第42話 駄々

「ダメです!」


 僕の言葉を真っ先に否定したのは、これまでお澄まし顔で一言も発していなかった、グラだった。そんな彼女も、いまは真剣な面持ちで僕を見つつ、意志の固さを視線で訴えかけてくる。


「あのねグラ、これは必要な事なんだよ。僕らがダンジョンと戦う以上は、情報は必須なんだ。それをすべて、人伝で賄うのは危険すぎる。なにせ僕らは、実際にダンジョンに足を踏み入れた事すらないんだ。このまま判断を下すというのは、机上の空論を並べ立てるに等しい稚拙だよ」


 フェイヴとフォーンさんの手前、かなりぼかした言い方をしたが、これはバスガルと僕らとの侵略戦争だ。となれば、情報というものは正確であればある程いい。

 だというのに、実物のダンジョンというものを知らずに、ただ資料と情報を集めたって、正確な判断が下せるとは思えない。彼を知り己を知らば、百戦して殆うからず、だっけ? このままじゃ、敵についてなにも知らずに戦いを始めるようなものだ。それでは一勝一負する。

 そのような危険賭けに、グラの命をベットするわけにはいかない。


「向こうのダンジョンの状態、構造の傾向、モンスターの強さと量、まずはそれを知らないと」

「そんなものは、そこの者らに調べさせれば良いでしょう? なにもあなたが直々に出向く必要はありません」

「言ったろう? このままじゃ僕らは、実感のないまま状況を判断しないといけなくなる。それは危険なんだ。できる事は、できるうちにやっておきたい。危機に際して、あれをやっておけばなんて思っても、遅いんだから」

「しかし……」


 グラのクールな面持ちが、若干崩れる。といっても、少し眉根が寄って、目が細くなっただけだ。この部屋にいる、僕以外の連中には、彼女の表情の違いなどわからないだろうが、これは理屈では反論はできないが、感情的に納得していないという顔だ。

 グラは、僕に関する事だと、途端に理屈を無視して、過保護になる。それ以外はクールで理知的な、いかにもなクールビューティといった雰囲気のくせに。

 まぁ、弟としては悪い気はしないのだが、だからといって君の命がかかっているときまで、そんなワガママを言わないで欲しい。こればっかりは、譲れない話なんだから。


「それでは私もついて行きます」

「それは無理だね。君はいまだ、十級冒険者だ。僕らに、冒険者ギルドの規則を曲げられるだけの、権力はない」

「であれば、必要分の魔石を納入し、ショーンと同じ七級まで階級をあげれば良いのでしょう?」

「……たぶんそれじゃ無理だと思うよ?」

「どうしてです?」


 うーん……。そこには、ギルドからの信用とか、貢献度とか、アルタンの町の現状とか、いろいろと絡んでくるのだが、ダンジョンコアであるグラに、余人もいるこの場で説明するのは難しいな。それでも、説明しない事には、グラも納得しそうにない。

 はぁ、仕方ない……。


「ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」

「はい。それでも納得はしないでしょうが、ショーンの言い分を聞きましょう」


 僕の言いたい事を要約すると、以下の通り。

 僕の場合は、ギルドに対する貢献度と、一応はコンスタントに魔物を狩れるだけの実力の証明ができている。階級も、一応は中級の七級冒険者だ。

 だが、一度に大量の魔石を納入しただけでは、実力の証明にはならない。ギルド側も、下級の魔石納入ノルマを面倒がった金持ちが、金に飽かせて七級の資格を買ったとしか、グラの事を評価しないだろう。以前、チラとそんな話を聞いた気もする。

 そんな人間をダンジョンに入れて、ダンジョン養分DPになる危険は冒せまい。特に、いまの厳戒態勢ともいえるこの町では。

 つまり、グラがダンジョンに入る方法が、合法的には存在しないのである。


「…………」


 あー……、ますます眉が寄って、目が細められている。心なしか顎もあがって、ちょっと見下すような感じになっている。そっちの気がある人なら、ゾクゾクくるような状況だろう。

 その表情から、納得していない、地上生命にんげんの布いた法などに、捉われるつもりはないという意思がありありと伝わってくる。

 勿論、この場では口にしなかったが、ダンジョンコアであるグラが、バスガルのダンジョンに侵入する行為自体が危険であるというのもある。

 ダンジョンに異物が侵入すれば、口の中に髪の毛が入ったような違和感を覚える。だがそれも、僕らの経験則でしかない。人間であれば髪の毛程度の違和感だが、もしもそれがダンジョンコアだった場合、どう感じるかは未知数だ。

 そしてもし、ダンジョンコアを認識できるのであれば、彼女に向こうの攻撃が集中しかねないという危険を孕む。君子危うきに近寄らず。わざわざ、グラの身を危険に晒してまで、僕の身の安全を図るなど本末転倒だ。

 将棋であれば、グラの役割は王将だ。歩とはいわないものの、僕の役割なんて香車か銀将。王将が盾になって守るようなもんじゃない。


「グラ、わかってよ。君を連れて行くわけにはいかない。しかし、僕らのうちどちらかは、絶対に向こうを見ておかなければならない。だったら、僕が行くしかないんだ」

「…………」


 今度は僕から視線を外したグラが、ほんの少し唇を尖らせて、テーブルの上の空のカップを見つめる。珍しい表情だが、拗ねているようだ。

 聡明な彼女の事だ。理屈では、自分が動く事の危険をわかっているのだろう。だがそれでも、僕の身を本気で案じてくれているのだ。

 嬉しいと、素直にそう思う。たぶん、立場が逆で、グラが依代に宿った状態で、単身バスガルに赴かなければならないとなったら、僕も同じように駄々をこねたかも知れない。いや、もしかしたらそれでも屁理屈をこねて、ついて行こうとしたかも知れない。

 そう考えれば、ここで親愛の情よりも理性を重んじるというだけで、彼女は聞き分けがいいのだろう。愛とか正義とか、そういう理屈抜きに正しいものってのは、どうしたって理性を鈍らせるからね。

 別にそれが悪いってわけじゃないが。


「……一つ、約束してください……」


 僕から視線を逸らしたままのグラが、ポツポツとそう言った。


「必ず、あなたの身の安全を優先してください。我々は最悪、この場を去るという選択もできるのですから……」


 グラの言葉に、僕は真剣な面持ちで頷いた。

 この場を去る。すなわち、ダンジョンを放棄するという選択は、僕らがこの地で積み上げてきたこれまでを、すべて捨て去るという事でもある。新天地で、上手くダンジョンを作れるとも限らない。

 彼女の言葉には、そんなリスクを冒してでも、僕の方を優先しようという意思が窺えた。

 だから僕も、そんな危険は、絶対に冒させないという意思を込めて頷いたのだ。


 次に浮かべた彼女の表情の意味が、しかし僕には読めなかった。



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