episodeⅤ 凩に、千々に乱れる姉心
〈8〉
心配です……。
あの日……——私とショーンの心が、離れ離れになってしまった日から、私の胸には寂寞と危惧の風が吹いている。木枯らしのような、寒々しく、なにかを奪っていくような風だ。
ショーンと二心同体であった頃にはあった、人間に対する幾許かの情は、彼が離れると同時に一気に薄れた。おそらくは、私の心が彼と共にあったからこそ、抱いていたものだったのだろう。
それが失われたという事は、すなわちショーンには、いまだ人間に対する情が存在しているという事。そして、だからこそ私は危惧している。
私が人間に対して抱いていた感情を失ったように、ショーンもまた、ダンジョンに対する情を失ってはいないか。人間に敵対するダンジョンという種を、私が人間を嫌うように、毛嫌いしているのではないか。むしろ、敵意や殺意を抱いているのではないか、と。
私が、ダンジョンはダンジョンを侵略する事もあるという情報を教育していなかったのは、たしかに現状では優先度の低い情報だったというのもあるが、根底にはそんな恐怖心があったからだ。いや、これも言い訳なのかも知れない。なぜなら、二人の心が離れる前から、私は彼に情報を伏せていたのだから。
私は常に、心のどこかで思っていたのだろう。ショーンには少しでも、ダンジョンに対する悪印象を抱いて欲しくない、それ以上人間の側に行って欲しくない、私と一緒にいて欲しいと。
実にさもしい行いの結果が、いまである。なんと愚鈍で、拙劣な話だろう。
だが、そんな私の失態によって陥った危機にも、ショーンは変わらず防衛の為に全力であたってくれている。どうしてなのかという言葉は、きっと無粋なのだろう。それはきっと、私がショーンの身を案じるのと、同じ想い。一心同体にして二心同体の姉弟を、大切に思うという心。
嬉しいと思う反面、やはり不安にも思ってしまう。ショーンは、ダンジョンという敵対生物に対する敵愾心を、私が姉であるという理由で、無視しているのではないか。それでは、いつか無理がきてしまうのではないか。
人間という自意識を有するショーンが、人間を捕食しなければ生きていけないという環境に、耐えられなくなるのではないか。そうなったとき、彼は私をどう思い、どういう行動にでるのだろうか。
私は、それを知るのが怖い。
もう一つ、危惧している事がある。
……あの日以来、どういうわけかショーンが危うく見えるのだ。まるで、不安定な台座の上に立つ、ガラスの像を見るような焦燥交じりの不安。杞憂であればよいのだが、どうしても胸が騒ぐ。
ダンジョンに行くという案を、頑なに否定したのもそれが理由だ。いまのショーンを、行かせたくないと強く思ったのだ。
彼の説いた理屈が正しいのは、私もわかっている。だがそれでも、理屈ではない心の非合理的な部分が、けたたましく警鐘を鳴らしている。だがそれは、理屈ではない以上、私にも説明が付かない。命の懸かった現状に、真面目に対処しているショーンの計画を、感情だけでかき回すのが良くないというのも重々承知している。
それでも、警鐘はいつまでも鳴りやまない……。
ショーンと離れ離れになってしまったあの日から、こんな事ばかりを気にしている。いつから私は、これ程までに愚かしく、惰弱になったのだろう。
ダンジョンコアという私が離れたという事実が、いったいショーンにどのような影響を及ぼしたのか。あの子は現状を、どう思っているのか。離れて良かったと言っていたが、それは本心なのか。
私はこんなにも、寂しく、苦しく、戸惑っているというのに……。
私はもっときっちりとした、ショーンの言うところのクールなお姉さんでありたい。そうあれかしと心がけてはいるが、それができているのかはわからない。
特に、敵情視察を反対する私の態度は、全然理想の姉像ではなかった……。
「はぁ……」
ため息を吐く。体の優先権を得た事で、こんな事もできるようになったが、そのせいでショーンと離れ離れになるくらいなら、別にいらなかった。鬱々とした気分を払拭する為に、私はいつものように右手の偕老同穴を眺める。
白金の蔦が、暗い赤色の宝石に絡まっている装飾の施された【鉄幻爪】。あの子が私の為に作ってくれた装具。刻まれた理の術式がちょっと拙いのが、チャームポイントだろう。
努力家のあの子の事だ。すぐに、私が刻むものと遜色のない理を刻めるようになる。そうなれば、いずれ他にアクセサリーとしての【鉄幻爪】を作ったとしても、この偕老同穴が唯一無二だ。
それを思うたびに、ついつい口元がにやけてしまう。
「そうですね。あれこれ悩むよりも、いまできる事をやりましょうか」
ひとまずは、明日バスガルとやらのダンジョンに赴くショーンの為に、いま用意できる限りの装具を誂えてあげよう。幸い、使えるDPと物資は、初期に比べれば雲泥といえる。とはいえ、やはり手持ちの素材では、品質がやや低い……。
鉄や革、銅や銀ならそれなりにはあるものの、装具の材料としてはそれ程有用とはいえない。
いずれ、あの執事に装具用の素材や触媒を、買い集めさせよう。それが人間の社会でどれだけの価値があるのかは知らないが、手に入らないようなら奪ってくればいいと思う。あの子の為に、それくらいの事ができずして、どうして執事など名乗れよう。
ふむ。これくらいか……。
満足がいくできとは言い難いが、現状作れる最高品質の装備一式が完成した頃には、夜は明けていた。
今日、ショーンは我々と敵対している、ダンジョンにもぐる。どうか、何事もなく無事で帰ってきて欲しい……。
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