第66話 商人のサガ
「畜産ですか? それは、この辺りでは誰もやっていないからでは?」
ライラの言は、商人としての観点からは正しい。まったく開発されていない地を拓けば、その商圏から得られる利益は独占できる。だが——
「それはたしかにそうだが、ならば当然の事ながら、誰も畜産に対するノウハウがないはずなんだ。当然、ショーン・ハリューも」
モンスターの存在は、人類社会に対して畜産業の偏在を余儀なくさせた。小規模な家禽の育成以外では、農耕用の牛馬が一家庭に一頭いるかいないかだろう。あとは、それこそ遊牧民のような方法か、損耗が前提の羊飼いくらいが関の山だ。
そうでなければ、家畜をモンスターから守れないのだ。羊飼いなど、原始の職業とまで呼ばれる程に古くからあるというのに、その形態はその原始の状態からほとんど進化もしていない有り様である。
加えて、国家単位で畜産に使えるリソースは、多くが軍馬を主とした、騎獣に割かれているという点も大きい。無論、基本的に軍馬は各騎士家で独自に維持するのが、各国ではスタンダードなやり方だ。だが、それはそれとして、国としても一定以上の軍馬を保有していなければ、反乱等に対応できない。
戦力における最重要の兵科は、やはり騎兵なのだから。
「ハリュー姉弟はこの町では他所者だそうです。元々帝国のような、畜産の盛んな土地から流れてきただけでは?」
ライラが当然の疑問を投げかけてくるが、私はそれに首を横に振る。
「その可能性が一番わかりやすかったのだが、残念ながら私の方で、ハリュー姉弟は漁村の出身だという情報を掴んでしまった。それは、なかなか確度の高いものだ。なにせ、ショーン・ハリューの口から語られた言葉らしいからね」
「ふむ。帝国に海はありませんし、それ以外で畜産の盛んな国となりますと……」
「スティヴァーレ半島のベルトルッチかな? だがあそこも、両端の国以外は海はないし、それ以外スティヴァーレ圏では海がある代わりに土地がない。クロージエン、第二王国では畜産が厳しい。精々パーリィ王国か、いっそ南大陸の可能性もあるが、どれも遠国すぎる」
スティヴァーレ半島のベルトルッチ平原出身という可能性はないでもない。あそこの諸都市国家のどこかなら、大規模に養鶏を行っている場所があってもおかしくはない。が、ベルトルッチ平原の中央部もまた、水資源は豊富なれど海からは遠いのだ。
なにせパティパティア山脈とフデニーニ山脈の麓にあるスティヴァーレの玄関口だ。古代からかなり開発されており、これから新しい事を始められる余地は少ない。
スティヴァーレ半島の方はというと、そのフデニーニ山脈が縦貫している為、畜産や農耕に使える土地が少ない。ベルトルッチ平原の食糧生産は、スティヴァーレ半島全体の食糧事情にも直結する。そういう意味でも、畜産に力を入れられる余裕はないのだ。
ベルトルッチ平原で海に面している両端は、ナベニポリスとジェノヴィア共和国だ。この二国の出身という可能性もあるが、その二国も二国で、近年は商業に力を入れるばかりで、農畜産業は等閑だ。
まぁ、東のナベニポリスは一度帝国に占領されているから、その影響もあるのだろう。
反対側のジェノヴィア共和国はまた事情が異なるが、こちらもまた畜産には注力できない事情がある。ナベニポリスとジェノヴィア共和国、どちらも海洋国家としての側面が強く、経済力と軍事力の促進に腐心しており、ジェノヴィアは軍艦を天罰海にまで、交易目的で送り出している程だ。地中海貿易においては、ジェノヴィアの存在感はかなり大きなものとなりつつある。
だがその分、国力のリソースは交易の為に割かれており、次に農業に割り振られている。とてもではないが、新たに畜産に手をだす余裕はない。
加えて、共和国はそれ以外の候補と比べて、アルタンからは遠いうえ、ニスティス大迷宮の問題も内包している。ベルトルッチ平原に属していても、ここはモンスターの数が他所よりも多いのだ。
「やはり、どこだとしても海がある国で、ショーン・ハリューの出身だと思える場所はないな。帝国だったら、話はスッキリとしたんだけれどね」
するとライラは、私の持ってきた情報の真偽に着目する。
「ショーン・ハリューが自らの口から、出身は漁村だと証言したのですか? その情報源はどの程度信用できるのでしょう?」
「ある程度信じていい。というか、我々に嘘を吐く理由のない相手だ。買収されているとも思えない。彼女にそこまで、ハリュー姉弟に肩入れする義理も事情もないだろう」
「となると……もっと遠方の出身という可能性はありませんか?」
ふむ。それはまた、考慮に値する可能性だ。我々カベラ商業ギルドの商圏が、いかに広大であろうとも、その外からやってきたという可能性は、否定できない。南大陸という可能性だって消えていない。
まぁ、肌や目の色では、あまりそちらの出身らしくはないが、髪の色は南大陸に多い黒だしね。
はたまた、もっと東の遠い遠い国からやってきたという可能性だって、ない事はないだろう。そうなれば、私の持ち得る情報では、推測もできない。
「――が、そうなると彼の言葉はどうなる?」
「言葉……、それはそうですね。たしかに、彼はヴィラモラ語を使っていました。フラウジッツやパーリィ、スティヴァーレ文化圏の出身という可能性はありますが……」
この辺りの文化は、基本的には古代の大帝国の文化を継承して、各々独自の発展を遂げてきた。言語もまた、その基底にあるのはそのルォタン文字である。当然、ある程度の親和性もあり、言語の習得はそこまで難しいものではない。
だがそれも、南大陸や東方にいくにつれて変わってくる。ルォタン語を起源としていない言語は、発音の根本からものが変わってくるのだ。
さらにいえば、スティヴァーレ語はともかく、パーリィ語の発音は、ルォタン語文化圏だとしても流石に異質だ。
「ショーン・ハリューの言葉遣いには、南や東の訛りを感じなかった。言語の習得ともなれば、それにかかる費用もそれなりに必要になるはず。スラムに住まなければならなかった姉弟に、他言語を習得する為の費用が捻出できたと思うかい?」
「厳しいでしょうね。しかし、そうなると彼らは、どこで魔力の理を学んだのでしょう? 魔力の理こそ、言語習得なぞよりよっぽど費用がかかるでしょう」
「なんでも、世捨て人のような師匠に習ったそうだよ。というより、彼らは故郷の漁村から、人買い紛いの方法で、その師匠の元に引き取られたんだとか。双子だったようだしね」
双子に対する偏見というのは、田舎にいく程強くなる。寂れた漁村なんかなら、厄介払いとばかりに売り払われても、おかしくはないだろう。
「なるほど。己の後継者を育てるという名目で、魔力の理を習得させたのですね。やはり、姉のグラ・ハリューが後継者なのでしょうか?」
「さて、そこまでの情報はないな。だが、その師匠も問題だ。いくら世捨て人とはいえ、情報がなさすぎる。山中の庵に住んでいたらしいが、姉弟の優秀さから見ても、無能な師匠ではなかったのだろう。なら名前くらい出てもおかしくはないのだが、私の知る限りそのような重要人物が失踪したという話は、ない」
「そうですね……。レッドダイヤ、畜産の知識、師匠の存在……。謎だらけですね」
「ああ」
表面上は、そこまで特異には聞こえないだろうが、少し突っ込んでみれば、不可解な点がボロボロとでてくる。それこそが逆に、真実を糊塗しているように思えた。
——……だとすれば、彼ら姉弟はどこから現れ、なにを隠している?
などという好奇心にも駆られるが、それは下衆の勘繰りというものだろう。他人の秘密に、ズケズケと踏み入って無闇に暴きたてるつもりはない。その秘密が、我々の利益とならない限りは。
「なんにしても、私にとってショーン・ハリューという少年は、非常に厄介な交渉相手だ。そのルーツが、さっぱり見えてこない。まるで、獣やモンスターと交渉しているような気分だよ」
宗教、文化、趣味嗜好。そういったものが、既存のものとはまるで違うようにすら感じられる。
「それは、ジスカル様にしては非常に珍しい事ですね。なるほど、弟の方が厄介だというのは、そういう意味ですか」
「うん、まぁ、そういう事だね」
自慢ではないが、私はいくつもの国を股にかけ、様々な人間と交渉をしてきた。相手の懐に入り込む手腕には、それなりの自負を有している。南大陸の異種族や異民族とも、時間さえかければ取引を成立させられる自信もある。
だがそれは、あくまでも私が彼らの考え方の基礎や来歴を把握しているからだ。事前情報を学び、タブーに触れないよう、細心の注意を払いつつ、彼らの好む方向に話せるからだ。
だが、ショーン・ハリューは私の有するどのデータにも合致しない。どころか、どこか鳥瞰的な目で我々を観察しているようですらあった。蔑視とは違うのだろうが、それはまるで、私が南大陸の未開の部族を眺めるような、後進の者に対する視線のようにも思えた。
しかも、ショーン・ハリュー自身はそれを隠そうとしていたのだ。おそらくは、我々に対して失礼になると考えての行動だろう。実際、ライラは彼から、そのような扱いを受けたとは思っていない。彼はその態度を、上手く隠し果せたといえる。
だがそれが逆に、彼の本心を透かしているようではないか。
そしてもしもそれが正しいのだとすれば、この周辺地域のルォタン文化圏をはるかにしのぐ、高度文明がどこかに存在するという事になる。しかし、もしもそんな地域があるというのなら、私の耳に入ってこないのは不自然極まるだろう。
異文化という事なら東はかなり独特な文化を形成しているらしいが、必ずしも我々よりも発展しているというわけではない。
そうなれば——……
「ジスカル様?」
考えすぎて、ついついチェンジリングや天界、魔界、果てはダンジョンという可能性までもを考慮してしまう程に煮詰まっていた私は、ライラの声でハッと現実に戻ってきた。どれくらい考え込んでいたのか、馬車は既に我々のとっている宿へと到着し、室内には無色の沈黙と、踊り疲れた影法師が佇んでいた。
「流石に荒唐無稽にすぎるか……」
苦笑する私を、ライラが不思議そうに眺めたが、なんでもないとばかりに肩をすくめる。結局のところ、ショーン・ハリューという、まるでポンといきなりその場に生まれ
まぁ、相手が妖精だろうが天魔であろうが、はたまたダンジョンの主であろうが、言葉が通じるなら関係ない。儲けになるならば交渉のテーブルに着くし、その儲けが続く限りにおいては、手を取り合うのもやぶさかではない。
「それが商人というものの、度し難いところさ……」
そう独り言ちてから私は、ライラの開けてくれた扉から外に出る。彼女の持つランタンの灯りで、私の影法師はぐるぐるんと車内を駆け巡る。
まるで私から逃げ出さんと欲するかのように。
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