第45話 ジーガという男
ようやく、ジーガというらしい男の呼吸が整ってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「大丈夫ですか……?」
「はぁ……、はぁ……、ぅぐ、ぐっ」
荒い息を吐きながら、コクコクと頷く男性。
「ジーガさん、で良かったですか?」
「……っ、……」
またも無言で頷く男性。つーか喋れ。
僕は改めて、そのジーガという男性の姿を確認する。薄汚れてはいるものの、スラムの住民にしては割とまともな格好をしているおじさんだ。四十代か、もしかしたら三十代後半くらいかも知れない。服も、少々毛羽立っているものの、穴が開いていたり擦り切れていたりはしない。
うん、僕がこのスラムで見てきたなかでは、かなり真っ当な姿の人間だ。ついでにいうと、僕がこれまでこの世界で見てきた人間のなかで、とびっきりの変人だ。
「僕、ちょっといま厄介事に見舞われているんですけど、それに関する情報を求めてるんです」
「はぁ……、はぁ……、ウ、ウル・ロッドの話か……? それとも、アーベンの人攫いの話か……?」
おお、まともに返答がきた。内容よりもまず、ようやく会話という、コミニュケーションが確立できた事に、達成感を覚える。
「ウル・ロッドはマフィアでしたよね? アーベンの人攫いというのは初耳なのですが、それについても詳しく教えていただいても?」
「あ、ああ……」
ビクビクと怯えるジーガの説明によると、アーベンというのは奴隷商で、しかもかなりタチの悪い輩らしい。人攫いを担う下部組織を抱え、スラムでは蛇蝎のごとく忌み嫌われているようだ。
「それで、そんなウル・ロッドとアーベンとやらが、どうして僕なんかに構ってるんでしょうね?」
「本気で言ってんのか?」
信じられないものを見るような目を向けられているけれど、原因として考えられるのは、チンピラや人攫い連中を殺してしまった事くらいだ。だがそれは、無断でウチに侵入してきたからだし、自業自得というものだろう。
「本気で言ってんのか?」
まったく同じ文言で繰り返し問われる。心底信じられないという声音だ。
聞けば、元々は子飼いの人攫いが戻らなかった事で、アーベンが僕を敵視。ウル・ロッドに共闘を持ちかけた。その時点で、僕もウル・ロッドのチンピラを数人殺してしまっており、両者は面子にかけて僕を潰しにかかった。
だが、大人数に幹部候補を一人付けて僕のところに送り込んだというのに、それもほぼ全滅。現在はもう。アーベンよりもウル・ロッドの方が本気になっているとか。
そして、予想通り、僕らのダンジョンがある廃墟は、ウル・ロッドの配下の連中によって見張られており、どころか包囲して兵糧攻めを決行中。僕がでてくるのをいまかいまかと待っているらしい。
「原因は全部自分たちにあるのに、なんだって僕を敵視するんだろうね」
「どっちの顔にも、これでもかってくらい泥塗ってるからだろ」
「勝手に、泥水に顔面ダイブしただけでしょう?」
「そんな態度してる時点で、あんたが両者を舐めてるって証拠だろうぜ。俺だったら、たとえ親の前でだって、んな事言えやしねえ。どこからバレて、報復されるかわかったもんじゃねえからな」
「ふぅん……」
まぁ、そこらへんの事情はどうでもいいか。
どうやらウル・ロッドとアーベンというのは、予想以上にこのスラムでは根を張っている、大きな組織らしい。どうも、数百人から千人規模の敵が、彼らの支配下に入っているようだ。
だとすれば、それなりの人材が所属していてもおかしくはない。もしかすれば、中級冒険者並みの探索技能を持っている、冒険者崩れがいるかも知れないな。だとすると、迎撃が面倒になる可能性もある。
「だったら、罠の処理能力を高めておいた方がいいかも知れないな……」
「……ッ、……」
あ、せっかくまともに対話できるようになってたジーガが、真っ青な顔で震え出した。まぁでも、情報は十分に得られたか。より詳細な情報も欲しくはあるが、いつまでもここにとどまるのも下策だ。
いくらセイブンさんからの紹介だからといって、このジーガを全面的に信用できるかと言われれば、そんなわけはない。そうでなくても、あまり長居すれば僕の存在を聞き付けったウル・ロッドの連中が押し寄せてきかねない。
僕は情報の対価として、今日ギルドでもらった皮袋をそのままジーガに渡す。
「こ、こんなに……?」
「僕にとっては死活問題だからね。今後もお世話になるかも知れないし、その為の袖の下とでも思っておいて。それに、相場もわからないしね」
「勘弁してくれ……。……まさか、口止め料ってつもりじゃねえだろうな!?」
「いや、そんなつもりはなかったけど。でもまぁ、余った金額分くらいは、口を噤んでくれると嬉しいかな」
「い、言っとくが、ウル・ロッドやアーベンの使いがきたら、あんたがここにきた事や、連中の情報を買ってった事は言うからな! こっちも命が惜しいんだ!」
「うーん、まぁしょうがないか。できるだけでいいよ」
別に、彼に命をかけて僕に忠誠を誓え、なんて言った覚えはない。彼が保身を第一に考えるのは、当然の事だろう。むしろ、ここで情報は絶対に漏らさない、などと白々しい言葉を吐く方が、信用できない。
なるほど、セイブンさんの言うように、この男はそれなりには信頼できる人間らしい。
「ああ、それと、これお土産。いまさらだけど」
「ああ。って、アンジーの実を四個もッ!?」
へぇ、このオレンジリンゴ、そんな名前だったんだ。まぁ、肉よりは美味しいからという理由で選んだだけなので、名前は気にしてなかった。
「こんな高いもん、スラムで堂々と持って歩くな!」
「え、あ、うん」
いやまぁ、怒鳴られている理由はわかる。きっと、スラムで高級果実なんて持って歩いていたら、いろいろと危ないという忠告なのだろう。
ただ、僕の場合囮という役割もあるので、ある程度は意図的にやっているところがある。まぁ、流石に高級果実だというのは予想外だったが。
それでも、僕の身を案じてそう言ってくれているのだと思い、お礼を言って別れる事にした。
さて、ウル・ロッドとアーベンか……。どうするかな……。
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