第67話 「怪物が来るぞ」
●○●
セオさんにはまったく悪い事をしてしまった。これでは本当に、ダシに使っただけだ。あとで、彼の名誉挽回の策を講じないと、流石に申し訳が立たない。
なにせ、この体はバスガルのダンジョンコアを用いて作られた【
セオさんからすれば、まさしく竜に轢かれたようなものである。例えるなら、実力派お笑い芸人のセオさんのステージで僕は、笑気ガスをばら撒くような所業である。剣闘士たちの誇りに唾を吐き、彼らの職場を荒らしに荒らし、剣闘というショーをこれでもかと馬鹿にしていったようなものだ。
まったくもって無粋の極み。なればこそ、なんらかの形で償いはしなくてはならない。今回の一件で、乱暴者と恐れられるのは許容できるが、無粋と鼻を摘まれるのはごめんである。
「あ、右手で理を刻むんじゃなかったな……。いやまぁ、流石に初級とはいえ【属性術】を左手できちんと刻める自信は、まだあまりないんだけれど……」
そう独り言ちてから、僕は【声】を解除しつつ腰の手斧を抜き放つ。眼前のセオさんが、困惑と警戒の表情でこちらを窺ってくるが、先程の宣言通り試合に関しては、僕の負けでもう終わっているのだ。
そもそも、関係ない彼を相手に切った張ったの大立ち回りをしたところで、ヴィー・デラウェアとかいう、葡萄の品種名みたいな名前の組織を喜ばせるだけでちっとも嬉しくない。
「――づッ!!」
僕はハンマー投げの要領で手持ちの斧を振りかぶり、遠心力を乗せてから一番目立つ観覧席に投擲した。闘技場が用意した切れ味もへったくれもない、ほとんどただのハンマーである粗末な斧は、狙い通り一際豪奢に飾り立てられた観覧席の窓へと向かい、そこに張られていたであろう結界をパリンと割ってから、その席の天井の石板に深く突き立つ。
その下でパラパラと落ちる石片を被りながら、真っ青な顔でこちらを見ているデラウェアのお頭に人差し指を向けてから、僕はニヤリと嗤う。一拍遅れて、その周辺の観覧席から悲鳴があがり始めた。
この小さな体に秘められていた
「そういうわけで審判さん? 悪いけどこっちは予定が詰まっているんだ。さっさと勝敗をコールしてくれない?」
「……ッ!?」
僕の要請に、逡巡するおじさん。まぁ、この人も一応ヴィー・デラウェア側の人間だろうし、こんな結末は望んでいないだろう。もしかしたら、八百長紛いの結果は受け入れないよう、上司から言い含められているのかも知れない。
だが、観客席へ攻撃を仕掛けるようなヤツへのペナルティなど、即敗北以外に設けられていないだろう。剣闘士たちにとっては、それが一番の罰則になるのだろうから。
興行主に敵対的でない相手ならば、試合後に罰則を設けるという手立ても打てるのだろうが、そもそも僕らは敵同士。そしてたったいま、僕はヴィー・デラウェアに対して、宣戦布告をしたのだ。
ここで僕に対して、闘技場側が効果的な
こんな
命のやり取りを始めたのは、そっちなんだぞ? それでどうして、僕がお行儀良くスポーツだけして帰ると思っているのか。
結果……――
「――、――ッ! しょ、勝者、セオ・ブッコ!!」
苦虫をまとめて咀嚼するような顔で、審判がセオさんの勝利を宣言する。それ以外に、この状況を進める手段が敵の手元にはなかったのだ。
勝敗がついたというのに、本来そこにあるべき、王者の勝利を歓呼する声援は一切ない。当然だろう。こんな結末は興醒めもいいところだ。
観客にもセオさんにも、本当に申し訳ない限りだ。僕のような畑違いの存在を介入させたばっかりに、彼らの楽しみに水を差してしまったのだから。
ただ、文句はヴィー・デラウェアの連中に言って欲しい。僕をキャスティングしたのは彼らであり、僕という存在にフリーハンドを与えたのも彼らなのだ。その結果がどうなるかは、まぁ現状を見れば明々白々であろう。
さて、勝敗がついた以上、この闘技場における無法者たる僕を制圧しようと、あちこちからむくつけき男たちが駆け寄ってくる。当然ながら、ここから先はルール無用。
僕は両手を広げ、試合前の司会の真似をして観客席を見回す。
「さぁさぁ、お立ち会い!! 今宵はこのペテン師、ショーン・ハリューの取るに足らない幻術をご覧に入れましょう!! なお、心臓のお悪い方やお子様方は、命に関わりますので、目を閉じ、耳を塞いで、事が終わるまでその場で蹲っている事をお勧めいたします! それでは――」
僕はフリーになった両手に、理を刻む。【属性術】なんかよりも、よっぽど手に馴染む魔力の理。とはいえ、やはり一から理を起こすとなると時間はかかる。そして、必要もないのにいつもの癖で、僕は
「【開け、
ちょうど良いタイミングで二つの理を励起させるのも、
「……【
途端、僕を中心にぶわりと黒い霧が広がっていく。さらにその霧の中から、巷では【夜の軍勢】などと呼ばれている、骸骨騎士が現れる。
迫ってくる男たちを迎え撃つべく、骸骨騎士たちは駆け出した。まぁ、今回は魔石を撒いていないので全部幻なのだが、そこは別にどうでもいい。必要なのは、彼らが吐き出す夜の方なのだから。
案の定、男たちは骸骨騎士たちをあっさりと斬り伏せる。骸骨騎士たちは、倒れながらも
次から次へと現れる骸骨騎士が打ち倒されれる度に、それが繰り返される。
なお、勝手ではあるがセオさんにも、骸骨騎士の駆除をお願いしていた。正直、彼の手際が一番いいので、効率的に夜をばら撒く為にも、是非とも闘技場の王者の実力を見せてもらいたい。
「まぁ、まずはこんなものか」
程なくして、闘技場の周囲は宵の口といった昏さに包まれていた。このくらいが一番、人の不安を掻き立てるに丁度いい。
僕は会場中の視線が自分に集中しているのを感じながらも、両手を広げて宵闇を掻き集めるような動作をしてから、ハッキリと発声する。
「さぁさぁ、良い子たち? トイレは済ませたかな? 残念ながらここから朝まで、トイレ休憩はなしだ――さぁ! さぁさぁさぁさぁさぁさァ!! 来るぞ、来るぞ?
直後、僕の眼前に一つの、あるいは一体の、異物が誕生する。
それはまさに、異物としか言いようのない代物だった。既存のなにかと同列に扱うには、冗談のように薄っぺらい。なれど、陽炎や炎のような現象とも一線を画し、確実にそこにあるとわかる代物。
黒く、ユラユラと佇み、周囲を睥睨してはニヤニヤと笑っている。あえてそれを言葉で表現するなら『書き割りの怪物』だろうか。
まるで子供が画用紙にクレヨンで描いたかのように平面的で抽象的、写実性の欠片もない、されどその禍々しさとそれに対する畏怖だけは如実に伝わるようなデザイン。
黒く細長い胴は、頭との境がなく地面から真っ直ぐ伸びた柱か壁のような形状で、先端から真っ二つに裂ける口が上を向いている。その奥には、ギザギザと形の不揃いな歯が生え、口端のすぐ横からはギョロギョロと大きな目がいくつも胴体に並んでいる。
手なのか足なのか、細長い胴体のあちこちから生えるそれの指の数は、だいたい五本から七本。胴の左から三本、右から一本の手足がヒョロヒョロと伸び、まるで獲物でも求めるかのようにユラユラと振られている。
あえてそれを言葉で表現するなら、細長い、黒い、口の裂けた、目が胴までいくつもある狐、だろうか。子供の描く、もっとも醜悪な
「「「…………ッ」」」
幻影というにもお粗末な、立体映像にすら見えない平面的な怪物。しかし、それが逆にこれを見ている大人たちには、気持ち悪く写るはずだ。こんな存在は、現実にはあり得ない。だが、確実にそこにいるのだから。
大人になる前の子供の頃に感じていた、闇や未知に対して漠然と感じていた畏怖。それが形になったような存在に思えるだろう。
なお、この『書き割りの怪物』は【
なので――……
「――行け」
僕が放し飼いを宣言すると、『書き割りの怪物』は『待て』を解かれた小型犬のように、一気に場内を駆け回り始めた。戯れ合う玩具は、まずは僕の周囲に寄っていた男たち。
だが、この時点で観客たちのなかに危機感を覚えた者がいたのか、会場のあちこちから悲鳴があがり、混乱が生じ始めていた。まぁ、ある程度は仕方がない。
こちらとしては観客にまで襲い掛かるつもりはないが、それを言ったところで観覧席に斧をぶち込んだあとでは信用されまい。特段信用を得たいわけでもないので、混乱するに任せよう。
「さて、じゃあ次か」
僕はそう言って、再び会場に充満し始めていた夜をかき集め、もう一体の怪物を捏ね始める。ぶっちゃけ、会場警備の連中くらいなら『書き割りの怪物』一体でどうにでもなる気はするのだが、どうせならどこまでいけるか試したい。
この『書き割りの怪物』を作る条件は、【
「最終的に何体になるかな?」
二体目を解き放ちつつそう言った僕に、少し離れた場所から、セオさんの信じられないものを見るような視線が飛んできた気もするが、ここは気付かないフリをしておこう。どうせ、会場から人間が減ったら限界はすぐだろうし……。
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