第6話 混乱の一日・ジスカル

 ●○●


「は?」


 僕は思わず、素っ頓狂な声を発した。……なんか最近、毎日同じように驚いている気がする……。


「独立ですか?」


 そう思ったからこそ、僕は同じ説明を繰り返される前にそう続けた。

 眼前の美青年、小麦色の肌にクリーム色の髪、嫌味ではないものの全身を高価な装飾品で着飾る敏腕商人――ジスカルさんは、上品な所作で、僕の言葉に頷いた。その口元には甘い笑みが湛えられているが、強固なそんな営業スマイルは、強面のしかつめらしい顔よりもよっぽど恐ろしい。

 本日の彼の護衛は、緑髪の長身美女ライラさんと、低身長黒髪青目のシュマさんという凸凹コンビ。それ以外の面子は、どうやら意図的に排除されているらしいと、ジーガから耳打ちされた。それは、それだけ重要な内容を話すという、ジスカルさん側からの意思表示だったようだ。

 その内容が独立、と。たしかに重大事だ。ただ、どうして部外者である僕らに、そんな事前連絡を入れたのかが問題だ。


「ええ。まだ本決まりではありませんし、正直未練がないわけではありませんが、少々カベラの上層部に不信感を覚えまして」


 事もなげにそう述べるジスカルさんに、僕は一度ジーガと顔を見合わせてから、再度首を傾げて問いかける。


「不信感ですか……。ですが、ただそれだけで捨ててしまうには、カベラという大看板は勿体ないでしょう? 商人にとっては、万難を排してでも得たいもののはずですよ」

「ごもっとも。ですから私も、未練がないわけではないと申しました。もし、この先上への不信感が晴れるような事になれば、是非とも所属を続けたいと思っていますよ。やはりしがらみは多かれども、大きな看板で商いをするメリットは大きいですから」


 彼も一端の商人――というより、大人だ。多少己の意に染まぬ事であろうと、呑み込んで職務に努める分別はあるはずだ。大手も大手である、カベラの看板を捨ててしまうのは、流石に短慮と言わざるを得ない。

 だが、そんなジスカルさんが、独立を考えている。そこには、それなりの理由がありそうだ。


「もしかして、こうして前もって僕らにそれを告げたという事は、その不信感を覚えた理由が、僕らに関係あるのですか?」

「御明察です。実は――」


 そこで語られた理由は、たしかに僕らにとっては、カベラとの関係を考え直すにたるものだった。あれだけこちらに譲歩を強いていながら、それで約束していた利を惜しむなど、ハッキリ言ってケチが過ぎる。

 吝嗇というのは、人離れの理由としてはかなりスタンダードだ。ジスカルさんとしても、組織の大きさに胡座をかいて、外部の小規模取引相手に不利益を押し付ける傲慢なやり口には、賛同できないという話らしい。まぁ、わからなくもない。

 しかし果たして、それで巨大な商圏を有する商業ギルドを抜ける決断につながるだろうか?


「ふむ……。しかし、やはりそれで独立というのは早計では? ジスカル様であれば、将来的にカベラの組織運営に関わる事も不可能ではないでしょう? 現在の経営方針に不平不満があろうと、あなたが将来上に立って、それを是正すれば良いだけでは?」

「まぁ、それも考えましたが……」


 そう言ってからジスカルさんは苦笑し、大きくため息を吐いてから肩をすくめると、やはり淡々と続きを口にする。


「私はやはり、どこまでいっても商人なのですよ。大きな組織の運営に頭を悩ませるよりも、いかに良い商いをするか、その商いでどれだけ稼ぐか、稼いだ資金でさらにより良い商いをするかだけを考えていたいのです。カベラの幹部になどなれば、そのような真似はできなくなります。組織運営にばかり意識を割いて、挙句が今回起ころうとしている事態です。それもまた商売の一環だといえば間違いではないのでしょうが、個人的な見解ではありますが、面白味に欠けますね」


 その言葉を聞いて、ああ、この人は本当に、根っからの商人なのだなぁと感じてしまう。チラリと盗み見れば、ジーガも「その気持ちはわかる」とばかりに頷いていた。どうやらこういう人たちにとって、常に一線にいる事は、誇りであると同時に、趣味と実益をかねている行為らしい。


「なにより、それでは時間がかかり過ぎます。『時は金なり』。我ら商人の金科玉条です。ショーン様が有する様々な商材を、その関係と共に手放している間に、我らはその商機を完全に逸する事となる。私はそれが、どうしても我慢ならない」


 静かな口調でありながら、その言葉にはどこか、覇気のような苛立ちがこもっているように思えた。

 ウル・ロッドの連中がドスを利かせて恫喝紛いの交渉をしてきても、飄々と受け流すジーガが、僕の背後でゴクリと喉を鳴らしていたのが、印象的だった。普段は、そんなあからさまな動揺など、絶対に相手に見せないだろうに。

 こちらの緊張を見てとったのか、ジスカルさんは空気を和ませるように、パンと柏手を打ってから、商品を見せびらかすように両手を広げて言葉をつづける。


「要は、私はショーン様、あなたとのつながりとカベラとのつながり、天秤にかけてあなたを選んだ、というだけの事です。簡単な話でしょう?」


 必要以上におどけるような、稚気に富んだ口調のジスカルさんだが、当然冗談ではないのだろう。このような冗談を言うようなら、かなり質が悪いと言わざるを得ない。ただ、この言葉がどこまでリップサービスなのか、本当はさらに狙いがあり、それを美辞麗句で糊塗している可能性があるのではないか……?

 僕はなんとか逡巡と動揺を隠しつつ、されど真剣な口調で応える。


「それは……また、随分と分の悪い賭けに張ったものですね」

「一般的な視点であれば、そう見えるでしょうね。ですが、私がこれまであなたと付き合って得てきた情報を鑑みれば、必ずしもそうではないと思っています。むしろ、かなり勝ち目のある勝負であるかと。上層部も、情報だけは同じものをもっているはずなのですが……」

「そうですか? 僕は正直、カベラの上層部の方に共感しますよ。こんなちっぽけな姉弟と、一大商業ギルドを並べたとき、どちらにベットするかを迷う事はありません」

「まぁ、大局的に見れば、私もその意見には概ね同意ですね。ただし、勝負のフィールドをこの第二王国西端に限るならば、十二分に勝ち目があります。というより、カベラは一度、この地であなた方――というより、アルタンの商人たちに屈しかけているのです」

「――……なるほど」


 それはいうまでもなく、バスガルのダンジョンが侵出してきた崩食事件の際に、カベラ商業ギルドがやらかして、住人たちから総スカンを食らった件を指しているのだろう。その記憶は、まだ住人たちにも生々しく刻まれている。

 ジスカルさんたちは、その失点をなんとか取り戻そうと、日々奮闘している真っ最中だが、未だにアルタンにはカベラ商業ギルドに対して反感を持つ者も多い。

 もしもそれが再燃したら、今度こそアルタンからカベラ商業ギルドは叩き出されかねない。否。僕らに対する不義理を理由にそれが起こるなら、下手をするとサイタンからアルタン、ついでにシタタンまでの商圏から『カベラ』の名のつく商人は、叩き出される惧れがあるといえる。

 この辺りは、ゲラッシ伯爵家がどれだけ僕らに対して配慮してくれるかだが、僕らを取り込む為に、外部の商人である『カベラ』を排しつつ、その後釜を地元の商人に任せられるなら、伯爵領にとっての損得の天秤は得の側に傾くか、悪くてもトントンだろう。十分にあり得る可能性だ。


「なるほど……」


 僕はもう一度繰り返してから、ジスカルさんの顔を正面から見つめる。そこに浮かぶ、好青年の仮面の下にある思いを斟酌しつつ、わかった事を口にする。


「ゲラッシ伯爵領が商圏から外れた際の、カベラ商業ギルド側のデメリットは計り知れませんね」

「ふふふ……。ええ、ええ。まったくもってその通り。パティパティアの峠道を使えなければ、大パティパティア山脈を越えて北に人や物を送るのに、どれだけ手間と時間がかかるものか……。頭の痛い問題です」

「アンバー街道を使った北回りの道か、あるいはジェノヴィア、パーリィ経由の西回りの道ですか? 随分と時間がかかりますね……」

「いまは帝国のパティパティアトンネルもありますよ? まぁ、あなた方に不義理を働いたあとで、そのトンネルを使わせてくれなどと、どの口で言うのかという話ですが。帝国も、ショーン様方の不興を買う事を恐れて、使わせないんじゃないですかね?」

「……物流、人流というのは、同時に情報の流れでもあります。商圏というのは、すなわち一次情報を得られる領域。カベラの強味は、その商圏の広さです。逆に、深さはない」

「ええ。ですから、先般のアルタンでの出来事を軽視せず、我々はこの地での商いを維持しました。勿論、アルタンを抜きにサイタン=ウェルタンで情報網の綻びを補うという案もないではありませんでしたが、情報網の穴は精度に不安を生じさせます。深く地域に根差す道を捨てた我々は、情報の精度低下をなおざりにできなかったのです。上はそれを懸念して、私を派遣したはずだったのですがねぇ……」


 ジスカルさんはそこで、鉄壁の笑みを、自嘲するような皮肉なものへと変えて嘆息する。やはり、現状のカベラのやり方に、相当不満を持っているらしい。

 実際、ゲラッシ伯爵領からカベラ商業ギルドが排斥されたところで、完全に情報が遮断されるという事はない。第二王国から帝国へ物や人が流れる以上、同時に情報だって流れていく。カベラがそこに人を入れて、情報共有をするのは不可能ではない。

――が、そうなった場合はどうしても、情報網はこれまで通りの精度、緊密さ、確実性、コストの維持はできなくなる。場合によっては、カベラ商業ギルドの第二王国における足場がグラつく切っ掛けにもなりかねない。

 余程のバカでもなければ、流石にすぐリカバーするだろうが。


「まぁ、カベラの上層部もバカではありません。今後、ショーン様方との関係悪化に伴い、ゲラッシ伯爵領での商圏を失う事態に陥ったとしても、最悪の状況だけは回避するでしょう。その為の橋頭保として、私という駒がこの地に残るのは、そう悪い状態ではないかと」

「――なるほど」


 思わず唸りそうになった。なるほど、そういう事か。だからこそ、このタイミングでこちらに話を通しにきたわけか。

 ジスカルさん的には、僕らとカベラ商業ギルドとの軋轢は、もはや不可避と考えているのだろう。そして、関係悪化から伯爵領におけるカベラ商業ギルドの排斥もまた、かなりの確率で発生すると思っている。

 そのタイミングで独立をし、情報網の最低限の継ぎ接ぎという役目を担う事で、カベラ商業ギルドからの妨害を抑えつつ、こちらに足場を移そうと考えているわけだ。独立といっても、カベラとの完全な決裂は避ける。その後の身の振り方は、都度都度状況を見て考えるつもりだろう。

 ある意味、どっちつかずで美味しいとこ取りのような立ち位置ではあるが、そうと見えないように振舞う方法ならいくらでもある。上手くすれば、双方に恩を売りつつ、利益を得るのも可能な立ち位置だろうが、その分バランス感覚が試される立場になるだろう。

 状況を利用して、最大限の利益を得ようとするのは、商人ならば当然の思考だ。まぁ、あからさまに両天秤にかけられたり、それこそ蝙蝠のように双方の間をフラフラされるとムカつくかも知れないが、この人がそんなさもしい真似をするとも思えない。

 実際、こうして予め独立の可能性を提示し、その理由も明示する事で、僕らに誠意を表している。それも、実際に事が起こってからでは信用を得られないと思っての事だろう。

 まぁ、たしかにカベラが不行状を働いてからでは、ジスカルさんへの信用もダダ下がりしたあとだっただろう。そこから、諸々の商売に携わらせるのは、なかなかにハードルが高かったと思う。


「――そんなに、レッドダイヤは高値で売れましたか?」

「…………」


 深い笑みのみで答えるジスカルさんに、僕は肩を竦めてため息を吐く。どうやら、以前の取り引きで引き渡したレッドダイヤは、かなりの大商いになったらしい。まぁ、当然か。


「――つきましては……」


 まるで話題を変えるかのように、努めて明るい口調でジスカルさんが口を開く。


「我々も、ショーン様の愛人となれる者を、使用人として紹介しておきたいのですが」

「……もうホント、勘弁してください……」


 その話は本当に、もうお腹いっぱいなのだ。ティコティコさんが絡んでいない内容だったら、一切合切お断りするようにと、ジーガやザカリーにも伝えている。一応、エリザベートさんを雇った事で、この二人もそこまで強硬に、愛人候補を入れようとしてこなくはなったが……。

 幸い、ジスカルさんは本気で僕が嫌がっていると察してくれたのか、この話はすぐに立ち消えとなった。最近ホント、この手の話が多くて参る……。いやまぁ、重要だってのはわかってるんだけどさ……。


……正直、子作りそのものにウンザリして、男色に走る貴族男性の気持ちが、少しわかる……。



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