第114話 頬白鮫

 ●○●


 うん。この人たち、別に弱くない。全員で連携を取られると、僕ごときでは決定打を入れられない程度には、熟練の戦闘技能を有している。要所要所をを、的確に防御してきて、攻撃はチクチク。パンチ力には欠けるものの、こちらに隙を見せない堅実な戦い方は、かなり厄介といえるだろう。そして、本来そのパンチ力を担ってきたのが、あのエルナトだったのだろう。

 とはいえ、幻術を使えば攻めあぐねる程でもない。問題は、いま僕は一人で、悠長に魔力の理を刻んだりしている暇が、ほとんどない所だ。まぁ、それでも使い慣れた【幻惑】とか、新たなオリジナルである【嫌悪】を駆使して、近接戦もそれなりにはこなせているが、少なくとも【死を想えメメントモリ】を刻めるような戦闘ではない。

 やっぱりあのオリジナル、詠唱の長さは欠点としてデカすぎるな……。


「それに引き換え、やはり【嫌悪】はなかなか使い勝手がいい。元々相性のいい幻術同士を組み合わせたのだから、当たり前だけれど――ねッ!」

「ぶつくさ独り言とは、余裕じゃねえかッ!?」


 剣で斬りかかってきた【幻の青金剛ホープ】の前衛を、手斧【橦木鮫】で受ける。とはいえ、これはただの誘い。深追いすると、盾持ち二人で防御に徹し、【魔術】と弓で外からチクチクやられるので、剣を払ったら水の尾で吹き飛ばす。

 即座にもう一人の前衛が、盾を構えて前に出てくるが、そいつの狙いは既に【幻惑】に捉われている。もう一人の盾持ちは、どうやら形勢不利と判断して、攻めてはこないようだ。

 後衛の防御を優先する、いい判断だ。とはいえ、それではここで、幻影に囚われた哀れな盾持ちが一人、この世からおさらばしなくてはならなくなるぞ?

 と、思ったが、幻惑済みの盾持ちの後ろからマス君が突っ込んできた。僕の貸した手斧で斬りかかってきたところを、僕も斧を合わせて押し込む。

 五級冒険者相手なら、力勝負ではこの依代に分がある。勿論一概に言えるものではないが、少なくともマス君相手ならそれは正しい。

 ゴリ押しの体当たりのような形で押し出し、地面に背をついて倒れたマス君に斧を振り下ろ――そうとしたところで、矢と属性術の攻撃が飛んできた為に中断、と。

 終始こんな感じで、決定打が打てない。まぁそれも、ある程度こちらに有利ではあるのだが、幻術って基本的に、相手にダメージを与えたり、命を奪う為の術ではないからなぁ。

 僕の使える属性術【石雨ラピスプルウィア】も、手札としてはあるのだが、

あまり使わないせいで詠唱に時間がかかる。前衛陣を相手にしながらそれを刻むのは、なかなかに骨だ……。


「うん?」


 見れば、すぐ近くにグラが放置した斧槍ハルバードがあった。地面に突き立ったそれを見て、僕はニヤリと笑みを浮かべる。左肩から生える三本の内、残っていた一本に【橦木鮫】を持たせたのち、両手でその長柄を握る。


「さて、それじゃあ続きといこう」


 地面から抜いた斧槍を構えて、僕はたじろぐ連中のもとに駆け寄った。


「狩れ――【頬白鮫ホオジロザメ】!!」


 ぶわりと真っ赤な炎が、その斧頭アックスヘッドから噴き出し、その刃が何倍にも大きくなったように錯覚させる。これが、グラの使う【頬白鮫】の装具マジックアイテムとしての能力だが、勿論これだけじゃない。

 なにせ、触媒の一部にはレッドダイヤまで使われている装具マジックアイテムなのだ。


「ぅあッ!?」


 盾持ちの一人が、炎の斧を盾で防ごうとして火に巻かれる。そこに僕は、斧槍を振り抜いた直後、もう一撃を振り下ろす。

 炎の斬撃を盾で防いだところで、そこに実体はないのだ。斧槍自体は振り抜けるし、炎は盾など無視して押し寄せる怒涛となる。


「待ってろ! いま火を消す! 【インベル】」


 ある程度の範囲内に水滴を飛ばして濡らす程度の属性術が、魔術師の男から放たれる。だがその程度では【頬白鮫】の炎は鎮火しない。強い火力――攻撃力こそが、この【頬白鮫】の持ち味なのだ。近付く端から、雨粒のような水など水蒸気へと変え、そのせいで轟々と辺りに蒸気と熱風が吹き荒れる。

 もう少し水量の多い属性術だったら、水蒸気爆発ですごい事になっていたな。ま、その場合、僕にもダメージが及びかねないが……。

 というのも、ダイヤモンドは本来、属性術なら土系統の理と相性のいい触媒なのだが、どういうわけかレッドダイヤになると火の属性との相性が良くなるようなのだ。この辺りは、まだ研究そのものが発展途上の為、どうしてそうなるのかとかはわかっていない。

 だが結果として、斧槍【頬白鮫】に籠められた属性術【火の力セルモクラスィア】の威力は、グラが己で使う属性術に迫る程に高まった。


「あっつッ!? おい、蒸気でこっちにまで被害がでてるぞッ!?」

「炎も消えてねえ!!」

「クソ、ただのマジックアイテムでこんな火力を出すなんて……ッ!?」

「相当いい魔石を使ってんだろうぜ! クソがよぉ! うおらぁああ!!」


 襲い掛かってきた剣士を【頬白鮫】の柄で受ける。金属製のポールと相手の剣の刀身がせめぎ合い、ギリギリと嫌な音が耳に響く。だが、前述の通り力比べなら僕に分がある。

 徐々に押し込んでいくと、剣士は焦るように飛び退く隙を探す。僕はそこで、再び斧頭に熱を発生させ、その副次的な効果として炎が生まれる。一瞬、それに気をとられた剣士の腹に蹴りを放ち、隙を生んだところで斬り伏せ――ああ、またか……。

 横から飛び込んできたマスを、石突で牽制してから、その反対側から攻撃を仕掛けていた盾持ちの盾に【頬白鮫】を叩きつける。

 メキメキという、けたたましい音をたてて、金属と木材で作られた盾はその役目を終え、ただの残骸と化す。あまりにあっさりと盾を壊されてしまった事に動揺した盾持ちは、しかしすぐに気を取り直したのか、即座に後退する。


「クソっ!! モンスター並みの力だぞ!」

「あのちっけぇ体のどこに、そんなパワーがあるってんだッ!?」

「パワーだけじゃねえ。あのハルバードのマジックアイテム、鉄も溶かしかねない熱をもっていやがる!」

「熱……? そうか! 【火の力】だ! あのハルバードに使われているのは、属性術の【火の力】で、その本質は熱の操作だ! 炎は、熱を高めた事で副次的に発生しているに過ぎない!」


 どうやら【幻の青金剛ホープ】の魔術師が、【頬白鮫】に使われている術式に思い至ったらしい。マジックアイテムの利点の一つは、術式を秘匿しつつ【魔術】を使える点だ。要は、相手に直前までこちらの手札を伏せられるという点で、使ったあとも【火の力】のようなものなら、しばらくはその効果を伏せられる。

 その利点が一つ、早々に失われたのは惜しい。まぁ、別にそれで不利になるという事はないが。

 ちなみに、ダイヤモンドは火に弱いのだが、それを【火の力】で抑制している。斧頭の刃の先の空気は、鉄をバターのように溶かせる程の熱を持っているが、斧頭自体は触っても火傷もしない常温を保っている。火の属性術だが、霜が付く程冷やす事もできる。

 僕は腰だめに斧槍を構えると、再び連中に向かって突撃する。斧頭の熱は、生半可な防具などバターのように切り裂く。そこに、斧槍本来の破壊力が加わるのだ。まともに防御など適わない。


「うおおおおおおッ!! 【カタラクタ】!!」


 上から下への流水の壁が現れる。これを、高温の斧槍で攻撃すると、やっぱり水蒸気爆発が起きて危ない。こいつらがダメージを受けるだけならいいのだが、それに巻き込まれるのはごめんだ……。

 仕方ないので攻撃を中断して、彼らと距離を取る。【幻の青金剛ホープ】の魔術師も、こっちの属性術が【火の力】だと知っていて、なんで水で防御なんてしようとするのか。相打ち狙い……?


 さて、どうしようか……。


 間に距離ができた事で、束の間の膠着状態が生まれる。だが、もしも僕がここで【僕は私エインセル】に手を伸ばそうものなら、彼らはすぐさま攻撃を再開するだろう。【死を想えメメントモリ】以外の幻術なら、杖を使わずに理を刻む事も容易なのだが、流石に【死を想えメメントモリ】は刻む理が膨大過ぎて、杖なしだと時間がかかりすぎる。

 それを【幻の青金剛ホープ】の連中が待ってくれるかというと……、まぁ、無理だろう。

 というか、そもそも僕、そんなに斧槍の扱いが上手くない。

 斧槍っていうのは、斧頭こそ斧の形はしているが、完全に槍の仲間であって斧とは違う。そもそも、斧槍のコンセプトは『便利な槍』であって、熟練者が使わないとあまり意味がない。あと、斧頭が重すぎて、体重の軽い僕の方が振り回されて扱いづらい。グラと違って、僕の装備って結構軽いんだよね。

 これなら、手斧じゃない戦斧とかの方が扱いやすい気がする。

 そんな事を考えていたら、冒険者たちが僕の後方を見て顔を青くし始めた。


「う――うわぁぁあああああああああああ!!」

「バカな!? エルナトがやられた!?」

「嘘だろ!? これもなんかの幻術なんだろ!?」


 僕もチラリとそちらを見れば、エルナトの首を抱えたグラが、静々とこちらに歩いてくるところだった。どうやらあっちの決着はついたらしい。

 しかしそうなると、この連中に勝ち目とか完全になくなっちゃったわけだ。


「そんな……っ!? そんなバカな! エルナトさぁん!!」


 まるでヒーローショーで、そのヒーローが怪人に倒されてしまった光景を目の当たりにした子供のような顔で、へたり込むマス。その表情に貼り付いている絶望は、もしいまここで【死を想えメメントモリ】を使ったら、その瞬間落命しそうな程だった。

 だが、マス以外の【幻の青金剛ホープ】の連中は、冷静な判断力から、自分たちの勝利条件が潰えた事に気付いたのだろう。即座に撤退を決断し、上階へと続く柱へと駆け寄ろうとしていた。

 僕が苦労して追い立てようとしていたというのに、グラが登場しただけで、あっさりと腰砕けになってそちらに向かうという点には、多少釈然としない思いは抱く。だがまぁ、好転した状況に文句を言うつもりはない。

 僕は正面に手のひらを掲げると、連中がに入るのを待つ。僕らが追いかけないのをいい事に、連中は逃走の速度をあげ、早々にそこへと足を踏み入れた。一拍おき、端ではなく十分に深入りするのを待ってから、僕は手を上へと掲げ、視線も真っ黒の天井へと向け――叫ぶ。


「スタァァァァゲイザァァァァアアアア!!」


 我がダンジョン二匹目の、階層ボスの名前を。



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