼノーリスクハイリターンのこの話を断るなら、それこそ『イシュマリアなどアルタン商人連合に要らぬ』と、盟主である旦那自ら宣言したも同然だ。まず確実に、イシュマリアの席を狙って蠢動を始める商人が現れるぜ?」

「……たしかに」

「旦那様は、エリザベート様のご容姿、ご年齢、その他にご不満がおありですか?」

「いや、ないけどさ……」


 ザカリーの質問答えつつ、あってもこの状況で言えるか! と内心で突っ込んでおく。いや、もし言っても笑顔で受け流しそうだけどね、エリザベートさん。


「では、イシュマリア商会にご不満が?」


 重ねられたザカリーの質問に、眼前の二人からの発される笑顔の圧が強まった。いや、だからこの状況で不平不満なんて言えるかっての!


「ないよ」

「であれば、このお話は断れません。断るという事は、相手の命脈を断つも同然。そうでなかったところで、敵対は免れません。そう追い込んだのは、我々という事になるでしょう」

「…………」

「それがやむを得ないってんなら、敵対も仕方ねえがよ、ここで無闇に敵を作る意味はねーと思うんだよな」


 追い討ちをかけてくるジーガ。またったく、まるで自分の命を盾に脅迫されているような気分だ。いや、イシュマリアのおかれた危機的な状況が、自業自得だとは思わないが……。


「あと、こないだウチに【愛の妻プシュケ】と【アントス】の二つのパーティを呼んで話し合っただろ?」

「うん? まぁ、そうだね。それがなに?」


 いきなり話が変わった事に首を傾げつつ訊ねると、ジーガはようやくこちらを向く。その顔には、なんともいえない笑顔が貼り付いていた。


「アマーリエが取るものもとりあえずすっ飛んできたのは、それが原因だ」

「うん? いや、わからない。どういう事?」


 いきなり捉えどころのなくなった話に眉を寄せる。なにを言っているのか、話の結論はなんなのか、全然見当がつかなくなった。割と理解は早い方なのだが……。


「要は――」


 ジーガの話を引き継ぐように、アマーリエさんが口を開く。彼女の、甘い笑顔の奥にある真剣な目の光が、その内容の深刻さと切実さを、これでもかと伝えてくる。よく観察すれば、その目尻には緊張から僅かに皺が寄り、口元は恐怖に震えるようにピクピクと戦慄わなないていた。

 紅の引かれたその口で、彼女は告げる。


「――ショーン様に男色家になられては、非常に困るのです……」


 その一言がとどめとなり、僕はエリザベートさんの雇用を了承した。表向きは侍女扱いであり、また当面の仕事も間違いなくそれだけだという点を、噛んで含めるように説明し、了承させてからの雇用ではあったが……。


 いや、うん……。僕もまぁ、性知識の根源が姉のベッドの下である以上、BLの知見はないわけじゃない。だが、断じて素養はないのだ! そこを勘違いされるのは、本当に困るので、これは仕方のない処置だった。



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