第28話 リュクルゴスの聖杯

「グラ!? どうしたの!?」


 地下へと戻ってきた僕の目に真っ先に飛び込んできたのは、憔悴しきったグラの姿だった。実験室の床に倒れ伏し、まるで死んだように微動だにしない姿は、非常に心臓に悪い。

 慌てて駆け寄った僕は、彼女の呼吸がない事に焦る。胸に耳を当てるも、鼓動も聞こえない。慌てて指で目を開いた瞬間、そのつぶらな瞳がギロリとこちらを見た。


「ひぇっ!?」

「ショーン……、なにをするのですか……?」


 気だるげだが、その声音に弱々しさはない。よく考えたら、ダンジョンコアなのだから呼吸も心音もなくて当然だったと、このときになって思い出した。やろうとすればできるし、僕なんかはついつい人間だった頃の感覚で再現しているのだが、グラにはそういう感覚はない。

 よく瓜二つで見分けが付かないといわれる僕ら姉弟を見分けるなら、その心音を聞けば一発だ。無論、ダンジョンコアにいるときに限る。依代は成体活動をしないと、普通に死んでしまうのだ。それも、結構苦しんで。


「それで、どうして床で寝てたの? ダンジョンコアには睡眠も要らないってのに」

「いえ、あれの製作に集中しすぎまして。流石に、少し心を落ち着けたかったのです」


 そう言ってグラは、机のうえを指し示した。そこには優勝カップのような形状の、緑色の器が鎮座していた。


「え? もしかして、もうできたの!?」


 僕はあまりの事態に取り乱して問いかける。そんな僕に、グラはゆっくりと頷いた。


「ええ。一つ作る為に、かなり集中力が必要でした。私も、感覚の鈍る依代では、恐らく再現できません。ダンジョンコア状態でも、しばらくは休息を取りたくなるくらいには、神経を酷使しますね……」

「なるほど。それが床で寝てた理由か……」


 地上の騒動は、まず緊急事態を告げる伝声管から始まった。それは当然、地下にだって繋がっている。だというのに、いつまで経ってもグラが上がってこないのは、ちょっとおかしいと思ったのだ。

 たぶん、その頃にはもう疲れて倒れていたか、あるいは聖杯製作の佳境だったのだろう。

 グラを抱き起しながら、机の聖杯を見る。不透明な緑色の盃。いまはまだなんの装飾もない、ありふれた調度品に見える。

 だがこれは、僕が生きていた現代の地球ですら、製作の難易度が非常に高い代物なのだ。現存するのは、大英博物館に蔵されている一品のみ。製造は後期ローマ時代であり、オーパーツとしてそれなりに名を馳せている代物だ。


 その名も、リュクルゴスの聖杯。


 リュクルゴスはギリシャ神話に登場する古代トラキアの王で、ディオニュソスを迫害し、神罰によって悲惨な目にあった人物だ。作者が、貴重すぎるこの器に、狂気の王を彫ったのは、それだけリュクルゴスに由来した教訓を後世まで残したかったという事なのだろう。

 僕はその器を手に持ち、別角度から光にかざす。すると、その器は――不透明の緑色から、赤へと変化する。そう、この聖杯は、光の角度によって緑から赤へとその色を変えるのだ。

 そう表現すると、どこかアレキサンドライトのようだが、リュクルゴスの聖杯の色が変わるのはSPR表面プラズモン共鳴によるもので、アレキサンドライト等の宝石に見られる光源の種類による、アレキサンドライト効果ともいう変色効果とは、原理も現象もまるで違う。


「す、すごいね……」


 もはや僕は、そう口にするのが精一杯だった。なにせこの聖杯、所謂ナノテクノロジーを駆使しない限り、偶然に頼らなければ生まれない代物なのだ。地球のリュクルゴスの聖杯も、古代ローマにはナノテクノロジーが存在したという見方よりも、偶然できたそれを加工したものであるという見方が主流だ。

 僕だって、いくらダンジョンの物作りが特殊で、やろうと思えばナノサイズから手を加える事が可能だとはいえ、本当に完成までこぎ着けられるかどうかは、かなり半信半疑だった。金銀コロイド粒子の粒形をコントロールする事自体は、ダンジョンコアにとってはそう難しくない。地球のテクノロジーにおいては、ここがかなりネックだったので、ダンジョンコアという要素が聖杯の再現においてブレイクスルー足り得ると考えたわけだ。

 だが、ド素人が聞きかじりのプラズモニクスを弄んだ結果、その煽りを食らって、グラが七転八倒する羽目に陥ってしまったわけだ。超すごいステンドグラス程度に思っていて、原理的にはそれで間違いはないのだが、その『超すごい』という部分の難易度が高いと、今回の事で痛感した。


「こんなにすぐに完成させるだなんて、思ってもみなかった……。精々一、二年、もしかしたら十年はかかるかも、くらいに思ってたよ……」

「ふふ。ショーンに原理を聞きかじりましたからね。あとは単に、試行錯誤を重ねるのみです。もう少し添加の仕方と、粒子の大きさをコントロールできたら、黄色を入れられそうなのですが……」


 疲れたように、それでいてどこか誇らしげに、グラはあれでもまだ満足していないと語る。だが、聖杯はもう既に十二分な完成度に達している。これがあれば、乗っ取り計画なんて成功したも同然だ。


「大丈夫。今日はもう、グラは休んでくれ。この聖杯に装飾を施し、スィーバ商会から領主、領主から国王へと献上させれば、ある程度の便宜は図ってもらえるはずだ」


 僕はリュクルゴスの聖杯のレプリカを、量産するつもりはない。たぶん、誰にも真似できない技術だし、それ故に利益になるとは思うが、やはり特別なものは数が少ないからこそ特別なのだ。

 それでも、いずれグラが満足のいく聖杯を作れたら、それはこのダンジョンの奥に安置しておこう。

 もしも、万が一、万々が一にも僕らが死んだら、きっとそれは、人類史に残る秘宝として取り扱われるだろう。勿論そんなつもりはないが、それでももしもの場合にも、僕らがいたという証を世界に残せるというのは、なんというか嬉しいものだ。


 いっそ、その聖杯には僕らの姿を残す事にしようか。精々、リュクルゴスのような負の教訓として語られないよう、心がけよう。



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