第68話 下世話な話と交友範囲
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琥珀色の蒸留酒を掲げるティコティコさんと、同じグラスに口を付けてから、属性術の明かりに翳すグラ。ガハハと歯茎を見せて笑うティコティコさんに、僕以外には判別が難しい程に口端を緩ませるグラ。
二人は、日中の決闘の感想戦に始まり、様々な事を語り合う。どちらも自分本位だったが、だからこそ互いに余計な気を遣う事もないようで、予想以上に話には花が咲いていた。
端から聞いているとハラハラさせられるような会話も多々見受けられたが、この二人の場合問題に発展せず、むしろ我が姉にこんなスルースキルがあったのかと驚かされた。
その話の一環で、話題が少々尾籠な方向に飛んだ。といっても、下世話な話題はグラも理解が及ばず、会話はそこそこライトな感じだったのだが――
「あん? なんだグラ、オマエまだ女になってなかったのか?」
「この体は女のものですが?」
「そうじゃねえよ。月のものが来てねえのかって話」
グラスを舐めたのち、方眉を吊り上げて問いかけるティコティコさんに、素っ頓狂な返答を寄越すグラ。改めて、よくもまぁこれで会話が成立するものだと感心する。そこはまぁ、ティコティコさんの会話運びが巧みなのだろう。
……というか、正直身バレしないかヒヤヒヤしながら聞いてる……。
「ふむ。月経についてですか……。ショーンから、女性にはそういうものがあるという話は聞いています。ですが、イマイチ判然としないので、近々ギルドの司書をしている者に話を聞く事になっています」
「かぁーッ! そりゃそうだろうがよ。男のショーンが、そこまで面倒見きれるかよ。流石にんなトコまでおんぶにだっこじゃ、ショーンが可哀想だろうが」
「むぅ……。可哀想とまで言われる程ですか?」
そうだそうだ。姉の性教育に四苦八苦する僕の苦労を、少しはわかって欲しい。いやまぁ、それが必要なのはわかっているし、小学校の保健体育で習ったような事を口頭で伝えるだけなので、そこまで大変というわけではない。
僕らが人間社会に溶け込む為には、そこに含まれた意味や、根底にある思想や印象を、頭で理解して自然に振る舞う必要がある。その為の努力であれば、別に全然苦ではないのだ。ただ、すごく居たたまれないだけで……。
事情を察したセイブンさんやシッケスさんからの、憐みの視線が痛い。セイブンさんは肩をポンと叩いてから、
少し齧ってお酒を飲むと、とても合う一品らしい。子供舌の僕としては、そのまま食べるよりパスタに入れて炒めたいところだ。ニンニクと唐辛子で、アーリオオーリオにすれば、すごい美味しそうだと思う。
「いや、ただでさえその辺の事は、男は話しづれぇってのに、そもそもオマエら姉弟は聞く相手がいねぇ。自分の身に起こる事でもねぇし、みだりに他所様に聞ける話でもねえ」
ヒラヒラと手を振りつつ、僕の苦労を慮ってか渋面を浮かべるティコティコさん。その言葉にコクリと小さく頷いてから、ショットグラスの酒を口にしてから応えた。
「それは、ショーンも言っていましたね。情報源を得る手段が限られる、と。ですが、私からすればそこが良くわかりません。繁殖において重要な情報の入手方法が限られるというのは、生物としていかがなものでしょうか? あなたたちは、これまでどうやって繁殖してきたのです? 繁殖そのものに制限を設けているというのであれば、ある程度は納得できる話なのですが」
「繁殖そのものは、本能に任せてりゃできる事ぁできる。性欲のままに動いとけば、そりゃあ畜生どものようにポンポン産まれらぁな。ただそれだと、出産や受胎のリスク、生まれたのちの生存率に差し障りが生じるわけだ。それを改善しようとして編み出されたのが、性にまつわる諸々の知識ってわけだ」
そこまでは納得できる話だったが、ギヒヒと意地悪そうに笑ってティコティコさんが付け加える。
「まぁ、性欲のままにした結果、差し障りが生じた最たる例が、吾らウサギなわけだ。だからまぁ、この件に関しちゃ吾が大口叩けるような話でもねえがよ。とかく、人間ってヤツぁ畜生である事が出来ねえ生き物なのさ」
「所詮人間も、一皮剥けばちじょ――動物と大差ないのでは?」
「一皮剥けば、さ。その一皮を守るか否かが、人間としては重要なんだよ。最低限の尊厳を失ったヤツぁたしかに獣と大差ねえが、その一線を越えねえからこそ己を人と言い張れる。吾は己を獣と痛感する事が多いからこそ、最後のその一線は越えないよう、人として努力してるつもりだぜ?」
「尊厳ですか……。私からすれば、人間という種が誇りを持っているとは、到底思えないのですが……。小規模ダンジョンに奴隷を投入して魔石を回収するなどという話を聞いたときは、知性はあっても尊厳はないと、心底嫌悪した程です」
「まぁ、そら、そうだわなぁ……。それに関しちゃ、吾も反論の余地はねえ。つーか、んな事するのは北大陸の只人だけだかんな! 南大陸じゃ、ダンジョンにわざと人を食わせるなんて事は……――あー……、刑罰や軍事作戦以外ではしない! ともう!」
「するんじゃないですか……」
「いや、南大陸って全然一枚岩じゃねえからよ。他の部族がなにしてるかとか、正直さっぱりわからねえんだよ。ダンジョン刑も、昔やってたところがあるって話は聞いた事あるが、いまはどうかわからねえ。軍の話も、そんな作戦をとった狼獣人の部族があったって話を、以前聞いたってだけの話だ」
静かに淡々と話すグラと、多彩な表情と感情表現豊かなティコティコさんの話は、際限なく広がっていく。ホント、意外なシナジーがあったものだ。
テーブルに並ぶグラスの数が多くなるにつれて、騒がしかった酒場は静まり返り、酔漢たちが物音すらもたてずに二人の様子を見守っている。度数の強い蒸留酒を、パカパカと呑み干していく様は、見てる分にはたしかに小気味いい。
別に呑み比べとかしているわけじゃないんだけど……。あと、依代であるグラはともかく、ティコティコさんって生身だよね? そんなペースで、こんな度数の酒を飲んで大丈夫? 個人差ってレベルじゃないだろ。
「まぁアレだ。ウサギと只人じゃちょっと違うが、吾がわかる部分や冒険中の対処に関しては教えてやる。日常の対処に関しては、やっぱ獣人と只人じゃちょっと違うからな。その、ギルドの何某に聞いてくれや」
「ふむ……。多角的な情報を得るのは悪くありませんね。ショーンが可哀想といわれるような立場におかれているのは、私の怠慢だったと痛感しました。この件に関しては、弟任せにせず知識を得る努力をします」
「それがいい。いくらなんでも、姉の月のものの世話までさせるのは酷だからな?」
「言い訳をしておくと、私たちは初めて人里に降りた際に、互いに役割分担を決めたのです。学術的知識は私、社会常識はショーンが得て、その後に情報共有するという形でした。日常生活の部分に含まれる月経に関しては、ショーンの領分だと考えていました。我々は親がおらず、物心ついたのちに世話をしてくれた師匠は、社会不適合者でした。私が世間知らずなのは、それが原因です」
グラが、己の知識不足から不審を抱かれないよう、建前上の身の上話を開示する。これで、グラがかなり浮世離れしている点に言い訳が立つといいのだが……。
「まぁ、だろうなぁとしか言えんわ」
ティコティコさんにしては珍しい、困ったような顔で苦笑していた。まぁ、ここまで世間知らずだとねぇ……。
ともあれ、これを盗み聞きしている連中の口から噂が広まれば、万が一決定的な失敗をしてもなんとか説明がつく。最悪、ここにいる【
なお、その後もグラとティコティコさんは、彼女たちの飲んでいた樽が空になるまで、取り留めのない四方山話に興じていた。ホント、グラはともかくティコティコさんはどんな鉄の肝臓を有しているんだ……。
こうして、グラはまた少し交友範囲を広げ、僕の財布からは数枚の金貨が消失した。まぁ、ランさんみたいな変人とばかり関わっているのも心配だし、良かったとしておこう。
……いや、ティコティコさんも十分に変人だが……。
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