第69話 信用と苦渋と無駄足の夜
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「ハッハッハッハッハ」
短く息継ぎをしつつ、アタシは草原を走っていた。時刻は既に夜。盗賊やモンスターを警戒するなら、町の外に出るべきではない時間帯だ。それでも、アタシは足を止めない。
すると、案の定というべきか、眼前に大ネズミが現れた。ずんぐりとした姿のネズミは、アタシの姿を認めると、その齧歯を剥いて威嚇してから一気に駆け寄ってきた。遅めの晩御飯に預かるつもりらしい。
アタシは左右にステップを振んでヤツの狙いを分散させつつ、距離を詰める。ギリギリの間合いで、アタシは膝を折って力を溜める。それを隙と見たのか、大ネズミは飛び掛かってきた。
「――ッふ!」
スピードを殺す事なく、アタシは宙にその身を投げ出した。錐もみしつつ腰から剣を抜き、すれ違いざまに遠心力で大ネズミの延髄を斬りつける。小さな悲鳴を後目に、アタシは地面に着地した。
少し惜しいと思い、背後で倒れ伏した大ネズミを見やってから、アタシは再び駆けだした。魔石や齧歯に加え、草原のネズミの肉なら、場合によっては食す事もある。大ネズミの肉ともなれば、町で買い取りもでているだろう。
だが、それらの獲物を諦めてでも、いまのアタシには為さねばならない事があった。
ギルドで教えられた場所には、その情報通りに洞穴がぽっかりと口を開いていた。しかも運のいい事に、目的の人物はそのちょうどその洞窟の外で、野営を行っていたのだ。
「ラベージ!」
アタシは彼の名を呼んで、駆け寄っていく。
「ラスタ!? なにやってんだ、こんな時間にこんなところで!? っていうか、一人なのか!?」
驚愕に目を見開き、矢継ぎ早に質問を投げかけてくるラベージ。それくらい、一人で夜の草原を踏破する行動というのは、危険な行為なのだ。ましてアタシは女であり、小鬼や盗賊どもに見付かったら、貞操的にもかなり危ない。
「ラ、ラベージ! 助けて! このままじゃあいつら、ハリュー邸に攻め込んじゃう! 絶対死んじゃうよ!」
「なんだと!? どういう事だ!?」
にわかにラベージが焦燥を滲ませて、アタシの肩を掴んで、揺さぶるようにして問うてくる。彼をなんとか宥めつつ、アタシは事の経緯を説明する。
カイルがハリュー姉弟を逆恨みし、ラーチやランがそれに引っ張られて、【天剣】のエルナトが計画しているらしいハリュー邸の襲撃に加わるつもりらしい。このままでは、悪名高いハリュー姉弟の工房に乗り込んでしまう。
あの夜、杖すら持たずにアタシらを翻弄した幻術師たちが、入念に作りあげた工房に、無為無策で足を踏み入れる? そんなの、自殺とどう違うのか。
「――バッカどもが……ッ!」
事態の深刻さを察したラベージは、歯を食いしばると苦渋に染まった顔で吐き捨てた。あの夜、自らの立場も顧みずにアタシらを庇ってくれたというのに、その気遣いを無下にしてしまった。その事に、申し訳ない気持ちで付け加える。
「ラーチが言うには、四日後には行動を起こすらしいの! もう時間がないのよ! アタシの言葉なんて、もう全然聞いてくれないの! どころか、しつこく襲撃に加われって言ってくる始末で、アタシもうどうしたら……」
ラーチはしつこく、アタシにも襲撃に参加しろと言ってくる。その理由は、やはり不安があるのだろう。カイルからも、頭を下げて襲撃に加われば、仲間として迎え入れるだなんて伝言をもらったが、アタシは絶対に、もう二度とあの姉弟とは戦いたくないのだ。
ショーン・ハリューが瞬く間にアルタンに【白昼夢の小悪魔】として名を轟かせたのは、たった一人でウル・ロッドとの抗争に勝利せしめたからだ。考えれば、そのときから姉弟として動いていたのだろうが、数が一人増えた程度でなんの慰めになろう。
なにせ、その勝利の要因たる彼らの地下工房はいまなお健在で、ハリュー邸を襲撃する者の命を吸い続けているのだから。
そこにいま、仲間が足を踏み入れようとしている。止めなければ、彼らとは今生の別れになるだろう。そんな事にならぬよう、アタシはなりふり構わずラベージを頼った。
そんなアタシの、ムシのいい態度が気に食わない人もいる。実際、ラベージを頼ろうとその所在を訊ねた冒険者仲間からは、恥知らずと罵られた。その通りだ。
ギルドの対応もかなり冷淡なもので、既にパーティでない者の情報を明かすわけにはいかないの一点張りだった。それでもなんとか、いまラベージがいるであろう、攻略済みの小規模ダンジョンの場所は教えてもらえた。
そして、そう思う人が、ここにもいたようだ。
「ちょっと待ちな、ラベージ。まさかお前、そんな連中を助けるつもりじゃねえだろうな?」
見れば、ラベージと仲の良かった情報屋のチッチが、アタシを鋭い目で睨み付けていた。その問いかけに、ラベージは答えない。
「【
「……ッ!」
あのとき、ラベージが姉弟に口添えしてくれなければ、アタシらはさらなる報復を受けていただろう。それから、二度目はないと忠告されたが、まさか同じことをラベージも言われているとは思わなかったのだ。
「ラベージ。アタシら冒険者は、ヤクザな商売だからこそ、通さなきゃならない筋ってもんがある。特に、仲間を蔑ろにするようなヤツは、鼻つまみ者として爪弾きにされたっておかしくない」
チッチの相方のラダも、アタシに剣呑な目を向けつつラベージを説得する。その顔の傷が、アタシを威嚇しているようですらあった。
「仲間を裏切るようなヤツらは、仲間以外はもっと容易く裏切る。こいつらは徒党を組んでいたからそうはならなかったが、もしも個人だったら野良パしか組めなくなるような真似をしたんだよ。あんたも、それがわからないワケじゃないだろう?」
「…………」
「そんな道理が通らない事をあんたが容認したら、あんたも信用をなくしちまうよ。悪い事は言わない。もう見捨てちまいな」
ラダの言葉に、沈痛な面持ちで押し黙るラベージ。そんな彼に追い打ちを懸けるかのように、チッチが付け加える。
「ショーンさんは付き合いやすい人ではあるが、敵対すれば殺しも辞さない峻烈さもある人だ。味方にすれば心強いが、敵に回したら最後だってのは、お前もわかってんだろ。既に、二度目はないって忠告をされていて、なおもそいつらを庇うようなら、お前はそのショーン・ハリューを敵に回す事になるかも知れないんだぞ?」
「…………」
「そして、悪いが俺たちだって、そんな真似には付き合えねえ。信用をなくすってなぁ、そういう事だ。もしもそいつらに加担するなら、俺たちとの付き合いもこれまでだと覚悟しろよ?」
「わかってる……。わかってるが……ッ」
ラベージは、苦渋が滲む声を絞り出すが、チッチとラダの目は冷えたままだ。なおも懊悩したラベージは、辛そうな表情でアタシを見た。
そう。それは当然の判断だ。恩を仇で返したようなアタシらに、そこまで形振り構わず肩入れするなど、アタシから見てもナンセンスだ。まして、一度は己の立場も顧みずに庇ってくれている。
このうえさらに、ラベージが自分の信用を傷付けてまで、アタシらを助けるなど逆に不義理というものだ。
どうやらアタシの悪足搔きは、無駄足となるようだ……。
それがわかった途端、腰が抜けたようにへたり込んでしまった。
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