第127話 サイタンの戦い・5
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「間違って咬み殺すなよ、リッツェ? そのおじさんは捕虜だ。聞きたい事がいくらでもあるんだからね」
「ヒィィィイイイイイイイッ!!」
まるで盾にするかのように捕まった、敵指揮官を連れて、僕とリッツェは戦場からの離脱を図っていた。まぁ、周囲はいま【
まぁ、そのマイナスを押しても余りあるメリットがある為、こうして捕らえているわけだが。帝国の、いろいろと不可解な動きについても、きちんと話を聞ける人間は必要だしね。
「おじさん、お名前は?」
きっとこの人も貴族だと思うけど、この状況で礼儀もなにもないだろう。僕はフランクな口調で、捕虜の指揮官に問いかけた。
「ニ、ニニニニニクラ、ニクラス・ロ、ローニヒェンでしゅ!」
怯えからか、あるいは竜の疾駆する振動からか、何度もどもりながらも、辛うじて聞き取れる言葉で、おじさんが答えてくれた。ニクラス・ローニヒェンでいいんだよね? ニニクラ・ニクラスとか、ロローニヒェンの方が正しいとかないよね?
なんとも情けない声音だが、そこは体重一トンにもなる竜に咬み付かれて、片足しか自由にならない状況では仕方のない事だ。非捕食者として、いまにも食い殺されてしまうかも知れない恐怖というものは、想像するには余りある。
なので僕は、素直に答えてくれたローニヒェンさんにお礼を言ってから、話しかける相手を変える。ローニヒェンさんの悲鳴で、こちらに気付いた敵兵たちへと。
「ありがとう。ほらほら、僕らに攻撃すると、君たちの指揮官であるローニヒェンさんが死んじゃうよ! どいたどいた!」
いやぁ、我ながらなんて卑怯なやり口だろうか。ほとんどが徴兵された農民であろう帝国兵が、貴族であるローニヒェンさんを攻撃できるわけがない。
でもしょうがないよね。それもこれも、攻めてきた君たちが悪い。こちとら、たった一人で陣中に取り残された状態なんだから、使える手ならいくらでも使うさ。……まぁ、自分で飛び込んだんだけどね。
案の定、リッツェの正面に磔にされたようなローニヒェンさんに、兵らが槍を向けるのを躊躇している。リッツェの消耗を抑える意味でも、このまま押し通りたいものだ。
「それにしても……、やっぱ違うなぁ……」
先日の夜襲で、敵の騎士と戦ったときの違和感というか、水を得た魚のような感じは、いまの僕にはない。勿論、不調というわけではないが、あのとき程上手く戦えている自信はない。
ホント、どうしてあのときの僕は、あんなに好調だったのか……。ただのコンディションの良し悪しというには、あの日は上手く戦えすぎた。あれをいつでも再現できるようになれば、僕も戦士として一段階上のランクに到達できるのに。
「……思ったより、夜が晴れるのが早いな……」
やはり、日中に夜を作り続けるというのは、なかなか厳しいようだ。せめて曇りだったら、もう少し違ったのかも知れないが、今日はあいにくのピーカン。しかも、そろそろ朝から昼に差し掛かる時間帯である。その光量は、あっさりと夜を侵食してしまう。
「まずいなぁ……。夜の恐怖とは、夜明けとともに晴れる。この分だと【
それまでに敵陣を抜けていないと、士気が回復した帝国軍に囲まれて、二進も三進もいかなくなりかねない。そうなると、さっきまでの優勢な状況から、一気にピンチに陥る。
幻術使いは、敵の精神状態によって優劣が左右されるのが、本当に面倒だ。【
まぁ、あくまで多機能撒き菱だからな。そう多くを望むものでもないか。
「残り少ないこの薄暮を最大限利用して、さっさと敵陣を抜けよう」
朝焼けの、黄昏時のような薄暗さに紛れて、するすると敵陣を抜ける。まぁ、するするとはいっても、通行の邪魔になる帝国兵は、リッツェの巨体に撥ね飛ばされていたが……。
「ついてくる敵は……、うん。いないな」
たったいま抜けてきた、敵の戦列中央を振り返って確認するが、そこはいまだに混乱が残っており、僕らの事を追いかけてこようとする敵兵はいない。中には、僕らの離脱に気付いている兵もいるだろうが、それを追いかようとはしない。まぁ、指揮官がこうして僕らの手に落ちちゃってるからね。
とはいえ、帝国の騎兵は精鋭揃いだ。すぐに指揮権を代行して、統率を取り戻すだろう。特に、中央の後方には本陣があるし、リカバリーも早いだろう。
「このまま、ディラッソ君の元に敵兵を連れてくわけにはいかないしねぇ……」
いまの帝国軍はそれどころではないだろうけど、いまのゲラッシ伯爵軍は、上半身は鎧兜に大太刀を構えた姿で威圧しているが、下半身は褌一丁みたいな変態ウォーリアースタイルだ。つまりは、弱点丸出しなのである。
こっちの最高指揮官たるディラッソ君が、数騎の騎兵に守られているだけで無防備だからな。ぶっちゃけ、ここを攻められたら伯爵軍は一気に窮地だ。まぁ、馬より速く走れるポーラ様がいる時点で、ディラッソ君の首を獲る事自体は、かなり難しいんだけどね。
ただ、大将が逃げ出しちゃうと、軍の士気がガタ落ちして、勝てる戦を落とす事もある。イッソスの戦いのペルシア軍にはなりたくない。まぁ、あの小物臭い侯爵公子君が、彼のアレキサンダー大王と同じ事ができるとも思えないから、杞憂だろうけどね。
僕はそんな事を思いながら、鼻歌交じりに陣地へと戻った。直後、真横からこちらの攻撃にさらされていた帝国軍右翼が崩れ、敗走を始めた。それにつられ、混乱が強かった中央も崩れていく。帝国軍左翼は辛うじて士気を維持して防御姿勢を保っているものの、敗走する右翼と中央の兵らを再編する時間までは持ち堪えられまい。
どうやら、ダレイオス三世になるのはディラッソ君ではなく、向こうのぼっちゃんだったらしい。その末路まで、ダレイオスと同じにならない事を祈っているよ。
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