第65話 試合の開始と終了

 ●○●


「いよいよか……」


 当人たちには不服だろうが、メインイベントであるショーン・ハリューとセオ・ブッコの試合を残す形で、前座のいくつかの試合が滞りなく終わった。

 俺は闘技場見物に関しちゃ素人だが、司会の言っていた通り、別段つまらない試合だとは思わなかった。剣闘士たちの技量はなかなかだったし、ウチの腕利き程度じゃあどうにもならないような、凄腕の闘士である事は見て取れた。

 だが、観客らが気もそぞろなせいか、どうにも剣闘士たちも気乗りしない様子であった。『無難にこなそう……』という心の声が聞こえる、そんな試合だった。

 まぁ、それも仕方がないだろうな。さりとて、旦那らの試合をプログラムの前におく事も出来なかったのだろう。それでは、前座以上に賭けが盛り上がらないだろうしな。


「セオが先に入場……? ……なるほど、徹底していますね……」

「そうなのか?」


 ミッフェルの声に反応して闘技場を見れば、身長一九〇程度の精悍な男が、大きな歓声に迎えられて入場してきたところだった。

 両脇を刈りあげたオレンジ色の短髪、茶褐色の三白眼、十二分に鍛え上げられた浅黒い肌の肉体は、身に着けている簡素な革鎧よりもよっぽど防御に役立ちそうだ。見えている肌にも、勲章とばかりに幾条もの傷痕が走っている。

 腰には鞘に収まったままの長剣。刃引きはされているらしいが、長年使い込まれた彼の愛刀である事は、この距離からでも見て取れる。

 なお、出場する剣闘士らが身に着ける武器防具などは、闘技場指定のものから選ばなくてはならない。そういった制限を一切省いて、本当に命懸けで闘う試合もあるそうだが、剣闘士の消耗が激しすぎて採算が取れないらしい。


「普通は挑戦者が先に入場します。あとから不人気の闘士を入場させて、せっかく盛り上がった会場に冷や水を浴びせては勿体ないですから。闘士自身のやる気も落ちます」

「なるほどな。徹底してるってのは、そういう事か」

「はい。会場のボルテージを落としてでも、ショーン・ハリューに恥をかかせようという魂胆ハラでしょう。王者の後に出てくる新顔の挑戦者なんて、観客だってどう出迎えていいかわかりませんから」

「まぁ、それはそうだわなぁ……」


 特段ショーン・ハリューに対して悪感情を抱いていない観客だって多いだろうが、そういう連中だって別に、セオより大きな歓声で出迎えてやる義理があるわけもない。まして悪感情がある人間にとっては……、ってところだ。

 どうしたって、この場に集った人間から見たショーン・ハリューの登場は、盛り上がりに欠ける、野次ばかりの存在というイメージで刻まれてしまう。

 ヴィー・デラウェアの連中にとって、一応保険はかけてはいても、旦那を晒し者にするのがこの試合の意義なのだろう。


「セオの方は、どう伝えられたんだろうな。随分と不機嫌そうだが」

「セオの仏頂面はいつもの事です。ですが、もし興行主側から『お前の方が冒険者としての階級は低いのだから、今日は挑戦者として先に入場しろ』などと言われていたなら、まぁ、面白くはないでしょうね」

「その分、試合での手加減がなくなるってか? 手加減なんて、そもそも必要ねぇだろうに……」

「ヴィー・デラウェア側からすれば、セオがショーン・ハリューに手加減しないかは、結構気掛かりだとは思いますよ。冒険者ならば【ハリュー姉弟】が二人とも魔術師であるという事まで知っていてもおかしくはありませんし、なにより子供ですからね。それを知ってなお、手加減するなと言われても……」

「なるほどな。王者ともなれば、スポンサーの意向にもある程度は反発できるだろうしな」


 そういう意味では、良くセオを引っ張り出せたものだとも思う。いくら下馬評ではセオ有利とはいえ、相手は四級の冒険者なのだ。上級冒険者ともなれば、ダンジョンの主との直接対決すら職掌の範囲内という、十分に化け物と呼んでいい連中だ。実際、旦那はバスガルの他にもダンジョンの主を討伐した経験がある。

 対するセオは、冒険者としてはようやくプロといった有り様で、ダンジョン探索の経験に至ってはほぼ皆無といっていい。まぁ、ここからだと一番近いのがゴルディスケイルの海中ダンジョンで、小規模ダンジョンなどが誕生しても交易の邪魔になりかねないとして、さっさと討伐されてしまうからな。

 相手を過小、もしくは過大評価すれば、セオ側からこの試合を拒否するのもあり得た事だ。


「ヴィー・デラウェア側も、その分大金を積んだのでしょう。あのショーン・ハリュー相手になまじな闘士を宛がっても仕方がありませんし、返り討ちになどされればそれこそ面目を潰します」

「ふむ……。なのに、セオが旦那に負けてもヴィー・デラウェアの面子は潰れないのか?」

「王者を用意したうえで負けたのであれば、興行主側の手落ちとは言えませんからね。むしろ、よくぞこのカードを組んでくれた、この試合を見れて良かったと、観客は喜んでくれるでしょう」

「まぁ、そうか……」


 やはり、セオを引っ張り出した時点で、向こうさんはどう転んでもいいような状況を整えられたのだ。こうして出場順で旦那に嫌がらせをしているのも、とどのつまり旦那がなにをしても問題ないと、自信を持っているからなのだろう。

 こりゃあ、八百長対策も立てていそうだな……。


「そんで、案の定か……」


 長々とセオの紹介を終えた司会が促すと、セオが登場したのと反対の入場口から一人の少年が入場してくる。ある程度は好意的な歓声はあるものの、やはりどうしても先程入場した際のセオとの差は明白。おまけに、運営側からのセオの扱いの悪さを、旦那に野次るような輩までいる始末だ。

 セオに向けられた声援が、純粋に彼への好意的なものばかりだったせいもあるが、実に侘しく品のない入場となってしまった。観客らが無意識に、旦那に対して悪印象を抱くよう誘導した、ヴィー・デラウェアの思惑通りだろうな。


「防具を身に着けてませんね……」

「そういえばそうだな」


 旦那は仕立てたばかりのような白いシャツにリボンタイ、そのうえに品のいいベストを着こみ、下はなまっちろい太腿も露な短パン姿。いまも投げかけられる野次にも、気にした様子などみせずアルカイックスマイルを湛えてゆっくりと歩く。

 そんな姿に、俺は寒気を覚える。ゾワゾワと、背筋を悪寒っつーブラシで撫であげられている気分だ。

 腰には申し訳程度に、闘技場が支給したであろう斧が提げられていたが、それ以外に武装らしい武装は一切ない。

 歓声が予想以上に小さかったのも、その場違いな服装のせいもあっただろう。その本性を知らなければ、いいとこのお坊ちゃんが迷い込んじまったのかと心配してしまうような格好だ。


「ええっと……。どういう事でしょう? 回避優先で軽装を選ぶ闘士もいますが、流石に無防備というのは……」

「セオも軽装だしな」

「はい。セオは攻撃を優先する為の軽装ですが、それでも最低限の防具は使います。実際、これまでもあわやというところはあったようです。回避優先だったとしても、最低限急所を守る防具くらいは着けるべきです」

「流石に司会もその点は気になったみてぇだな」


 ミッフェルと同じような内容を、会場中に聞こえるように質問する司会。それにショーンは、心底の窺えない柔らかい笑顔を浮かべたまま答えるが、残念ながらここからでは聞き取れない。

 だが、その言葉を聞いたであろう司会とセオが、呆気にとられたような顔をしている様子は見て取れた。どうやら、旦那が無防備で出てきたのは、ヴィー・デラウェア側の思惑とかではなく、旦那自身の意思らしい。

 ややあって、気を取り直した司会がマジックアイテムを口元に持っていき、会場中に伝える。


「え、えー……、ハリュー選手はどうやら、用意されていた防具がどれも臭かったから身に着けなかったそうです。たしかに使い回しの防具ですので、多少の匂いはあったかも知れません。こちらの手落ちですので、新品もご用意できますよ?」


 会場からはパラパラと失笑があがる。そして野次の声はよりいっそう大きくなった。それはそうだ。そんなバカげた理由で防具を着けないなど、闘技場での闘いを侮っていると言っているようなものだ。

 司会からの提案に、不要とばかりに旦那が首を左右に振ると、今度こそあちこちからブーイングがあがる。

 王者セオを相手に、臭いから防具など要らない? 新品を用意できるといっているのに、それすらも拒むというのは明確に『試合そのものを舐めている』と宣言しているようなものだ。


「ブーイングも当然ですね……。本当になにを考えているのか……」

「そのままじゃねえかな? セオごとき相手に防具なんて不要、闘技場の闘いなんざ、ダンジョンでの戦いと比べればお遊びみてぇなもんだ、って」

「…………」


 おやおや、こちらも随分と不服そうだ。まぁ、円形闘技場に立つ二人の体格差を目の当たりにすれば、大言壮語にも思えるだろう。実力の伴わないビッグマウスは、基本的に嫌われるからな。まして相手があのセオともなれば、余計癪に障るヤツは多かろう。

 これには流石に、セオも顔を顰めているようだしな。幸か不幸か、ヴィー・デラウェアの思惑である手加減無用は徹底されそうだ。


「まぁ、安っぽい鎧なんざなくても、世の中には生命力の理っつー便利なモンもある。敵から手渡された防具なんぞより、そっちのがよっぽど安心だろうさ」

「生命力の理はあまり長時間使えるものではありません。戦闘の要所要所で、攻守を補助する為に用いるのが基本です。濫用は命に関わります。ですから、いかに生命力の理の達人であろうと、防具不要なんてのは無謀です」

「彼の【壁】は、防具なんて不要らしいがな」

「あれは、彼の戦闘に防具の方が追い付かないせいで、戦闘終了時に防具が残っていないというだけです。実際【雷神の力帯メギンギョルド】の副リーダーは、ダンジョンに臨む際にはきちんと武装を整えるそうです。出てくる際にはズボン一丁という場合が多いというだけの話であって、当人が無防備を推奨しているわけではありいません」

「それはそれで、人間離れした逸話だがな……」


 まぁ、彼の【野獣の爪ベルセルクル】の逸話は、他の一般的な冒険者と比べるようなもんじゃない。それをいったら、旦那こそ余人と比べて語るべきではないのだが……。


「それにしてもミッフェル、お前随分と闘技場には詳しいみてえだな?」

「それは……、まぁ……」


 歯切れの悪い答えに、俺は肩をすくめて付け足す。


「いやまぁ、部下のプライベートに口出しするつもりはねえし、趣味っつーなら博打も剣闘見物も好きにすりゃいいがよ、お前だって一応ウチの幹部ではあるんだからな? 用心しろよ?」

「心得ております」


 そう言って慇懃に頭を下げるミッフェル。その態度から、どうやら普段闘技場を訪れる際には、そうとはわからぬ程度には変装を心掛けているらしい。


「始まるな」

「はい」


 司会が下がり、代わりに審判が二人の間に立つと、いよいよ会場は本日最高潮の盛り上がりに達する。怒号のような歓声と、施設そのものが揺れるような地団駄が轟き、弥がうえにも熱気が増していくのを肌で感じる。

 審判が二人のボディチェックを済ませ、さらにいくつかの注意事項を口頭で伝え、そして手を振り上げる。

 その動作を合図にして、それまでは隣に立つミッフェルの声すらも聞き取りづらくなっていた歓声が納まり、一転して会場は水を打ったかのような静けさに包まれた。

 それは嵐の前の静けさであり、いまにも破裂しそうな程に張りつめた水袋だ。それはあの審判の手が振り下ろされた瞬間、一気に決壊するのだ。


 そして間もなく、審判は試合開始を告げて手を振り下ろした。


 そこから始まったのは一方的な攻防。そう時間もかからずに勝敗もついた。審判はセオの勝利を宣言し、結果だけを見るなら予想通りだったといえる。

 そして勿論、ヴィー・デラウェアの面目は完全に潰され、その日を境にこの町から消える事となった。



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