第45話 聖杯と宝石の商談〜悪巧み風味〜
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サリーさんの来訪によって、我が家へのアポイントメントが可能とみたのか、以後は続々と面会予約が舞い込んだ。アルタン在地の商人であれば、既定通り二月前から予定を組んでいる為、商人による飛び込みの面会依頼は「二月後で……」と言えば、大抵はシャットアウトできる。
だが、どうやら遠隔地の領地の商人のなかには、聖杯の件で言い含められている者も多いようで、しつこく食い下がった上に、二月後までアルタンに滞在するという剛の者まで現れつつあった。
とうとう、この断り文句も使えなくなり始めたかと、僕はそれでもなおシャットアウトが叶わなかった相手と面会しながら、内心嘆息していた。
「お久しぶりです、ジスカル様」
「はい。随分とご無沙汰をしてしまいました。いやはや、先の戦においては、お互いに随分と働きましたね」
「カベラ商業ギルドの情報には、本当に助けられました。改めて、御礼申し上げます」
「あはははは。勘弁してくださいよ。先の戦争における、影の立役者たるショーン様にお礼なんて言われてしまうと、まるで私こそが黒幕だったように聞こえるじゃないですか」
快活に笑うジスカルさんに、僕も心底から笑い声を漏らす。影の立役者というのはリップサービスなのだろうが、たしかにお互い八面六臂の活躍だったのを自負している。
対外的にも、僕らがサイタン郊外の戦いに従事したのは周知されているが、ジスカルさんたちカベラ商業ギルドにはさらに、ナベニポリス侵攻戦においてもそれなりの手柄を立てていたという事までも知られている。また、帝国=ベルトルッチ平野間をつなぐパティパティアトンネルを通したのも、僕らであると知れている。
そう考えると、ちょっとカベラ商業ギルドに対して情報を与えすぎているかとも思うが、変に隠す方が不審を招く。彼らの情報網とその精度を思えば、ある程度手の内を晒す隙を見せておいた方が、付き合う上では得策だろう。まぁ、以上の事はカベラだけでなく帝国も知っているしね。
「ショーン様、私の耳にはお二人が法国の国宝と同じものを作れるという
話の枕にしては、なかなかに強烈なアッパーを放ってくるものだ。いまはまだ、商談前の雑談タイムだろうに。
「参りましたね……。随分とお耳が早い。いや、まぁ、事実ですよ。残念ながら、聖杯に関しては完全にグラの手によるものですけどね。僕程度の属性術の習熟度では、まだまだ聖杯は作れません。また、それが法国の国宝と同じものであるのか否か、正確なところは僕らにもわかりません。聖杯の外観を訊ねた事はありませんしんね」
「ふむ……。我々が買い付ける事は可能でしょうか?」
「申し訳ありませんが、聖杯の優先度に関してはゲラッシ伯の専権事項となるかと。恐らく、王家や各選帝侯家、その後は第二王国内の有力貴族が優先されると思われます。また、製作期間は五年、製作費は……あー……、これも需要によって価格改定が必要になってくるかとは思いますが、まぁ金貨数万枚というところになるでしょう。商人であるカベラ商業ギルドの手元に届くのは、いつになる事やら……」
なにせ、王家に一つとしても選帝侯家が六家で、計三五年だ。さらに優先しなければならない貴族家を思えば、四〇年程度は覚悟してもらわねばならない。そこまで先々の予定が組まれているというのは多少ウンザリするが、その間の安定収入だと思えばやりがいはある。
柔和で親しみやすそうな顔をしながらも、さり気なくこちらの表情を読まんとする鋭い視線を送ってきながら、ジスカルさんは口調だけは心苦しそうなものにして問うてくる。
「ショーン様の事ですから、製作期間にはそれなりの冗長があるのでは? お値段に関してはかなり便宜を図れるかと思いますので、どうにかなりませんか? 金銭だけでない、現物や情報といった対価も用意できるものなら、なんでもご用意いたします。父の関係で、第二王国内の聖杯を手に入れられると、スティヴァーレ半島における当ギルドの立場がかなり向上するのですよ」
「うーん……」
いやまぁ、実をいえばグラの体調次第であるものの、聖杯七つくらいなら二、三ヶ月もあれば用意できる。余裕というのなら、三〇年以上の余裕がある。
ただ、これが周知のものとなると、我も我もと注文が殺到しかねない。それは勘弁してもらいたい。
忘れてはならないのは、聖杯の製作においてはあのグラをして、かなりの集中力を要し、製作の前後一日、できれば二日程度は休養が必要になる。というか、無理矢理にでも僕が休ませる。
あのグラを計五日も拘束するのだ。こちらはそれだけ、その他の事にグラが関われず、その分だけ作業が遅れてしまう。その対価は莫大なものになる。聖杯の値段は、ある意味では妥当な技術料といえるのだ。
ただ、カベラ商業ギルドの情報網とコネクションをフルに活用できる権利ともなると、かなり美味しい。正直、多少の無理なら押し通したくなってしまう好条件だ……。
「確約はしかねます。我々が伯爵家や第二王国の意向に背いて、聖杯を外国に流した形になるのも困ります。また、どうしたところで各選帝侯家より早くお渡しする事もできません。お父上の関係との事ですが、シカシカ大司教のあとでも、それだけの対価を支払う価値がおありですか? こちらとしても、作ってから『要らない』と言われては事ですから」
「そのような不義理は絶対にしませんよ。そうですね……。彼の大司教座下は、たしかに神聖教の
「なるほど……。あくまでも法国は、手元で確認できる聖杯を求めている、と?」
「ええ。彼らも、自国の国宝に関する話ですからね。かなり血眼になって、情報を洗っているようです。その最たるものが――」
「――実物、というわけですか……。つまり、聖杯の完成度や意匠にこだわりはない、と?」
「そうなります。ただ流石に、実物からおおいに劣る品であると、情報の精度としてやや問題であるかと。最低限、第二王国の貴族様方が、目の色を変えて求めるにたるだけの代物でなくば、我々にとってもハリュー家にとっても、あまりよろしくない事態に陥るでしょう」
ここだけは、柔和な表情を真剣なそれへと変えて忠告してくるジスカルさん。まぁたしかに、実物を有する法国が「こんなものは聖杯ではない。似ても似つかぬ偽物をありがたがるなど、第二王国貴族の見る目のなさよ……」などと吹聴されれば、我が家の今後の信頼や趨勢に関わってくる。恥をかかされたと思った第二王国内貴族の動向次第では、国を挙げた迫害を受けかねない。
まぁ、そうなればさっさと河岸を変えるだけだが、せっかくのアルタン、ウワタンの拠点が無駄になるのは惜しい。
カベラ商業ギルドとしても、今現在しっかりとした地盤を築けているスティヴァーレ半島にて、その情報収集能力に疑義が生じるというデメリットを抱える事となる。
特に、一度貶したあとで、真に聖杯にたる精度のガラス製品であると知れれば、吐いた唾を呑めない法国の人間の怒りが向く先は、カベラという事にもなりかねない。
事程左様に、どうせ渡すならきちんとした完成度の聖杯、という話になるわけだ。
まぁ、僕らからすればっここでキッパリ断ってしまった方が、リスクとしては低い。ただ、やはりカベラの情報網とコネを利用できるという話は、かなり魅力的だ。
「では、どこかで製作途中の聖杯を盗まれた事にしますか」
なのでここは、悪巧みである。なんだか、ジスカルさんと顔を合わせると、いつも悪巧みしている気がするな……。悪い男だぜ、ジスカルさん。
「なるほど。製作過程での移動を狙われた、という形ですね」
「ええ。引き渡しは、三、四個目以降にしましょう。早くても十年後になりますね」
「もう少し早くなりませんか?」
「無理ですよ。流石に最初の方は、伯爵家も油断なく目を光らせているでしょうし、僕らの癒着が露呈しかねません。製作期間にはたしかにそこそこの余裕はありますが、然りとて五年を一年に短縮する事は流石にできませんから」
「そうですか……。いえ、そうですね……」
流石にそれ以上の交渉は無理と判断したのか、ジスカルさんは肩をすくめて嘆息すると、この話は概ねその辺りを妥協点とする事と相成った。まぁ、かなり先の話なので、いまは先払いの報酬だけもらっておく事になる。
場合によっては、引き渡し前に僕らの正体が露呈して、カベラは大損するかも知れないが、そのときは諦めて欲しい。
「さて、それではお使いはここまでという事で! 本題に移りましょうか!」
パンと手を叩いたジスカルさんが、今度は外連味のない笑みを湛えてそう言う。僕も苦笑しつつ、懐から二つの小箱を取り出した。この中には、グラの用意したブルーダイヤとレッドダイヤがある。
今日、彼が我が家を訪問した理由も、先の戦における雑務を終えて、ようやくこの宝石の商いだろうと踏んでいた。随分とご執心だったからな。
ここまでの聖杯に関する諸々の交渉は、カベラ商業ギルドの上層部から頼まれた、それこそお使いだったわけだ。彼本来の要件は、端からこちらである。
「流石はショーン様。お話が早い!」
すぐさま小箱を手に取って、中身を検めるジスカルさん。
「どこへ売る予定なんです?」
「まずは第二王国の王家になるでしょうね。【
「なるほど」
要は、あえて実物を見せびらかす事で、需要を喚起するわけだ。まぁ、見せびらかすのは、フォーンさんとサリーさんが勝手にやるわけだが。
「その後の売り先は、ハリュー家の在庫次第ではあります。選帝侯家になるのか、別の国の王侯となるかは、状況次第ですね」
「流石はカベラ商業ギルド。王侯貴族を天秤にかけられるギルドなど、北大陸を見渡しても、あなた方だけでしょうね」
「いえいえ。ある程度の規模の商圏を抱えるギルドなら、多かれ少なかれそんなものですよ。むしろ、ショーン様やグラ様のお手前があってこそです。お二人こそ、各国の王侯貴族てんてこ舞いさせているのですよ。聖杯の件も含めて、ね」
その後も僕らは、言葉を変えただけの「越後屋、お主も悪よのう……」「いえいえ、お代官様こそ……」という問答を繰り返した。責任を擦り付け合ったともいう。
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