第56話 フラグ
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屋敷に帰ってきた僕らは、さっさと夕食を終えて地下へと戻ると、グラの【
これがあるから、一月前の密入国時にも、
どうやら、帝国が再びナベニポリスを攻めようとしていると薄々ながら広まっているようで、教会も含むスティヴァーレ圏からの間諜が跋扈しているらしい。そんな連中に、ベアトリーチェという存在が帝国の手中にあると知れれば、当然その命を狙ってくるだろう。タチさんたちも、戦争前夜のゴタゴタで、ベアトリーチェばかりに【
ついでに、騎竜の存在も切り札になり得るからと、結構な謝礼と共に預けられている。
「では、行きましょうか」
「うん」
グラに促され、タルボ侯爵領の山肌にポッカリと開いた空洞へと、足を踏み入れる。出入り口は結構広く作られており、二、三〇人くらいが横列で入れる程だ。また、アーチ状の入り口が、まんま僕のイメージするトンネルといった風情で、あまりダンジョンらしさはない。
「確認ですが、このダンジョンは我々のダンジョンとは、接続しないんですよね?」
「うん。まぁ、その方がいろいろと便利だからね」
もしも、現在アルタンの町にある僕らのダンジョンが発見されても、僕らのダンジョン研究の一部が流用されたからだと、言い訳の材料にできる。そして、もしそれが認められず、我が家の地下工房がダンジョンと認定され、僕らがダンジョンの主と認定された場合にも、いい備えとなる。もしも【
「もしもそうなっても、帝国にとって生命緯線ともなり得る
「本当ですか? 正直、私の感覚からすれば、敵であるダンジョンを倒す為ならば、その程度のデメリットは無視するように思えるのですが……」
それは実にダンジョンらしい効率的な考え方だが、残念ながら人間というものは、非効率な生き物なのだ。歴史を紐解いてみれば、それは明々白々の事実である。
特に、政治と恋愛という要素が絡むと、途端に効率という概念を喪失するのが、人間という生き物の特徴である。
「あとはまぁ、ダンジョン一個くらい、生き残ろうが滅びようが、どうでもいいと思っている節もある」
「…………」
まぁ、グラからすれば面白くない話だよね。だが、それもまた事実だ。でなければ、小規模ダンジョンに、奴隷や囚人を押し込んで、魔石工場にするようなヤツは現れないだろう。
ダンジョン一つの討滅と、スパイス街道を通さない塩、香辛料、海産物や舶来品の輸送路、どちらを選ぶかと聞かれて、前者を優先できる帝国貴族は、まずいないだろう。例えそれが、神聖教的にも人類全体にとっても、正しい判断だったとしても、だ。
「まぁ、僕らにとっては悪い事ばかりではないさ。その政治的葛藤の隙に、最低限のDPを確保してから、逃げ果せればいいだけの話だ」
「そうですね……。そのような状況を想定するのは、業腹ではありますが」
「それはそう。とはいえ、非常時の逃走ルートは、決めていて悪いものではないさ。まぁ、これは本当に、予想され得る最悪中の最悪の状況だ。起こらなければそれに越した事はない、できる事なら壁に掛けられたままの銃であるべき、ただの安全策さ」
「壁に掛けられたままのジュウ……?」
やべ。伝わらない表現すぎた。そもそも、物語に対して『チェーホフの銃』に類似する概念が生まれる程、創作も発達していないうえ、根本的な問題として、銃そのものが存在していない世界でする例え話ではなかった。
要は、無駄になった転ばぬ先の杖でいいというだけの話だ。こんな事を言うと、いずれ使わなければならないフラグのように思えるが、本当の本当に、このダンジョンに逃げ込むような事態は、起きなければそれが最善である。
「まぁ、それはおいておいて、今日はどの辺りまで掘り進めようか?」
説明が面倒になった為、誤魔化して話を進めようとするが、グラのあのジト目を見るに、今夜の寝床では『チェーホフの銃』に関する説明を求められるだろうな……。
ただ、グラもグラで、余計な話に時間を費やすつもりはなかったらしく、話題そのものには乗ってくれた。
「昨日と同程度で良いのでは? 別に急ぐ必要もありませんし、馬鹿正直に我々の能力を、帝国とやらに詳らかにしてやる必要もありません。我々としては片手間に、帝国にとっては十分な早さで、それがベストでしょう」
「うん。まぁ、了解了解」
これまで通りの方針に、僕は頷きつつダンジョンを拡張し始める。
そんなこんなで、帝国における
たしかに、もしも開通前からこの坑道の存在がバレれば、スティヴァーレ側の警戒は強まるだろう。それに、僕らが単身乗り込んでダンジョンを拡張し、排出された土砂も基本的には保管庫行きの為、大規模土木工事をしていると察知される危険は、格段に低いからこそ、という理由もあるだろう。
万が一出入り口が相手に察知され、待ち構えられたら、帝国軍はテルモピュライのペルシア軍になり果てる。隘路に押し込まれた軍勢というものは、羽を捥がれたチキンも同然なのだから。
それでも、近隣村に冒険者に扮した【暗がりの手】の人が張り込み、一日おきくらいに確認には来ているらしい。やはり、進捗そのものは気になるようだ。まぁ、当然か。
「タチさんたちは、細心の注意を払って、今回のナベニ侵攻に備えているみたいだね」
ベアトリーチェやラプターの件も、このトンネルの件も、ギリギリまで敵方に露見しないよう、最大限気を遣っているのが窺える。その為の資金投入にも躊躇がなく、僕らの懐的にはありがたい。
……まぁ、そのお金をすぐに散財してしまうのも、困りものだが……。
「当然の事では? 慢心して躓くなど、愚者の所業です。万全を期してなお、石橋を叩いて渡るような者でなければ、ショーンが手を貸す意味すら失せるというものです」
「そこまでは言わないけどね……」
でもまぁ、本気で物事に取り組む人間は好きだ。それがたとえ、僕らのダンジョンを攻略しようとする、冒険者であろうとも。
「でもねぇ、いるんだよねぇ。調子に乗って、すべてを台無しにしちゃうようなヤツって……」
「帝国にそのような愚者がいるのであれば、もはや容赦などする必要はないでしょう。愚者ごと、帝国を踏み潰してしまえばよろしい」
「ははは。まぁ、そうならない事を祈ろう」
そこからは、雑談を交わしつつダンジョンを適度にを拡張していった。
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