第66話 王者

 ●○●


「始め!!」


 鋭い掛け声とともに、審判が腕を振り下ろす。それと同時に、俺は駆け出しながら腰の剣を抜き打った。

 相手は曲がりなりにも四級冒険者、ショーン・ハリュー。侮るつもりはない。

 石畳の地面を蹴り、一息に彼との距離を詰める。まさか俺が不意打ち紛いに先手を取るとは思っていなかったのか、ショーンは未だに腰の斧を抜いていない。

――いける。

 脳裏に警鐘が鳴っていたが、相手の間合いにいる以上はいつもの事だ。いつものように剣を振り、銀閃はいつものように相手へと吸い込まれ、そしていつもの感触を返してくる。

 いつもと違ったのは、相手が点だろう。


「――ッ!!」


 咄嗟に距離を取りつつ、相手からの反撃を警戒する。だが、そんな俺の焦燥を嘲笑うように、敵は動かなかった。何事もなく相手の間合いから抜け、俺は剣を構え直す。まるで、試合開始の合図が告げられる前のように。

 そこで俺は気付く。

 ショーンが笑っている。その真意が見えない、酷薄な笑み。子供らしくない、どこか達観したような、うすら寒い笑い方だ。

 いま俺が一撃を見舞って退避したというのに、まるで試合前と同じ表情で、同じく無防備な体勢で佇んでいる。本当に、何事もなかったかのように……。

 おいおい、マジかよ……。

 正直これには愕然とした。たしかに生命力の理で防御力を引き上げたり、吹き飛ばされにくくしたりはできる。だが、それは俺も同じなのだ。

 いまは使っていなかったとはいえ、こちらが攻撃力を引き上げて攻撃を行う事を想定していないわけがない。だがショーンは、俺の攻撃を受けた。ろくに防御姿勢すら取らずに。

 つまり、例えいまの攻撃に生命力の理が用いられていたとしても、問題ない態勢を整えていたという事だ。


「――だが!」


 俺は再度駆ける。生命力の理の弱点は、その燃費の悪さと命に直結するエネルギーを用いる点だ。つまり、相手はこの防御状態を長くは続けられない。

 一息に三度、剣を振る。流石に顔を打たれるのを厭うたのか、首から上を狙った一撃だけは手で弾かれた。代わりに、胴と腿を狙った二撃は通った。ただし、やはりショーンはたたらを踏む事もなければ、ヘラヘラとした薄気味悪い笑みも変わらない。

 今度は退かない。その場に留まりつつ、俺はショーンからの反撃を警戒しながらも剣を振り続ける。ドスドスと、鉄が肉を叩く鈍い音が響いていた。


「……ッ! ……ッ!? ……ッ!!」


 幾度打ち据えようと、ショーンは微動だにせず、表情も変わらない。反撃すらない。まるで街角で待ち合わせでもしているかのように、のほほんと佇んでいる。

 長すぎるッ!? こんなに長く、生命力の理を使い続けるなど、自殺行為だろうッ!?

 そんな事を思いつつも、俺は攻撃の手を緩めない。


「ッ!! ――っそ!! く――そぉッ!!」


――ふざけるなッ!? こんな――ここまでの差があってたまるものかッ!!

 特段、ショーン・ハリューという人物を侮ったつもりはない。たしかに、自分よりも短い期間で上級冒険者に至った少年というものに、不快感を覚えなかったわけではない。それが己の不甲斐なさを糊塗する為の、さもしい真似だとわかっていてもなお。

 だがそれでも、俺は『冒険者』には尊敬の念を持っている。同じく戦闘畑なれど、自分とは違う職種の、一種のプロフェッショナルだと。そんな界隈で、たしかな実績を残して成り上がった【ハリュー姉弟】という存在にも、俺には測れないなんらかの『強さ』があったのだろうと思っていた。

 だから俺は、この立ち会いにおいて、ショーンを侮る事はなかった。不意打ち紛いの初撃とて、どちらかといえばショーンを侮る観客たちに対する、デモンストレーションの意味合いの方が強かった。

 まぁ、防具が必要ないという、挑発紛いの発言に対する反感がなかった、とまでは言えないが……。

 冒険者の戦いというのは、闘技場での尋常な闘いとはまったく違うものだ。いつ不意打ちされるかもわからない場所で、常に敵に囲まれないよう、最悪の場合はきちんと敵から逃げ切れるように戦う。冒険者というのは、そういう戦士なのだ。

 ショーン・ハリューにそれができるかどうかまでは確信はなかった。だが、冒険者ギルドがそれすらもできないようなヤツを、四級になど据えないという自信はあった。だから俺は、初撃を仕掛けた。

 しかし、結果は俺の思い描いていたものとは、まるで違った。俺の方こそ子供扱い。頭部以外への攻撃には、防御すら取らない打たれっ放し。だというのに、ショーンにダメージらしいダメージは見られない。

 いつまで剛身術を使い続けているつもりだ!? そんな生命力の浪費をしといて、涼しい顔をしているのも訝しい。まさか、生命力の理を使っていないッ!? いや、そんなわけがない。いくらなんでも、俺の攻撃を生身で受け続けるなどという真似ができるわけがない。だが、だとすればこの硬さはなんだッ!?


「――ッ!?」


 俺の混乱が最高潮に達したところで、試合後初めてショーンに動きがあった。

 彼が右手を持ちあげようとしている。それを察知したところで俺は、無意識に攻撃の手を止めて彼から距離を取っていた。

 俺は、ビビってる、のか……? こんな、子供を相手に……?


「君、なかなか強いね?」


 ショーンは右手を持ち上げつつ、まるで天気の話でもするかのように朗らかな口調で対面の俺に話しかけてきた。そこで俺は、周囲が異様に静かな事に気付く。

 普段は、どんなチンケな試合であってもそれなりに野次や歓声が飛んでいる闘技場が、まるで葬儀のような静寂に包まれている。俺のあがった呼吸音が、やけにうるさく耳に届くのも当然だった。


「以前、僕らの家に侵入してきた上級冒険者に、勝るとも劣らない。個人的には、あんなコソ泥よりも君の方が優れていると評したいところだが、残念ながらアレの相手をしたのは姉の方でね。そこまで正確に品評できる程、その強さを知らないんだ」


 そう言って、これまでとは違う心底楽しそうな顔で、ケラケラと笑う少年。ショーンは持ちあげた右手の人差し指と中指の二本を立てると、そこに魔力の集中を意味する陽炎が立つ。

 止めなければいけない。相手は魔術師。魔術師を無力化する一番の手は、【魔術】を発動させる為の作業を妨害する事だ。理を刻み、詠唱をする。この二つのプロセスの内、いずれかを妨害すれば【魔術】は発動できない。

【魔導術】の確立以前は、そのプロセスが詠唱の一つだけで、その代わりに発動までの所要時間がクソ長かったそうだ。だから昔は、【魔術】なんぞは実戦ではまるで役に立たないとされていた。

 だが、いまはそうじゃない。ほんの数十秒、ものによっては数秒の作業で、【魔術】は驚くべき威力を発揮する。だから、動かないといけない。いま動かなければ、みすみす魔術師の土俵で戦うようなものだ。

――動け!! ――動けッ!!


「――……ッ!!」


 己の内心の叱咤に、しかし体は一向に応えてくれない。そしてついに、ショーンは理を刻み終えた。だが彼はそこで、軽く眉根を寄せて苦い表情を浮かべて、口を開く。

 そこに浮いている感情は、罪悪感……だろうか?


「だから、これからここで起こる事を、君にはあまり気に病まないで欲しいな。今回の一件、君は巻き込まれただけだからね。竜に轢かれたとでも思って、忘れてしまった方がいい」


 なにを言っている? そう思う間もなく、ショーンはそのまま詠唱を行い、二本の指を口元に寄せる。


「【ウォクス】。あ、あー。マイクテスマイクテス。……ぐわー、やーらーれーたー。降参だぁー!」


 は……? なにを言っている?

 俺は本気で、ショーンがなにを言っているのか、理解できなかった。


 ●○●


「やはり八百長、ですか……?」


 ミッフェルの声に、俺は渋面を浮かべて無言を貫いた。それは既に考慮していた、悪手の内の一つだったからだ。


「たしかに、あれだけの攻撃を受けてなお、無傷どころか一歩も動じないというのは驚きました。なるほど、防具を不要と断ずるだけの事はあります。あのセオの連撃を受けてなお無傷というのは、彼の【壁】を想起させるようなパフォーマンスですね」


 ミッフェルが重々しい口調で評する内容は、ショーンの実力に対する称賛だ。しかし、その厳しい表情と口調が物語る通り、それは俺たちにとって望ましい事を示さない。


「ここまで実力を見せ付けたうえでの八百長……。たしかに、観客からすれば不満が募るところでしょう……。不完全燃焼もいいところだ。場合によっては、有力者からヴィー・デラウェアに対して文句が付く可能性もあります。ですが……」

「……わかってる」


 思わずミッフェルの言葉を遮る。もしもこの、あからさまな八百長が旦那の手だというのなら、認識が甘いといわざるを得ない。たしかに、あのセオ・ブッコの攻撃を受けて、涼しい顔をしていたというのは、それなりに実力を示すだけの指標になり得るだろう。

 だが、それでも、負けは負けでしかないのだ。

 俺たちのような、バカで単純なチンピラにとって、強さというものはわかりやすさなのだ。それは、大なり小なり他も変わらないだろう。

 明確に違う見方ができるのは、本職の冒険者、剣闘士、その他戦闘を生業とする連中くらいのものだ。あとは目の肥えた、一部の好事家マニアが精々だろう。そういった連中以外の一般人からすれば、どうあれ『負け』を宣言してしまった旦那は、セオより弱いという認識になってしまう。

 それまでの立ち回りなどただの枝葉末節に過ぎず、勝敗という結果こそが重要なのだ。なんなら噂というものは脚色されて伝わるのが普通であり、聞く者もそれを念頭におくだろう。この戦闘を目の当たりにした者が、どれだけショーンを激賞したところで、聞く者にとっては『結果は結果』でしかない。


「もしもこの結末を、試合を見ていない者に伝えたならば『試合開始早々にセオがショーン・ハリューを攻め続け、防戦一方だったショーンが唐突に敗北を宣言した』という受け取り方になるでしょう。ですがそれでは……」

「わーってるってのッ!!」


 なおも苦言を呈すミッフェルに、思わず強い言葉を投げ付け、俺は眼下の闘技場を祈るように見詰め続ける。

 頼むぜ、旦那……? こんなしょっぱい終わり方じゃ、明日から俺たちゃ形無しだぜ? この町にいる間は、背中を丸めて生きてかなきゃならねえ。ヴィー・デラウェアどころか【親ハリュー姉弟派】の方が身の破滅だ。

 敵さんだって、この程度の事に対策を立ててねぇわけがねえ。頼むから、これだけで終わるんじゃねぇぞ!?

 闘技場の上で戸惑うセオと、同じく勝敗の判断をつけかねて困惑する審判。だが、当のショーンはもはやそちらになど興味はないとばかりに、顔をあげた。


「さぁて、それじゃあヴィー・デラウェア。君たちからの要請は、これにて完了だろう? 君たちからのこの、喜んで受けて立とうじゃないか!」


 嬉々として、旦那が告げる。その視線の先は、俺たちのいる観覧席の一つ。一際豪奢で大きな窓、一目で特等席とわかる一角だ。

 それまでの、どこか薄気味悪い笑みとは明確に違う、引き裂かれたような口に夜闇を写したかのような昏い瞳。

 思わず、背筋に悪寒が走る。それは俺だけじゃない。隣のミッフェルも、思わず肩を震わせた。観客たちも、これまでとは別の沈黙を強いられる。

 噴出した威圧感に、あのセオが思わず後退りするのが見てとれた。むしろ、間近であの悪魔の笑顔を見せつけられ、地獄の怨嗟のような威圧を受けるセオに、俺は同情を禁じ得なかった。


 ああ、やっぱり怖ぇ……ッ!


 だが、それはそれだ。俺は、思わず自分の口元が緩むのを感じていた。そう。そうだ……! これなのだッ!

 上手く言葉にできない、ショーン・ハリューという存在の凄味は、この人外じみた得体の知れなさにある! 単純な、強さ弱さで測りにくい、むしろ俺たちのそんな物差しで測る認識を誤らせて楽しむような、生ける錯視みてぇな存在。それがショーン・ハリューだ。


「勘違いするなよ? 僕がこんな茶番に付き合ってやったのは、お前らに屈したからじゃない。お前らのくだらない企みを、真正面から叩き潰す為に、こうして足を運んでやったんだ。お前らが僕に舐め腐った対応をしてくれたように、僕もお前らの顔面に泥をぶつけた。いまの状況は、ただそれだけだ。


――さぁ、お遊びは終わりだ! 


 ここからは、僕とお前らとの戦争だ! 獣同士が喰らい合うように、血腥ちなまぐさく、泥臭く、みっともなく、恥も外聞もなく殺し合おう!」


 いつの間にか、ミッフェルは無言だった。闘技場中が、固唾を飲んで旦那の次の行動を見守っている。

 俺はそれを、どこか歓喜をもって見ていられた。まだ、このときまでは……。


は譲ってやったんだ。これで文句を言うなよ?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る