第85話 比翼連理

「どれだけ育児が簡便であろうと、悪影響は悪影響です。ショーンはいま、多くのタスクを抱え込んでおり、その為に睡眠時間すら削って動いているのです。ここに余事を差し挟む隙など、一毫もありません」

「そんな忙しいショーン君を、癒してあげる人が必要なんじゃない? こっちに任せてもらえれば、研究? とやらも捗る事間違いなし!」


 勝手な事を。大切な弟を、地上生命なんぞの性欲の対象にされるなど、心底我慢がならない。まして、そのような下等生物を伴侶になどと……。


「ショーンにそのようなものは必要ありません。汚らわしい」

「えー、でもでも、いくらなんでも姉相手じゃ、ムラムラは解消できないっしょ?」

「ムラムラとはなんですか?」

「あー……」


 ふむ。気まずげに目を逸らしたメス豚を見るに、どうやら私は人間なら知っていて当然の事に、疑問を投げかけてしまったらしい。だが大丈夫。こういうときの為に、ショーンが我々姉弟のバックグラウンドを考えてくれたのだ。

 だが、そんな設定に基づいた言い訳を幾通りも用意していたというのに、メス豚はなぜか優しい笑顔を浮かべると、私の肩に手を置いて慈母のように語りかけてきた。


「そうだよね。グラちゃんもショーン君も、頭がいいし大人びてるから忘れてたけど、まだ子供だもんね。うん、たしかにそういうのはまだわからない話かも知れないね」


 意味がわからない。だがどうやら、言い訳を弄する必要はなさそうだ。ショーンが言っていた。吐かなくていい嘘は、吐かない方がいい。いずれ証言に矛盾が生まれれば、そこが疑いの端緒ともなりかねない、と。


「良くわかりませんが、その言はショーンを諦めたという事でよろしいですね?」

「いやいや、それとこれとは話が別! こっち知ってっし! 人族の男は十代後半には生殖可能だって。つまり、ショーン君だって早ければ、もう子供を作れるかも知れない! 知らないなら、お姉さんが手取り足取り教えたげるし! それだけで、目的が達成できるまであるし!」


 どうやら、先の発言は私たちの年齢から、繁殖に関する知識の不足だという意味だったようだ。それでいいなら、最初から私たちのような外見の者に、繁殖に関する話などするな。そうすれば、余計な言い訳など考えなくても良かったのだ。


「だいたい、なぜショーンなのです? 私もそちらの知識には乏しく、また現在のショーンの状態についてもわかりかねますが、先程のあなたの言葉を信じるなら、生殖能力が発現しているかいないかのショーンを、つがいとして求めるのはリスクが大きいのではありませんか? ダークエルフの寿命が短いというのなら、なおさら生殖能力が確実にあるであろう、成熟した大人の男を求めるべきでしょう。もしもショーンの生殖能力が発現するのが遅れたり、その機能に問題が生じるようであれば、貴重な数年を無駄に費やす事になりかねません」


 私の疑問に、その銀髪褐色肌のメス豚ダークエルフ——シッケスは最初、キョトンとした表情を浮かべる。その後、なにやら腕を組んで天井を仰ぎ、何事かを考えながら唸り始める。だが、そうして黙考する事僅か十数秒で、奇声を発しながら両の手で頭を掻きむしり始めた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁああああ!! ちっがうんだよねえ!!」


 その奇声に、我関せずを決め込んでいたその他の男どもが、ぎょっとした顔でこちらを見る。ショーンは相変わらず、私の膝で寝息をたてている。メス豚が奇声を発する直前に、私が耳を塞いだのも功を奏したのだろうが、それだけ疲れているという事でもある。それを、この女は……。


「そりゃ、後付けで理由を付けるなら、グラちゃんにそっくりな可愛い顔立ちとか、エキゾチックな黒髪と可愛い茶色の瞳のバランスとか、常に身綺麗にしてるところとか、頭がいいのに度胸があって、どんな敵にも怯まず、単独で竜種ともやり合えちゃうくらい強いとことか、いろいろ理由は付けられるよ? グラちゃんが言ってた事も、そうなんだよ? たしかに、ショーン君に子供が作れるかどうかって、こっちには超重要事項なの。そうなんだけど! でも違うの! そうじゃないの! そんな理屈の前にこう、胸にビビビってきたの!!」


 そう言って、無駄に張り出した胸部の脂肪に両手を乗せるメス豚。哺乳類の証明であるその器官を見下ろすメス豚は、まるで熱に浮かされた病人のように滔々と語る。


「あ、この人だ。この人の子を産みたい、って」


 そしてやはり、そのような熱病に浮かされた者の妄言など、聞く価値はなかった。理屈ではないというのなら、そもそも我々の会話には生産性というものが生まれない。

 私はため息を一つ吐くと、諭すようにメス豚に告げる。これは最後通牒だと、ハッキリとわかるように。


「私たち姉弟は、何事にも合理性を優先します。これまでずっとそうでしたし、これからもずっとそうでしょう。私から見て、あなたの論には理がない。故に、私はあなたを認めません」

「恋に理屈なんて付けらんないの! そういうもんなの!! そしてダークエルフは、その恋に全身全霊、人生を賭けてんの! ダメって言われて、はいそーですか、なんて往生際がいいわけないし! まして、当人に言われたわけじゃないし!」

「私はショーンの姉です!」

「いや、こればっかりは姉も弟も関係ないね! 大事なのはショーン君の気持ちでしょ?」

「ショーンの気持ちが一番だというのなら、私が代弁しましょう。面倒事を持ち込むなメス豚、です。良かったですね、これでハッキリしました」

「それ、グラちゃんの気持ちじゃん!」

「そうですよ。しかし我ら姉弟は二心同体にして一心双体。私の心はショーンの気持ちであり、ショーンの思いは私の想いです。ショーンが是とするなら、私はそれを無条件で是とし、私が否とするなら、ショーンもまた否とする。私の言葉はショーンの言葉であり、ショーンの言葉もまた私の言葉と同義。私たち姉弟に、齟齬はないのです」


 私の言葉に、それまで興奮していたメス豚は真顔に戻る。どころか、心なしか顔を青褪めさせている。いや、メス豚だけではない。フェイヴとかいう、以前我らのダンジョンに忍び込んできたコソ泥と、ショーンに罵声を浴びせかけた、殺意の対照であるエルフの男も、若干青い顔でこちらを見ていた。ダゴベルダの反応は、そのローブに隠されて窺えない。


「ちょ、ちょっとさ、やっぱりグラちゃん、ショーン君に対する愛情、重すぎない? まさか本気で、これから一生ショーン君を自分の手元に置いときたいと思ってるんじゃないよね?」


 なにを当然の事を。私とショーンは、生まれてから死ぬまで一緒に決まっている。私はダンジョンコアであり、ショーンもまたダンジョンコア。故に、私たちは二人で一つであり、ダンジョンコアは伴侶を必要としない個の生命体。そこに、他人の入り込む余地など元からないのだ。



「その通りですが、なにか?」



 ショーンの頭を撫でながら、私は当然の事を、当然のように肯定する。だがやはり、メス豚とその他二人の表情には、驚愕が張り付いていた。

 ふむ。どうやらまた、人間の常識からは逸脱した反応をしてしまったようだ。これだから、地上生命と付き合うのは面倒だ……。



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