第5話 混乱の一日・レヴン

 ●○●


「は?」


 僕は思わず、素っ頓狂な声を発した。

 眼前にいるのは、濃紫色のゴーグルをつけた、ツンツン金髪頭の男、レヴンだ。彼の持ってきた話は、まさしく青天の霹靂だった。

 室内には、僕とグラの他に人はいない。流石に、地上の屋敷でダンジョンに関する話をするつもりはないが、それでも最低限人払いをしておくのは、ニスティス大迷宮の使者である彼に対する礼儀だろう。


「だから、近々【雷神の力帯メギンギョルド】は全員、東側の戦に駆り出される。アイツらのリーダーであるワンリーがフリーになったからな。これからは、パーティ単位の行動が多くなるだろうさ」


 繰り返されたその言葉に、僕は思わず舌打ちしそうになる。

 僕らのダンジョンに侵入者が増えているこの段階で、よりにもよって使用人たちの守りの要たる白黒エルフコンビが、本業で離脱というのは頭が痛くなる問題だ。

 とはいえ、彼らが冒険者である以上、僕にはそれをどうする事もできない。むしろ、安月給で我が家の使用人をさせている方が、道理に合わないのだ。

 いや、使用人のお給金としては、危険手当込みでそこそこの額を渡してはいる。ただ、言ってしまえば相手はプロの、それも一流チームのスタメンなわけだ。そんな人間を丸一日拘束するだけの給金かというと……、まぁ、そんなわけがない。というか、流石に彼らの立場に見合った給料を払おうとすると、長期雇用は不可能な額になる。

 まぁ、彼らを我が家で雇うのはセイブンさんからの依頼であり、当初は徒弟として無給でこき使って構わないと言われていた。流石に、そんなわけにはいかないだろと給料は払っていたが……。

 とはいえ、だからこそ本業が入った以上は、そちらを優先するのを止める事はできない。当たり前のように、白黒コンビの戦力を使用人用の用心棒バウンサーと考えていた僕が、この場合は浅はかだったのだ。


「しかし、だとすればどうするか……」


 僕は思わず呻吟しつつ、天井を見上げて考え込む。


「なにを悩んでんのか知らねえが、良かったじゃねえか。【雷神の力帯メギンギョルド】がお前らのダンジョンから離れるんだろ? 俺なら、ニスティス大迷宮の付近に、一級冒険者パーティのメンバーがいるって聞いたら、正直気が気じゃねえ。ヴェルヴェルデ大公領や旧王領に行くってなら、万々歳じゃねえか」


 呆れるように言い捨てるレヴン。その言い分もわからないではないが、こっちのダンジョンの正面出入り口は、既にサイタンの近郊に作った開口部であり、こちらではないのだ。

 そして、こちら側の出入り口たる【地獄門】を守っている使用人たちを守護していたのが、シッケスさんたちなのである。


「そっちとこっちとは状況が違う。僕としても、サイタン付近に彼ら【雷神の力帯メギンギョルド】がいるとなると、正直ソワソワする」


 彼らが僕らのの側にいるとなれば、たしかに冷や汗ものだ。だが、こっちにいる分なら、彼らも不用意に我が家のに手を出さないという程度には信用している。

 新たに使用人用の用心棒でも雇うか? だが、いまから下手な者を雇おうとすれば、そこに間者が紛れ込む可能性が高くなる。むしろ、下手に手厚いガードをつければ、そこが弱点だと喧伝しているようなものだ。

 弱いところを見せれば、そこに食い付かれる。流石に悪手が過ぎる。だが完全にフリーにするというのも憚られるな……。

――……いっそ、弱点と見せかけた罠として曝け出すか? 所謂『空城の計』だ。


「わけわかんねーなぁ。別に召使いなんざ、何人殺されたって無視しときゃーいいじゃねえか。ただの人間だろ?」

「わかってないな、レヴン。そんな事で君は、本当に人間社会に溶け込めているのかい? 少し心配になるよ」

「あん?」


 意味がわからないとばかりに、片眉を跳ねさせるレヴンに嘆息するが、そこまで説明してやる義理も特にない。

 彼らは、僕らのダンジョンにおける、裏口に控えている守衛というだけでなく、『ハリュー姉弟』というカバーを守護してくれる、大事な人員なのだ。彼ら自身が、自らの意思でそれを維持しようとしてくれているという点が、なによりも得難い状態なのである。


「とはいえ、情報提供は感謝する。おかげで、いち早く動ける」


 僕が王都に行ってからだったら、かなりの一大事だった。グラもたぶん、使用人たち用のガードになんて、気を配らないだろうしね。無防備で食い付かれたら、それこそ大惨事になっていた。


「ホント、意味わかんねぇ。グラ様も大変でしょう?」

「ショーンが私の為に必要だと判断したのであれば、私に否やはありません」

「つまり、やっぱり意義は見出せないって事ですよね?」

「…………」


 うん。グラにはあとで、きちんと説明しよう。

 ひとまず、一度ウワタンまで出向いて、戦闘能力のある奴隷でも雇うか。アルタンは現在、未曾有の人手不足だからな。探しても意味ないだろう。


 ●○●


「ハリュー家の使用人?」

「はい。どうやら、サイタンに屋敷を構えるに際し、そこそこの人数を雇うとの事。そこに、こちらから人員をねじ込めないかと思いまして」


 フランツィスカの進言に暫時考え込む。メリットとデメリットを勘案すると、失敗時に被るリスクの大きさが気にかかる。

 だが、眼前の男がこの程度の懸念を想定していないわけがない。それでもなお提案してきたのなら、そこになんらかの意図があるはずだ。


「詳しく話せ」

「は。どうもその使用人に関しては、ショーン・ハリューの愛人候補を念頭に選抜を行なっている節があります。能力よりも、容姿と気立てを優先しているようです。取り仕切っているのは、ショーン・ハリューからも信任の厚いジーガという執事です。ハリュー家の財政を、一手に任されている程の人物ですね」


 あの警戒心の強い弟が、そこまで懐深くに蔵す程の人物となれば、余程信用しているのだろう。下手に切り崩しを図れば、それこそ藪蛇だ。薮から現れるのが蛇程度なら可愛いものだが、どう優しく見積もったところで多頭蛇ヒュドラが出てくるのでは、割に合わない賭けだ。

 いまの帝国は、とりわけタルボ侯爵領は、ハリュー姉弟とだけは事を構えられない。南方のベルトルッチ領とをつなぐトンネルという、首根っこを完全に掴まれているのだからな。

 リスクを考えれば、その執事とやらにも余計なちょっかいをかけるべきではない。そう判断し、軽く首を振る。そんな私の様子に頓着する事なく、フランツィスカが続けた。


「どうやらジーガ――、いえ、おそらくハリュー家使用人の総意でしょうが、ハリュー家を維持する血族の少なさ、二人の幼さを、相当に危ぶんでいるようです。ハリュー家がおかれている、政治的重要性と家業の存続という二点を考慮し、早急にハリュー弟には子を作らせたいのかと」

「なるほど……」


 要は、平民筋の血族を残して、アルタンにおける畜産事業の存続を確実なものとしたいという心算こころづもりだろう。彼らも、いまの生活を守り、ハリュー家の使用人という仕事を、家業として子らへ継承したいと考えているわけだ。

 我々としてもそれは願ってもない。いくら未だ姉弟が若いとはいえ、やがては歳をとって最期を迎える。そのとき、トンネルの維持が不可能になっては困るのだ。

 まぁ、姉弟の気性を考えると、歳をとる前に命が潰える可能性を考慮しないといけないのかも知れないが……。


「使用人たちが、ハリュー家の譜代の家臣候補だとすると、できるだけ参入は早い方が良いのではないかと考えます」

「相手はなのだぞ? いかに【暗がりの手】であろうと、自白を強要されれば抗えまい。もしもそうなったら、関係が一気に冷え込みかねん。草を紛れ込ませるのは、危うい賭けだ。そのような危ない橋が渡れるか」


 私がそう言えば、心得ているとばかりにフランツィスカは大きく頷く。


「ええ。相手の了解も取らずに事に及べば、そうでしょうね」

「ふむ……。つまり、弟公認でこちらの手の者を送り込む、と?」


 誰が好き好んで、他国の間諜とわかっていて人を懐に入れるというのか。


「【暗がりの手】からは人を入れません。それをすれば、やはりどうしたところで不審を買いましょう。その代わり、姉弟から了解をとったうえで、相応の女性を送り込みます。もしも第二王国において、姉弟の立場が悪くなれば、その者をつなぎに帝国へ渡りがつけられましょう……」

「なるほど……」


 つまり、先々の為の布石か……。たしかに、予め話を通しておき、ある程度身元のたしかな者を送り込めれば、向こうも不審に思う事はない。もし調べられても、こちらに後ろ暗いところはない。関係が悪化する惧れは低いだろう。

 そして、万が一にも好機が訪れた際には、どの組織よりも早くあのきょうだいに手が届く。

 要は、此度のフランツィスカの提案は、姉弟に対する最適なポジションを取る為の政略結婚という事か。ふむ……。


「悪くない……」

「はい。ですが、送り出す者の選別は、私には不可能です。そこは閣下とタチ様にお願いせざるを得ません。下手な者を送れば、やはり……」

「ああ。わかっている。候補がいなければ、この話はなしだ」

「は」


 相手の言葉を引き継ぐように私は頷く。フランツィスカも真剣な表情で頷いた。

 ショーン・ハリューの愛人候補……。相応に聡い者でなければ、つなぎとしては役に立たない。だが、単に賢しらな女をつけると、今度は勝手な真似をして、帝国との関係にひずみ生みかねない。人選は難事を極めるだろう。

 タルボ侯の人脈を駆使しても、候補がいるかどうか……。だが、これは……――打つにたる一手だ。


「ハリュー家の血族が十分いれば、トンネルの維持管理も世襲させられる可能性はある。そして、帝国で働かせる者は帝国に縁のある者とするのが、お互いに望ましいはず……」

「はい。当代の姉弟を取り込む事は無理でも、世襲した分家としてハリュー家を帝国に招聘する事は可能かも知れません。必要なのは……」


 自然と声は小さく、声音は真剣味を帯びて低くなる。それだけ、話の内容が我々にとっての重大事であった。


「人工的なダンジョンに関する技術、だな」

「はい。最悪、維持能力だけでもあれば重畳です」

「そうだな……」


 タルボ侯爵領としては、いつまでも物流の首根っこをハリュー家に握られ続けられるわけにはいかない。当代の姉弟、とりわけショーン・ハリューは利害と理非に聡い者だが、次代もそうである保証などない。下手をすれば、トンネルの存在を笠にきて、無理難題をふっかけてくる惧れとてある。

 もしも、そういった最悪の事態が起きた際にも、ハリュー家の中に『帝国派』を作っておければ、無駄にはならない。姉弟にそのつもりはないようだが、子孫になら『貴族』という餌は有効かも知れないのだ。


「トンネルの維持管理を家業としてくれるなら、それだけで永代貴族として取り立てるのに、なんら不足はないな」

「はい。ショーン殿は、十分に聡いお方です。きちんと話し合えば、将来的にハリュー家そのものが、タルボ侯爵領にとっての目の上の瘤となりかねない状況を理解されるでしょう。そして、それを避けるという名分で……」

「こちらから送り込む女を、受け入れる可能性は高い、か……」


 最悪、侯爵家の血族から――いや、流石にそれは拙い……。いくらなんでも、第二王国が不審に思う。

 クソ! 三大公相手の政略結婚でも、ここまで人選は難しくないだろうに! しかし、この布石は是非とも打っておきたい!!


 将来のタルボ侯爵領や、帝国の為には勿論、将来の【暗がりの手】の頭領の苦労を軽減させる為にも。



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