第7話 楡と葡萄

 ●○●


「あなたたちには、しばらく我が家の使用人たちの護衛をお願いしたいと思っています」


 僕は眼前の男女に向けて、雇用条件について説明を始めた。彼らはシッケスさんとィエイト君の代役であり、その条件とてまったく同じである。


「実際に危害が及ぶ状況であっても、あなたたちに求めているのは、使用人たちを安全かつ迅速にパニックルームへ退避させる事です。戦闘は極力控えてくださって結構です。パニックルームでの防衛に関しても使用人たちの方が手慣れていますし、二人が矢面に立つ事はまずありません。室内に敵が侵入してきた際は別ですが、使用人たちにはそうなる前に、拠点の放棄と最終退避を指示しています」

「最終退避?」


 男女二人組の片方、男の方が首を傾げて訊ねてくる。


「屋敷を離れ、衛兵詰所に助けを求める事です。屋敷は完全に放棄する事になりますが、まぁ、地上にあるものなんて、人命以外はいくらでも替えが利きますから」

「お大尽な発言だねぇ。いつか言ってみたいもんだ。俺は、草臥れた靴の片っぽだって、人に取られそうになったら相手を殺すぜ? まして、もっと大事なものなら一切躊躇しねえ」


 男臭い顔付きに、皮肉げな笑いを浮かべて苦言を呈してくる男の名前はスカンジ。彼はドヤ顔で言い終えると、隣の女性の頭を抱き寄せる。

 彼らはここアルタンの町において、そこそこ名の通っている五級冒険者パーティ【楡と葡萄ラヴァーズ】の二人だ。その名の通り恋人同士であるので、その行為自体を咎め立てするつもりはない。家でやんな、他所でやれ、とは思うが……。

 濃い焦げ茶色の短髪が、もみあげから顎までつながり、どこからどこまでが髪と髭なのか、判断がつかない。紫の瞳を有する双眸はややタレ目で、決してイケメンと呼べるような容姿ではないが、人好きのする濃い顔立ちの男である。

 小さな紫髪の頭にキスをするように抱き寄せたスカンジの仕草に、女性の方も顔を赤らめながら、応じるように頭をスカンジの顎に擦り付ける。うん、マジ、他所でやれ。

 女性の方の名前はアズ。深い紫色の長髪に、細面の顔立ち。体付きもほっそりとしており、その肢体を包むローブも、上品で手の込んだものだと、一目でわかる一品だ。

 端正な顔立ちに、服装もあいまって、どこぞの貴族や裕福な商家の令嬢と言われても、なんら違和感のない上品美人である。名前もアズと、かなり偽名っぽい。もしかしたら本当にどこかから駆け落ちしてきた口かも知れない。少なくとも、冒険者なんて商売が似合う女性ではない。

 眼前でイチャイチャし始めた【楡と葡萄ラヴァーズ】の二人を、目の焦点をずらして見ないようにしながら、つらつらと二人について考える。

 冒険者という、かなりやくざな界隈を生きる彼らは、舐められたら次から次へと同じようなヤツにたかられるとわかっているのだろう。そしてそれは、僕とて同じだ。

 そんな事は、端からわかっている。


「僕だってそのつもりですよ? ただ、相手が完全武装だったら、一度やり過ごしてから寝込みを襲うでしょう? そういう事です」

「なるほど。ハリュー姉弟、だもんなぁ。バカな発言を訂正させてもらおう」


 こちらは相手がウル・ロッドだろうと、躊躇せず返り討ちにする。

 その事に思い至ったスカンジが、真剣な表情になって軽く頭を下げる。アズの方も、その表情に僅かに緊張感を浮かべて、様子を窺っていた。……どれだけ、僕を短気者だと思っているのやら……。

 努めて明るく、僕は笑いながら両手を振って応える。


「そんなに真面目に捉えなくて大丈夫ですよ。先のスカンジさんの発言も、半ば以上忠告でしょうし。話を戻しましょう。侵入者スペ〇ンカーどもへの対処は、完全にこちらに任せてもらって構いません。戦闘が発生しない場合でも、既定の手当はきちんとお支払いしますし、逆に報酬目当てに不必要な戦闘に及び、使用人を危険に晒した場合には、ペナルティを負ってもらいます。ただ、侵入者たちが地下を無視して使用人たちを狙った際は、その護衛をお願いしたいと思っています」

「なるほど、了解だ」

「守秘義務に関しても大丈夫ですか?」

「今回の依頼で知り得た、屋敷の構造及び避難経路に関して、外部に漏らした際には違約金として、屋敷の建て替え費用プラス迷惑料を支払う、だろ? オーケー。んな金は、俺たちの財布を逆さに振ったって払えねえから、絶対に口にしねえ」

「お酒に酔っても口にしないよう、できれば依頼終了時に、幻術で記憶を封じて欲しいのだけれど、どうかしら? 万が一の損失を思えば、費用がこちらの負担でもお願いしたいのだけれど」


 男の言葉に続いて、そんな提案をしてくる女性。こちらは男性の方と違って、明確に美人といえる容姿だ。外見からでも、彼女の聡明さが伝わってくる、所謂知的美人というヤツだ。冒険者の中では割と珍しいタイプの女性である。

 彼女の提案の内容は、こちらにとってデメリットはまるでない。むしろお願いしたいくらいだが……。


「勿論、お二人がそれでいいのなら記憶を封じる事そのものは不可能ではないです。お金も必要ありません。ただ、記憶の封印ロックはふとした切っ掛けで解けてしまう事がありますので、そこまで過信しないでくださいね」


 一般人ならまだしも、二人は冒険者だ。生命力の理や、回復術などで、こちらの幻術が解けてしまう場合は、往々にしてあり得る。

 だが、僕のその言葉が意外だったのか、アズが首を傾げて訊ねてくる。


「あら? 以前どこかで聞き齧ったところでは、幻術なら不都合な記憶を消せるというお話だったのだけれど……」

「かなり乱暴な手段を用いれば、不可能ではありません。ですが、少なくとも味方に使うような術ではありませんね。記憶などという、目に見えぬものを扱うのです。自分のものならまだしも、他人のそれに干渉すると、どうしたって区分が大雑把にならざるを得ません。不必要な記憶の消去や、知識を欠如させてしまう惧れが、かなりあります」

「なるほど。それはたしかに怖いわね……」

「なので、こちらとしては封印をお勧めします。どうしてもというのであれば、消去をしてもいいですが……」

「いえ。そういう事であれば、封印でお願いするわ」


 そう言って微笑むアズは、やはり目を瞠るような美人である。そんな彼女を遮るように、ずずいと前に出て話しかけてくるスカンジ。いや、取らんから。


「一ついいか? なぜ俺たちに、この依頼を?」


 その質問は、冒険者としてかなり真っ当な問いだ。これまで【雷神の力帯メギンギョルド】の前衛が担っていた役割を、一介の二人組五級冒険者パーティが担うというのは、どれだけ報酬が良かろうと警戒が先立つ。

 しかも、業務内容は侵入者が日常茶飯事の屋敷の警備。これで警戒しないようなら、それは中級冒険者としての危機意識に欠けていると評さざるを得ない。

 美味しい報酬に釣られて、ダーティかデンジャーなもの、もしくはその両方の依頼を引き受けてしまう事だろう。

 他にいくらでも稼ぎ口はある中級冒険者にとって、たった一つしかない命を惜しむのは、当然の思考である。ただ今回の場合、この程度の警備内容であの二人雇用していた事自体が、かなり不相応だっただけだ。

 実際、これまでィエイト君とシッケスさんが侵入者と干戈を交えた事は一度もない。まぁ、こっちもその分、そのネームバリューを利用して、虫よけにしていた部分はあるが。


「まず、この依頼をする相手として、第一に重視しなければならない点を守れている点。これが大きい」

「それは?」

「我が家の使用人に手を出さない事です」

「ああ、なるほど……」


 納得したとばかりに頷いて、スカンジは隣の女性を見てから肩を竦めて大きく溜息を吐く。そんな彼に、僕もシニカルに笑いながら付け加える。

 やはり冒険者なんてものは、どこまでいってもならず者の上位互換でしかない。安心して、使用人たちの身柄を預けられる人間というのはそう多くない。しかしその点、この【楡と葡萄ラヴァーズ】の二人は安心だ。

 僕は改めて、スカンジとアズの二人を観察する。

 二人掛けのソファは、十分な大きさがあるにも関わらず、二人は肩を寄せ合うように、ピッタリと身を寄せ合って座っている。時折、先程のようにイチャついては、頭や頬を相手の体に擦り付けているのはまるでマーキングだ。

 そしてなにより……――


「流石に、こんな子供に焼き餅焼かなくてもいいじゃない?」

「わかってないな。相手の年齢なんて関係ない。愛しいひとが他の男と話しているってだけで、男ってのは嫉妬に駆られちまうもんなのさ」

「あら、嫉妬は女の方が強くてよ? 正直、今日グラ様がいなくて、少しほっとしたのよ。あなたが【陽炎の天使】に惹かれないか、気が気でなかったもの……」

「バカ。そんな事があるわけないだろう。俺の目には、君以外のものはすべて色褪せて見えるんだ。君こそ、俺にとっての天使だよ、アズ……」

「ああ、スカンジ……。私の勇者……」


――少し放っておくと、すぐにこれだ……。

 これが【楡と葡萄ラヴァーズ】が、アルタンの冒険者の巷において、距離をおかれている理由である。美人であるアズが、他所の男から秋波を向けられないのも、砂糖を吐きたくなるようなこの様子を見れば自明の理である。

 ぶっちゃけ、かなり鬱陶しい。これは僕だけでなく、アルタンの多くの冒険者たちの総意である。

 とはいえ、グラや使用人たちに手を出さないという意味では【アントス】や【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の女性二人やラベージさん並みに、【楡と葡萄ラヴァーズ】の二人は信用できる。なお、【愛の妻プシュケ】の二人は、この点ではあまり信用がおけない……。


「それと、これはグラにも内緒で君たちに注意してもらいたい事項なのだけれど……――」


 二人のイチャイチャを遮るようにして、僕はこの依頼に際してシッケスさんとィエイト君のときにはなかった条件を付け加える。といっても、それは実に単純な依頼内容だ。


 僕はそうして、生まれて初めて姉に秘密を作った。



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