episode ⅩⅤ 覚悟
〈11〉
「ショーンっ!?」
急に戻し始めたショーンに駆け寄ると、彼は青い顔で私の顔を見返した。
「だ、大丈夫……。気にしないで……」
気にしない訳がない。この、侵入者たちとの戦いに際し、ショーンがしきりに己を化け物と評していたのを、私は知っている。そしてそれが、自己暗示であるという事もわかっていた。
化け物として、人間の敵対生物として、努めて冷徹で諧謔的な怪物である己を演じていた。思えば、以前からもその気はあった。ショーンは、つらいとき程お道化てなにかを誤魔化そうとするのだ。
それは逆説的に、彼にはまだ人間としての精神が残っており、それを自覚しているという証左でもある。そして、その点をショーンは、負い目として捉えている節がある。
私としては、共に化け物としての生涯を歩んでくれるならば、それで満足であり、現時点でそれ以上を求めるつもりはない。覚悟も認識も、時間をかけてゆっくりと変化させ、ダンジョンコアに合わせてくれれば、それでいいと思っている。
だが、どうにもショーンには事を急いているきらいがある。あるいは、それを急くだけの理由があるのか……。元々ダンジョンコアとして生まれた私には、わからない。
「大丈夫ですよ、ショーン。これからも、人間の吸収は私がやります」
だからこそ、弟を助ける為と思い、私はそう口にした。だが、私のそんなセリフに、ショーンはいまにも泣きだしそうな顔で首を振る。
「ダメだ……ッ。ここで安易な方に逃げたら、僕は一生そちらに歩み寄れなくなる。そうでなかったとしても、嫌な役を君に押し付けるような弟になんて、なりたくないッ!!」
これより茨の道を歩むとわかっていてなお、目的の為にはそれを辞さないといった決意をその瞳に宿し、ショーンは血を吐くように言の葉を紡ぐ。だが、しかしというべきか、やはりというべきか、その己の言葉に自らの心を痛めているショーンの姿は、あまりにも痛々しくて見ていられない。
私は複雑な表情で宣言するショーンの頭を、強く掻き抱いた。ついつい、「もう苦しまなくていい」だとか、「つらい思いなんてして欲しくない」だとか、ショーンの決意に水を注すような言葉を吐きそうになる。だが、彼に人間としての道を諦めさせ、化け物の道を歩むように懇願したのは、私なのだ。
どの口で、そのような薄っぺらいセリフなど吐けようか。
私はここで、ショーンの決意に対してなにも言う資格はない。彼は私の求めに応じて、その足を茨の道に踏み出そうとしてくれているのだ。己でその背を押しながら、私が見ていられないから前に進むななどと、愚かな言葉は吐けない。
だが、なにか、なにか力になれないだろうか? 私のせいで弟は、人間の心を持ったまま、化け物として生きるという、およそ最悪と評してなんら遜色ない生き方をする状況に陥った。
「私は……――」
だから私は、弟の頭を抱きながら素直な己の本音を吐露する。
「――あなたがなににそこまでの忌避感を抱いているのか、私には本質的なところはなにもわかりません。あなたが育てている鶏と、我が家の使用人に、どこまでの違いがあるのかも、きっと私とあなたとでは、まるで認識が違うのでしょう」
少しでも、ショーンが私という化け物を理解してくれるように。この道そのものに忌避感を覚えないでくれと願いながら。
「人は食べねば死にます。我々は、人を食べねば死にます。であれば、あなたにとって鶏と人間との違いは、かつてあなたが人間だったという点だけなのでしょうか? それだけなら、急ぐ必要はありません。我々には、これから何十年、何百年という時間があるのですから」
勿論、その間ずっと絶食していられるわけではないが、幸いショーンの立てた至神の計画では、我々のダンジョンはいましばらく人目を避け、秘かに版図となる予定の地域に布石を打つ作業が続く。それが何年かかる作業なのかはわからないが、一年やそこらで終わる話ではないのは、さわりを聞いただけの私にもわかる。
ならば、ゆっくりと慣れていけばいい。所詮は、食の好き嫌い程度の問題ではないか。
「違うんだよ、グラ……」
私の胸の中で、ショーンはボソボソと聞き取りづらいまでに弱々しく呟く。そして、その言葉に私は、衝撃を受けた。
「小さい頃さ、魚卵が嫌いだったんだ……」
話の流れとはまるで関係のない言葉。しかしそれは、私の知らない弟の情報だった。私は、弟の食の好き嫌いを知らなかったのだ。否。そもそも、ショーンの好みについて、これまで聞いた事がないのだと思い知った。
「あのぷちぷちという食感の一つ一つに、命を噛み潰すような罪悪感を覚えてしまい、それがトラウマのようになって、実際の味がどうこうじゃなく嫌いになったんだ。バカバカしいよね」
苦笑するような彼の言葉に答えられない。それがどうバカバカしいのか、私と彼とで認識が違う可能性を危惧すれば、迂闊に口は開けなかったのだ。なんとなれば、私はその魚卵というものを食べた事もない。
沈黙する私に対してなにを思ったのか、ショーンは話を元に戻す。
「それと同じでね、人間を食べる事に、僕はどうしたって忌避感と罪悪感を覚えてしまう。ゆで卵を食べるときにはなにも感じなくても、なぜか魚卵を食べるときには罪悪感を覚えたように、人間を殺す事には覚悟を持てても、人間を食す事に対しては覚悟を持っていなかった。そんな僕の不心得が、いまのこの状況の原因さ。まったくもって面目ない」
「…………」
言葉を紡げない。
私には、ショーンがどれだけの決意と覚悟をもって、化け物の道を歩んでいるのか、想像できていなかったのかも知れない。私と同じ道を歩むという行為に、漠然と喜びすら抱いていた。私が歩んでいるのだから、当然ショーンも同じ道を歩めるものだと、最初はつらかろうと、いずれは慣れるものだろうと、楽観していたのだ。
これは、完全に私の落ち度だ。私はあまりにも、ショーンの人間の部分を軽視し、無視し続けてきた。
ショーンはそれでも、私に合わせようと努力してきたというのに、彼の化け物の道を歩んでくれるという発言で安堵し、彼に歩調を合わせるような努力すら放棄していたのだ。
なんたる不覚……ッ。その無理解の歪みが、いま、こうして顕在化したのだ。
私にとって、人間を殺す事も、人間を食らう事も、然程に違いを覚えるような行為ではない。あるとすれば、人を殺すのならその生命力を食らわねば、勿体ない程度の認識の違いだけだ。
だが、ショーンにとってその二つは、明確に違う。殺す事と食す事に対する認識の違い? わからない。獣は、殺した獲物をその場で食らう。つまり、地上生命にとってすら、殺害と食事は同義ではないのか?
前述の通り、我々地中生命にとっても、対象の殺害とエネルギーの吸収はほぼ同義だ。人間だけが、その認識に違和感を持つ? あるいは、ショーンが言っていた、
わからない。
私が――姉であるこの私が、弟であるショーンの思想の根底を理解できない。理解する努力を怠ってきたツケとばかりに、理解のとっかかりすら感じられないのだ。
その事実に、焦燥が胸中を席巻する。この齟齬は、放置してはいけない。私は、弟を、ショーン・ハリューではない針生紹運を、ひいては――人間を、理解しなければならない。
――でなければ、いずれこの認識の齟齬は、我々姉弟を瓦解させかねない、火種にすらなり得る。
私は、弟を理解する為の行動を、己のタスクの最優先に定めると、ショーンを抱き上げる。まずは、心身ともに弱っているショーンの回復が先決だ。
「うわっ、グラ?」
「大丈夫ですよ、ショーン。少し休みましょう。覚悟が足りなかったというのなら、休んでからまた頑張りましょう。あなたの頑張りを、私に支えさせてください」
少しだけその黒髪を撫でるように、頬ずりをすると、困惑するようにショーンが話しかけてくる。
「そ、そうだね。でもさ、ちょっとこの体勢は……」
とはいえ、いまは休息が優先だ。私はこの階層にある、我々の研究室へ向けて、ずかずかと歩を進める。そこには、ショーン用のベッドもある。そこに寝かせる事を思えば、この横抱きの姿勢は効率がいい。
「ねぇグラ? 聞いてる?」
「ええ、聞いてますよ」
「だからさ、この姿勢はやめよう!」
「どうしてですか? 効率を思えば――」
「お姫様抱っこは勘弁して!! 僕、普通に歩けるから!」
むぅ……。またも認識に齟齬が……。いえ、これも理解していけばいいだけの事。私は、ショーンの姉として、決して理解への努力を怠りません。そして、いまの不安定なショーンを歩かせるわけにもいきません。
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