第115話 星を見る者
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スターゲイザーフィッシュという魚をご存知だろうか。直訳するなら、星を見詰める魚だ。スターゲイザーには、転じて天文学者や占星術師なんて意味もあるが、決してパイの事ではない。
格好いい名前とは裏腹に、その異形さで有名になった魚でもある。ぎょろぎょろとした双眸に、ギザギザの牙が特徴的な、まるで人間のような顔をして、海底から顔を覗かせているのである。
生態はオニイソメと似ていて、地面に隠れて獲物が近付いてくるのを待ち、捕食する。その姿が、まるで星を眺めているようだから付けられた名前のようだが、その様子はハッキリいってホラーの類だ。
なお、あのパイに使われるのは鰯らしいので、このスターゲイザーフィッシュとは関係ない。
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僕が手を掲げた瞬間、冒険者たちはいっせいに天井を仰ぎ見た。そこにはなにもない。岩肌と暗闇の空間が広がっているだけだ。
――そして、だからこそ気をとられた彼らは、ソレに反応できない。
一気に地面を割って現れた、無数の牙が生えた口。その範囲内にいた【
うん。正直上の門番は、オニイソメちゃんかスターゲイザー君かのどちらかで迷ったんだよね。で、実際に生んでみてわかった。スターゲイザー君、あんまり階層ボスに向いていない。
当初から懸念していた通り、お膳立てしてあげないと、ガーディアンとしての戦闘に期待ができないのだ。オニイソメちゃんもそうだけど、戦法が完全に潜伏奇襲特化なんだよね。オニイソメちゃんと違って、それ以外の武器もないし……。
一応、ノーザンスターゲイザーに因んで、電気系の【魔法】を持たせてはいるが、正直だからなんだというレベルでしかない。まぁ、ないよりはマシなんだろうけど……。
ただ、正直いまの奇襲はなかなか良かったし、できれば今後も使いたい。
僕が天を仰ぎ、天に手を掲げる事で、全員の注意を完全に上に逸らし、その隙に下から奇襲をする。うん、最高に厭らしい戦法だが、人間が相手ならかなり有効なんじゃないかな。
ミソは、あの格好いい名前だ。あんなに格好良く、それこそヒーローが必殺技でも放つような咆哮をあげて、やる事が奇襲という姑息さが、なんともいえず下衆くていい。
なにより、本気で『スターゲイザー』と叫ぶのは、男の子的にも気分がいい。正直な内心を吐露するなら、もっかい叫びたいくらい、あれは気持ちがいい。
もしも今回のように、侵入者との直接戦闘に至った際には、僕らの側に待機させて奇襲をする遊撃要員として使いたい。まぁ、その前に受肉しちゃうだろうから、都度都度生み出す形にはなるだろうが。
「さて、最後に残ったのは君だけだ。まぁ、正確にはまだ上にも侵入者は残っているだろうが」
僕はそう言って、地面にへたり込んでいるマスへと歩み寄る。もはや彼に、挽回の余地などない。そして、当人にももはやその気概はあるまい。
彼の側へと立った僕は、彼が投げだしている斧を手に取る。僕が貸したそれにも、マスは反応すらしない。茫然自失といった態で、地面に腰を落としたままエルナトの首を見詰めている。
「……無抵抗の人間を殺すってのもなぁ……。いや、これもまた、僕に課されたた登竜門なのか……」
独り言ちつつ、僕はその斧を構える。
鯉は竜門を登ると竜になるそうだ。僕もまた、化け物への道を一歩一歩進まねばならない。きっと、登り切る頃には、人間なんて雑草を抜くように殺せるような、真の化け物になれているだろう。
「刈れ――【
斧頭から水の刃が剣のように伸びる。この【箕作鮫】の力は、単純な攻撃範囲の伸長だ。まるで断罪の剣のように、その水の刃はマスへと振り下ろされる。過たず、その首を落とし、辺りには血潮の匂いが一気に広がった。
「……やっぱり、気分のいいものではないな……」
せめて抵抗してくれればとも思うが、僕の気分の為に悪足搔きしろなどとは言えない。絶望的な状況に抗える程、強い人間ばかりでない事は、元人間として承知している。
なにより僕は、彼に斧こそ貸したものの、装具としての本領を発揮させる為のキーワードまで教えたわけではなかった。つまり、最初からこのマスに、絶対的に有利な立場を自覚しつつ、それでも僕の心情を優先して戦闘を強いていたのだ。
まぁ、こいつらが侵入者である事には変わりがない。その侵入者を、新たな装具や階層ボスの運用実験に使用したと、化け物ならば思うべきなのだろう。あるいは、自分自身を追い詰める為の、試し斬り要員か……。江戸時代とかの、武士の子供なんかは、死刑囚を斬って人を殺す感覚を覚えたそうだ。それと似たような事を、己に強いているのかも知れない。
だからまぁ、気分を落ち込ませている僕は、やはり化け物とはしてはまだまだ未熟者なのだ。だが、こればかりはどうしようもない。己の気持ちを偽り、自分に虚勢を張ってなんになるのか。
はぁ……。せめて、あのエルナトが相手なら、実力的に手加減なんてしている余裕もなかっただろうし、殺したあともこんな気分になる余裕もなかっただろう……。危険ではあったが、多少の危険はこの鬱々とした気分を晴らすのには丁度いいスパイスになってくれる。
「そちらも終わりましたね?」
「ああ、うん」
声をかけてきたグラが、もはや必要ないとばかりにエルナトの首を地面に下ろす。その腰には、かなり古めかしいが、それなりに立派そうな刀が下げられていた。たぶん、エルナトの得物だった代物だろう。
「さて、それではもう、この首は用済みですね」
グラはエルナトの首級を見下ろしつつ、なんの気なしにそう言った。
「ついでに、さっさとあれも処理してしまいましょう」
彼女は視線をマスの遺体にも向け、そう述べる。初め、それがなにを意味するのか、僕はあまり気にしてはいなかった。だがズブズブと、エルナトの生気のない首や、マスの首なし死体、転がっている首などが地面に呑み込まれていくにつれて、彼女の言っていた処理という言葉の意味に思い至る。
それは――食事。
そう言えば僕は、こうして実際にダンジョンが――ひいてはグラが、人を食らう光景を目の当たりにするのは、初めての事だ。それは、あまり食事風景という印象を受ける光景ではなかった。まるで流砂に呑まれるようにして、二人の姿は消えていった。
だが僕は、その光景に、どういうわけか、強く――咀嚼というイメージを抱いてしまう。それがダンジョンコアとしての、感覚なのだろう。紛れもなくこれが、ダンジョンにとっての食事なのだ。生きる為に、須らくして行っている真似なのだ、と。
ダンジョンにとっては、必要不可欠な行動であり、僕らが殺人を行う根源的な理由である。僕がマスを殺したのだって、それ以外の冒険者たちを迎撃し、殺傷しているのだって、根底にはそれが理由なのだ。
だからこれは、当然の行い。
だというのに僕は、なにか紙のようなものがクシャッと潰れるような音を幻聴し――盛大に吐いた。
殺人とは折り合いが付けられたというのに、食人にはまだまだ折り合いが付かないらしい。不意にそれを目の当たりにしてしまっただけで、このザマだ。まったくもって覚悟の足りない、ダメな化け物である。
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