第72話 アルタン商人連の焦燥

 ●○●


「非常にマズい!!」


 開口一番言い放った、端的に過ぎる俺の言葉だったが、室内に揃っていた面々にその意味は過たず伝わったようだ。

 イシュマリア商会のアマーリエ、スィーバ商会のケチル、ブルネン商会のズィクタ、ウル・ロッドの使いっ走り、カベラ商業ギルドのシュマ。緊急かつ秘密裏に集められた為、室内にいるのはたったこれだけだ。

 全員が深刻そうな顔で俺とディエゴの二人を見ている。


「その顔は、既におおよその事態は把握しているようだな?」

「概ねその通りだが、さりとて情報に齟齬があっては事だ。この場は情報の共有を目的に設けられたもの。枝葉末節を省かず、一から情報を詳らかにしてくれ」


 厳めしい顔付きのズィクタが、口調だけは淡々と告げる。普段から商人の癖に愛想の乏しい奴だが、今日はその仏頂面も一段と険しいものになっている。


「ああ、そうだな。悪い……」


 少々バツの悪い思いで謝り、一つ咳払いをしてから改めて室内の面々を見回す。己の焦りを自覚し、軽く深呼吸してその焦燥を落ち着けるよう努め、俺はおもむろに話始めた。


「もう知っている者も多いだろうが、今日の昼の一件だ。【雷神の力帯メギンギョルド】のウサギ、ティコティコとグラ様の決闘とその結果……。そして、交わされた密約についてだ」


 といっても、彼女たちがなにを賭けて刃を交えたのかは、既に酒の肴としてあちこちの酒場で語られている。ここにいる連中の耳にも入っているだろう。

 話の起こりは、ティコティコとグラ様の間で、主人ショーン・ハリューの貞操をかけて、双方合意のうえでの決闘が執り行われてしまった。ティコティコの、色ボケ紛いの妄言と、グラ様の無知が最悪の形で合致してしまったが為に起きた、不幸な事故だった。

 とはいえ、その兆候がまったくなかったわけではない。事【魔術】においては万能と言っていい程の才能を見せるグラ様だが、それに反比例するように常識を知らず、特に色事にまつわる話においては同い年のガキ以下といえる。

 まぁ、さわり程度に二人の生い立ちを知っている身からすれば、それも仕方がないといえる。

 ただ、旦那のその歳に見合わぬ慎重さ、グラ様の弟に対する執着を思えば、こんな事は起こり得ないと油断していたのは否めない。また、ティコティコとて、【雷神の力帯メギンギョルド】の看板を背負っている以上は、一定のラインは越えてこないだろうという思いもあった。


「……シッケス殿からの話では、ティコティコは決闘の内容に対する満足感で、いまは旦那への興味が薄れているって話だ。だが、悪名高きあのウサギが、本当にそれだけで満足するか? 俺は正直半信半疑……、いや三信七疑くらいだな」

「さ、左様ですね。よしんば、ティコティコ様が約束を守る腹積もりだったとて、それはショーン様への執着が消えた事と等号で結ばれるお話ではございますまい。むしろ、今回の一件で譲歩している形である以上、もう一度同じような状況を整えられれば、最大の防壁であったグラ様ですら、口を挟めぬやも知れませぬ……」

「そうねぇ……。いくら弟好きのグラ様でも、一生ショーン様が妻帯もさせず、子も残さない、なんて事態は望んでいないでしょう。であればこそ、グラ様は己の認めた相手として件のウサギを指名してもおかしくはないわ」


 俺の台詞に頷きつつ、スィーバ商会のケチル、イシュマリア商会のアマーリエが所感を述べる。それらの意見には概ね同意だ。

 そこでズィクタが、感情の窺えぬ仏頂面のままに問うてくる。それは、この状況で起こり得る最悪の事態に対する質問だった。


「ジーガ殿、ともあれ最悪の事態は避けられたと見ていいのか? このタイミングで、ショーン様を南大陸に連れ去られる、などという事態は起きぬのだな?」

「ああ、その点は大丈夫だ。ただ、この件に関しちゃ、旦那のもう一人の相手候補もある。最終的にこの二人が手を組めば、あり得ねえ話じゃねえ。それが、俺たちにとって最悪の事態だ」


 深刻な声音で告げた俺の言葉に、誰一人反論もせずに黙りこくる。否定要素があるなら、できれば俺が聞きたいくらいだ。

 もう一人の相手候補というのは、当然シッケス殿である。ティコティコとシッケス殿の二人は、南大陸では有名なアマゾネスである、ウサギとダークエルフだ。アマゾネスというのは、女性のみ、もしくは極端に男性の少ない民族や、極端に女性優位の社会構造を有す民族をそう呼称する。南大陸北部やショーア半島、その先の天罰海沿岸などに住まう異教徒らの中には、そういう社会形態のアマゾネスはそこそこいるらしい。

 天罰海も、昔はハルモニア海と呼ばれ、海の名の由来となった異教の神が、その周辺のアマゾネスたちの祖先だといわれている。勿論、南大陸のウサギやダークエルフには、関りのない話だろう。アマゾネスという呼称の起源がそちらだというだけの話だ。


「シッケス殿やティコティコに対して、俺たちがもっとも恐れているのは、旦那を南大陸に連れ去られる事だ。その懸念が一番強いのは、ティコティコよりもむしろシッケス殿だろう。しかも彼女には、寿命というどうしようもないリミットが存在する。最悪の場合、形振り構わない可能性がある」

「ダークエルフは元々、男を自分たちの集落に連れ去ってから、が済めば叩き出すのが本来の風習ですものね。いまはショーン様にべったりな彼女も、先々はどうなるか……」


 アマーリエが頭痛を堪えるようにこめかみを押さえて、絞り出すように言葉を零す。正直、俺としちゃあ、それが一番怖い。旦那にとって、それがトラウマになって、女全体に対する忌避感にでもつながったらどうしてくれる?


「アマゾネスたちの厄介なところは、こっちの家に入るつもりなどサラサラないって点だ。彼女たちが生まれ育った社会形態からして、最悪でも子供だけは南大陸に連れていくだろう。それは結局、俺たちアルタンの商人連中の目的とは合致しない。ハリュー家の存続と、アルタンの産業の安定という目的とはな」

「そうですねぇ……。まして、ショーン様が南大陸に連れていかれるような事態に陥れば、それこそ事でしょう。最悪、戻ってきても二度と男性として機能しない程に、搾り取られるという可能性も……」


 普段は剽軽な表情を崩さないケチルが、深刻そうな表情で口にする。相手にウサギがいる以上、あり得ないとは言い切れないのが恐ろしい……。

 アマーリエもまた、眉間の皺を伸ばすように揉みほぐしつつ、疲れたような口調で言葉をつなぐ。


「やはりアマゾネスたちが問題なのは、そのやり口が強引になりかねない事ですわ。わたくしが一番懸念しているのは、ショーン様が彼女たちに操を食い散らされ、それが原因で女性そのものを忌避するような事態に陥りかねない点。最悪、末は男色家という事も……」


 アマーリエもまた、先程俺が想定した最悪の状況について提言する。俺も、そればかりが気掛かりなのだ。


「ショーン様の男性としての自尊心を維持し、安心して子を成していただく為にも、まずは経験を積ませる必要があるかと。とりわけ初めてというのは、男だろうと女だろうと深く心に刻まれるものです。良くも、悪くも……。もしよろしければ、当商会の腕利きの淑女を用意しましょう。口が堅く、後腐れのない、病気の心配も要らない、いい娘を派遣いたします。当然、お代など要りません」

「……流石に早すぎるだろう? ティコティコ由来の話であり、我が家にとっても重大事であるが故に黙っていたが――……旦那やグラ様は、まだ子を作れる体じゃねえ」

「男の子の場合、子種の用意ができていなくても、女体に対する興味というものはありますし、反応そのものもするそうですよ。また、貴族様の嫡流男子の初めての手解きは、高級娼館の淑女や未亡人が務める事も多いのですよ」


 そうなのか……。流石にそんな上流階級の性事情なんて知る由もない話だ。そういう事ならば、手解きはあった方がいいのか? 流石にこんな事、旦那には相談できねえだろう……。


「その話は一度、持ち帰らせてくれ。ザカリーとも話し合ったうえで、旦那に打診してみる。それとは別に、ここに集まった連中にだけ伝えておく」


 俺がそう前置きした事で、話の重要度を察してか一同が真剣な表情を浮かべる。それにコクリと頷き返してから、神妙な調子で口を開く。


「近々、旦那はサイタンにも屋敷を構える。アルタンやシタタン程大きな屋敷ではないだろうが、向こうに呼ばれる度に宿に泊まるのは不便だからな。だが当然、既にアルタンとシタタンで働いている使用人を、これ以上減らすわけにはいかねえ」

「……なるほど」


 真っ先にズィクタが頷き、考え込むように顎に手を当てて俯く。ケチルも同じ結論に至ったのか、眉間に皺を寄せて天井を仰いだ。こちらは、畑違いの話だからか、少々困っているらしい。それとは正反対に、本領発揮の機会だと満面の笑みを湛えているのはアマーリエだ。

 商人連中が三者三様の反応をしているところで、スッと手を挙げたのはカベラ商業ギルドの護衛であり、旦那とも交流のあるシュマだった。


「シュマ、お前たちの言ってる事、良くわかんない。ジスカルに伝える為に、もっとわかりやすく言って。お前は、ジスカルになにを求めてる?」


 これには流石に面食らった。いやまぁ、彼女がこういう性質たちであるという事は知っていたが、わざわざ濁した話の内容を詳らかにするというのは、なかなかどうして気恥ずかしい。

 それに、これを素直に口にするとなると、どうしたって少々下品な話になる。まるでこちらが、を求めた形になるのは、あまりいただけない。その情報が出回るだけで、ハリュー家という看板に泥が付きかねないのだ。

 カベラの御曹司なら、ここでの話をそのまま伝えれば、たぶん察するだろうし。最悪伝わらなくても、こちらとしては問題ない。


「まぁ、この場に集った者は一蓮托生も同然。ここでの話を口外など、絶対にいたしません。話の輪から外していては、カベラさんにもウル・ロッドさんにもおかしな心象を抱かれかねませんよ? ここはもう少し、明け透けにおっしゃっても良いのでは? 当然、この話を吹聴したり、情報を悪用するような輩がいれば、全員でとっちめればいいだけの事でしょう?」


 ケチルが気軽に言うが、俺たち全員が力を合わせたところで、カベラに太刀打ちなんぞできないだろうに……。いやまぁ、別に最初から話自体は通すつもりだったし、そうなれば情報の悪用など、カベラにとっては朝飯前の状況だったのだが。


「わかった。身も蓋もない言い方をしよう。新しい屋敷を建てるとなれば、当然そこで雇う人員が必要になる。できればそれを、ここにいる連中だけで用意したい」


 俺がそこまで言うと、シュマもウル・ロッドの使いっ走りも、ようやく得心を得たとばかりに頷いた。そして、やはりシュマがさらに明け透けに、俺の言葉を要約する。


「つまり、ショーン君のお嫁さん候補をみんなで揃えよう、って事でいい?」


 まぁ、当たらずともいえども遠からずといったところか。ハリュー家としては、別にその娘を側室や妾にする必要はない。旦那が気に入って、それなりに手解きができる女であれば、一夜限りの関係でもいいと考えている。

 まぁ、流石にそこまで言及する必要はないだろう。あの御曹司ならなにも言わずとも察するだろうし、その前提で美女を用意するだろう。

 だからこそ、俺は他の連中も含めて釘を刺しておく。


「わかってるだろうが、下手な奴は寄越すなよ? こっちには、幻術師である旦那がいるんだ。おかしな真似をするヤツには、その腹の内を洗いざらい吐いてもらってから、この世から消えてもらう。最悪、その後の付き合いにも関わると思って、細心の注意を払って人選をしてくれ」


 既に多くの人間の命を呑み込んだ【工房】を有す、ハリュー家の使用人である俺の言葉には、それなりの威圧感もあったようで、全員が一様に真剣な顔つきで頷いた。

 だがやはり、自分で口にした事で改めて認識したが、旦那の夜伽の相手として、美女の使用人を揃えるだなんて、他所に漏れたら非常に外聞が悪いな。ホント、頼むから口外なんぞしてくれるなよ?



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