第25話 夜の女神の再臨

「ショーン、いいのですか……?」

「うん。まぁ、大丈夫だろう。こいつら程度であれば、報復に動かれても大過はない」

「この程度の輩であろうと、徒党を組まれればそれなりに厄介になります。ただでさえ、現在我が家を襲撃しかねない勢力は、かなりの人数存在していると、昨日判明したばかりなのですよ? それと合流されるくらいなら、ここで災禍の芽は摘んでおくべきでしょう」


 まぁ、そうなんだよねぇ。こいつらが、件の『ホープダイヤ盗賊団』の一員になる可能性を危惧するなら、ここで叩いておいた方が安全ではある。これでも五級という、中級の上澄み冒険者だ。戦闘面でも探索面でも、その他の有象無象に比べれば、厄介な存在といえるだろう。

 だがまぁ、それでも所詮は五級だ。もっといえば、五級としても少し前のフェイヴと同格とは思えないくらいに、動きも思考もお粗末である。ハッキリ言って、ただ腕っ節が強いだけの少年少女が、僕らのダンジョンでなにができるのか、という話だ。

 これが、普通のダンジョンであれば、モンスターの討伐には役に立つのだろうが、ウチのダンジョンでは戦闘能力よりも探索能力の方が優先される。仮にこいつらがセイブンさん並みに強かったところで、ここまで迂闊なら問題にならない。末路など、論を待つまでもない。

 それらも含めて、ラベージさんとの関係を損なってまで報復するか、彼に貸しを作って関係を維持するかを天秤にかければ、僕は後者を選ぶ。

 結局は、単純な取捨選択でしかない。ラベージさんという奇貨に、どの程度の価値が見込めるのか。それを手元に残すのか、手放すのか。そして僕は、こんな有象無象を叩いて憂さ晴らしをするよりも、奇貨おくべしという判断を下しただけである。


「さて、会話が可能なのは君だけだが……」


 つらつらと眼前の状況を頭で整理しつつ、僕は少年少女たちの側で唯一まともに会話が可能な、気弱少女に話しかけた。グラが、彼女の頭においていた足をどけ、代わりにつま先で顎を持ちあげて、僕に正対させる。

 涙と鼻水に泥をブレンドした汚い顔に、すっかり怯えた表情を浮かべて見上げる彼女を、僕は無感情で見下ろす。常ならば、誰に対してもフレンドリーを心がけている僕ではあるが、ここは努めて無表情を作る。

 失礼な事に、僕を見上げた少女は、まるでお化けでも見たかのように「ひっ……」と小さく悲鳴を漏らした。だが、それ以外は余計な事も言わず、こちらの言葉を待っているようだった。


「まぁ、あの二人も、喋れないだけで聞こえているだろう。生意気少年君には、あとで伝えてあげてくれ。君たち【金生みの指輪アンドヴァラナウト】と、僕らハリュー姉弟との諍いは、これにて手打ちだ。ラベージさんに感謝しなよ。君たちのような社会のゴミの為に、頭まで下げて命乞いをしてくれたんだからね」


 僕がそう言うと、気弱少女はチラりとラベージさんの方へと視線を向けてから、落ち込むように俯こうとした。だが、再びグラに強制的に顎を持ち上げられ、僕と目を合わせる事を強要される。


「先程ラベージさんにも忠告したが、君にも同じ勧告をだしておこう。次、僕らにちょっかいをかけるようであれば、僕らは容赦なく、君たちの命を摘み取るだろう。もしもこの警告を、単なる脅し文句と捉えるなら、それでもいい。代償は命で支払ってもらう。いいかい?」


 そう言ってから、僕は念押しするように彼女に一歩歩み寄る。その顔を真上から見下ろしつつ、ここで改めて作った笑顔で、忠告を降らす。


「――二度と僕らに関わるな。こちらからの要求はそれだけだ。僕らにとって君たちの命など、この草原に生えている野花の一本にも劣る価値しかないという事を、肝に銘じておくように」


 コクコクというかブルブルというか、もはやただの振動のように小刻みに顔を頷かせた少女。夜も更けつつあり、雨で気温が低くなってきたせいか、彼女の尻のあたりから湯気が立っていたようだが、ここは見なかった事にしておいてあげよう。

 大丈夫。ラベージさんの話では、冒険者は長期戦のときは、垂れ流しな事も多いって話だ。雨の中だし、他のお仲間にも気付かれる事はないだろう。

 もはや彼らに興味はない。いや、興味という点では元からないのだから、関わる理由がなくなったというべきだろう。


「さぁ、それじゃあ撤収準備に入りましょう」

「え? 撤収?」


 僕の言葉に、ラベージさんが意表を突かれたような声をだす。もしかしてこの人は、こんな連中が近くにいる状況で、野営を続けるつもりだったのだろうか?


「ええ。夜盗紛いに寝床を知られている状況じゃ、首元が寒いですからね。このまま野営は続けられませんよ」

「……すんません、俺のせいで……」


 肩を落とすラベージさんに、僕も流石にフォローの言葉はかけられない。

 彼らを撃退はしたものの、ただ追い払っただけの状況では、仮眠であろうと隙は作れない。腹を空かした狼を、一度追い払っただけで安心するのは、油断でしかないのだから。

 町中ならまだしも、いつ襲われるともわからない壁外の夜だ。対策としては、全員で寝ずの番に徹するか、さっさとこの場を放棄して彼らの攻撃目標から外れる必要がある。

 ここがアルタンの町の近場でなく、またグラもいない状況であれば、本来なら前者を選択するのが正解だ。夜間行動には、いろいろとリスクがある。しかも雨中で視界も足場も、平常時より悪いのだ。

 だが幸い、二つの好条件が揃っている。さっさと撤収するが吉だ。

 天幕を畳んでしまえば、撤収作業など他にない。背嚢を背負ったラベージさんと僕らは、最後に雨中に佇む少年少女を一瞥してから、すぐさま次の行動に移る。

 といっても、まず動くのはグラだ。彼女は空中に指を走らせると、空間に魔力で理を刻む。すると、その軌跡が白い光となって残る。

 その他の【魔術】とは明確に違う動作と結果に、少年少女たちは驚いたような顔をしていた。おそらく、初めて目にしたのだろう。それくらい希少かつ、会得の難しい魔力の理だからな。

 たっぷり一、二分程かけてグラが描いたのは、円の内部に幾何学と少しだけグロテスクな血管のようなものが走る理だった。最後に、彼女の口から詠唱がなされる事で、この【魔術】は完成する。


「【ポルタ】」


 グラの唇がその名を紡ぐと、白く輝いていた円陣内にあった幾何学模様が、ガチャリとでも音をたてるように、複雑に動いて反転する。そう、まるで鍵を開けるように。いっそう輝きを増した円陣の上方と下方に向けて、空間が裂けていく。グラの後ろから見ればそれは、扉が開いていくように見えただろう。

 これは転移術において、最高峰とも呼ばれる【門】という術式だ。所謂ワープのような【魔術】である。

 ゲームやアニメでありがちな、ファストトラベルなのだが、そういう創作物では定番の『一度行った場所でなければ行けない』などという制約すらない。ただまぁ、座標指定に失敗すると、本当にゲームのように『いしのなかにいる』状態にもなりかねない。あまりにも厳密かつ精密な座標指定の手間を思えば、ただその場所を知悉していればいいだけの創作物の方が、ぶっちゃけ楽ではあるのだが……。

 転移術とはこの【門】の事であると言っても過言ではない程の代物なのだが、先述の座標指定や消費魔力量、グラですら発動に一、二分も要する複雑な術式等々、難易度は他の追随を許さず、使い手はほとんどいない。

 もしかしたら、【雷神の力帯メギンギョルド】のサリーさんとやらは、使えるのかも知れないけどね。なにせ、一級冒険者らしいし。


「ラベージさん、お先にどうぞ」

「――え!? あ、えぁ? は、はへぇ、そ、そうですか? そうですね」


 どうやらラベージさんも初めて見た光景だったようで、驚愕からかなにを言っているのかわからなくなっている。呆気にとられたまま彼は、僕の言葉も吟味する事なく、ふらふらと門をくぐった。普段の彼なら、もっといろいろと注意を払っていただろう。順番とかね。

 その後、グラを促して先に行ってもらうと、最後に僕は彼らに対して、少々の意趣返しをしてから別れを告げる事にした。


乙夜いつや須臾しゅゆにて咲き誇れ――曼殊沙華」


 雨具の袖を捲りあげ、左腕の前腕全体に巻き付くような、白金プラチナ製の黒翡翠ブラックジェイドがあしらわれた、竜の姿を模したカフを晒す。そして、そのアクセサリーに施された幻術を発動させた。

 暗闇に、白金の輝きが煌めき、僕の作った幻がこの世に顕現する。まるでのような光景を確認してから、あとは興味もないとばかりに僕は彼らに背を向ける。

 夜闇を纏うように現れた巨大な骸骨に、少年少女の悲鳴があがった。どうやら、【沈黙】の効果が切れたらしい。なかなかの持続時間だな。

 骸骨の女神の目標は、未だに虚ろな表情で立っている生意気少年だ。この幻は、きっと最悪の目覚めを演出してくれる事だろう。大丈夫、【死を想えメメントモリ】の影響下になければ、死ぬ事はないだろうから……たぶん。


 無責任にそんな事を考えながら、僕は光る【門】の奥へと足を踏み入れた。



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