第45話 カベラ商業ギルドのジスカル

 ●○●


「困ったね……」


 私は、床で平伏する男たちを見下ろしながら、部下からの報告書に目を通す。

 ここ港湾都市ウェルタンでも指折りの宿は、その値段に見合った清潔さだが、土足で使っている床に額を付けている男たちの姿は惨めなものであり、宿の様相には見合わぬ真似だ。それが本来、高いステータスとなるカベラ商業ギルド支部の幹部らの姿ともなれば、情けなさも一入である。

 私はため息を一つ吐くと、報告書の羊皮紙をテーブルのうえに戻す。それから、秘書のライラに声をかける。


「実際のところ、我々の看板にはどの程度傷が付いている?」

「はい。住民からの反感がかなり強いようです。当ギルドと取引をした行商人が、宿の宿泊を断られる程度には深刻です」

「うーん、末期だねぇ……」

「はい」


 淡々としたライラの口調に、ついつい苦笑が漏れる。笑っている場合ではないのだが、これが所謂『笑ってないとやっていられない』という心境なのだろう。


「町がダンジョンという脅威に対して一丸となっている状況で、強引な借金の取り立てを行い、信用を毀損。冒険者たちの攻略が始まった途端に、取るものもとりあえず町を捨てる、か……。ハハ、私も彼らに同意見だ。カベラ商業ギルドはクソだね」

「ジスカル様。少々お下品かと」

「おっと、失礼」


 ライラに指摘されて、おどけつつも床に額を擦り付けて震えている男たちに向き直る。この男たちこそ、いま述べた愚行を晒し、我らがカベラ商業ギルドの看板に泥を塗りたくってくれた者らである。


「さて、それでは君たちの弁明を聞こうか」


 彼らは連行されてきてからこれまで、一言も喋ってはいない。正確にいうなら、私が発言を許可しなかった。その許可がいま下りたのだが、誰も口を開こうとしない。


「カッスハラール・アヴォ・ノターリン。私は支部長であった君の言葉が聞きたいな?」

「は、はっ。ま、まずは此度の失態、ま、誠に申し訳なく——」

「私が君の謝罪が聞きたいと思ったのかい?」


 元支部長の言葉を遮ってそう言うと、その丸々とした背中がビクりと震え、再び無言のまま小刻みに振動し始める。

 祖父に公国群の侯爵がいるとはとても信じられないような怯えた様子に、しかし私は一切の同情をしない。当然だろう。これまでは、その血がもたらす人脈が彼の力になり、ギルドの力にもなっていた。だがここにきて、町一つ分の損失が生じ、利害の天秤の傾きは変わったのだ。しかも、今回の問題はそれだけにとどまらない。

 まして、いまのカッスハラールのノターリン家は、ノターリン侯爵家からは独立して平民になってから時間が経ちすぎている。繋がりという意味では、もうかなり薄い。


「ライラ。君の私見でいい。いま現在、アルタンの町における当ギルドの看板の価値はどれくらいだい?」

「無価値ですね。いえ、掲げる事でマイナスになるのですから、それ以下です。別の商会を一から作った方が、はるかに簡易かつ有益でしょう」

「なるほど」


 わかっていた事を再確認してから、カッスハラールを見る。ブルブルと、振動が大きくなっているが、率先して口を開こうという気概はないらしい。


「これが、君のやった事だ」


 それまでの、軽い口調がすっかりと消え失せ、平板な声が蹲る愚者へと降り注ぐ。


「手前味噌だが、我らカベラの看板は本来とても価値が高い」


 王冠領だけではない。第二王国、公国群、帝国と、手広く商売を広げ、そのすべての国で商業特権を有するギルドだ。その信用、そこから生まれる莫大な富は、公国群なら一国にも匹敵するだろう。


「——だが、そんな看板が、アルタンの町では無価値以下だ。君たちが端金を惜しむあまりに、ね」


 おっと、少し声に感情が乗ってしまった。

 私はこういう、支出に見合わぬ対価を支払うのが、大嫌いなのだ。金貨でカビの生えたパンを買ったような気分になる。

 カッスハラールだけでなく、その後ろに控えていたギルド支部の幹部連中までもが、ガタガタとうるさい音をたてて震えている。

 私は努めて穏やかな口調を作り、馬鹿に話しかける。商人として、いついかなるときでも、感情をコントロールできねば半人前だ。


「わかるだろう? 要は、君たちは我らがギルドの看板を切り売りして、己の懐を肥やそうとしたんだ。結果、すべての価値を吐きだしてしまった。どころか、負債を負ったに等しい」

「もももも、もうし、もし、もしもし、ももも——」


 またも無意味な謝罪を述べようとしたカッスハラールの言葉を、トンと軽く床を蹴る事で黙らせる。


「当ギルドにとって、君たちは既に盗賊に等しい。本来、売ってはならぬ看板を売って、着服したのだからね。いまは、君たちの命がアルタンの町において、どの程度の価値が残っているのか、未知数である為に手元に残している。だが、ハッキリと言えばいますぐ縊り殺してやりたいくらいには腹に据えかねているよ」


 いよいよ恐怖が極まったのか、ピタリと震えが止まり、幾人かは折角の高級宿の床を汚し、空気を汚染していた。誰が従業員に頼み、掃除代とチップを支払うと思っているのやら……。


「せいぜい、あの町で憂さ晴らしに使ってもらえるのを祈る事だ。ゲラッシ伯爵は、君たちに興味などないだろう。つまり、その首も無価値だ。執政官、代官はどうだろう? ライラ、わかるかい?」

「多少の憂さ晴らしにできそうではありますが、そこに価値が生まれるかと問われますと、……難しいかと」

「そうだよねぇ。もし本当に無価値だとわかれば、君たちは当ギルドからの復讐の対象になる。そうなったときは、生まれてきた事を後悔するだろう」


 暗に、その命にすら価値がないと言われた彼らは、しかしそこまで追い詰められてなお、反抗すら試みない。当然だろう。ここにいるライラもそうだが、室内には他にも数人の人影がある。彼らは当ギルドが集めた、選りすぐりの護衛だ。ライラもまた、元は上級の冒険者だった。

 潜伏場所を探りあてられ、ここまで引っ立てられてきた彼らに、反抗する度胸など残っていまい。彼らの護衛が、まだこの世の住人かはともかく、その武力の差は骨身に染みているはずだ。その程度の知能は、残っていると信じたい。


「こんな失地を回復しろだなんて、上も無茶を言うよね?」

「はい。無為無策でアルタンに戻ったところで、確実に失敗するでしょう」

「だよねぇ。別に、アルタンはそこまで重要な支部ではないけれど、事は信用問題だからね」


 アルタンの町は、スパイス街道においては、それなりに重要な町だ。とはいえ、流石に主要都市レベルの重要度ではない。

 ただ、帝国へ向かう道としては、山脈の峠越えの準備をする大事な町であり、逆に港湾都市ウェルタンに向かう場合は、過酷な峠越えをしたあとに一休みできる貴重な町でもある。

 また、そんな峠の治安維持においても、あそこに町があるというのは利点が大きい。おかげで峠の重要度の割に、あの辺りは意外と山賊夜盗の類が少ない。

 ただその治安は、アルタンからシタタン間の道はバスガルのダンジョンに向かう為、定期的に中級冒険者が利用していたという理由も大きい。今後は、それも減ってしまうのが予想され、それがどれだけ治安の悪化につながるのかは未知数だ。

 まぁ、それはアルタンの市場価値にも直結するだろうが、それらの変動する可能性を差し引いたところで、数万人の人口を有する魅力的な商圏である点に違いはないだろう。

 だが、カベラ商業ギルド全体で見れば、替えの利かない程重要な土地というわけでもない。同程度の収益をあげる支部などザラにあるうえ、目立った特産といえるものもない町だ。

 だからこそ、こんな無能な連中が配されていたのである。求められていたのは、目ざましい成果ではなく、無難な収益と情報網の一端としての役割だったのだ。

 だがいまは、その小さな町がカベラ商業ギルド全体の足枷となりつつある。放置すれば、確実にそうなるだろう。こんな小物どもの命を幾千万と積みあげようと、取り返しのつかない損害である。

 私の意見を、ライラが淡々と肯定する。


「はい。この事が周囲に知られ、カベラ全体の信用問題になりますと、損失は計り知れません。早急に解決する為、ジスカル様が派遣されたのも、無理からぬ事情かと」

「そう言われると、なんだか期待されているようで胸が躍るね。てっきり、兄上たちに厄介払いされたのかと心配していたんだ」

「まさか。ギルド長もジスカル様には期待しておいでです。故にこそ、こうしてギルドにとって重大な危機の解決をお任せされたのかと」


 ライラの淡々とした口調に、私は苦笑する。煽てるでなく、阿るでなく、あくまでも事実を述べているというその雰囲気には、ついつい口元が緩んでしまう。阿諛追従の輩などごまんと見てきたが、彼女はそんな連中とは一線を画す。


「さて、では件の姉弟について、話を聞こうか」


 愚者に対する追及など、もはやただの時間の無駄だ。問題は、あの町で一時期協力関係にあった魔術師の姉弟についてだ。この姉弟、資料を見るだけでも実に興味深い。



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