第75話 姉
●○●
「どうしたんだいグラ?」
僕は問いかける。なんだかいつもと違って、音がガビガビしている気がする。喉を痛めたのか、耳を痛めたのかは定かではないが、まぁ些末な事だ。
「やめなさいショーン」
グラがなにを言っているのか、わからない。だがその表情は真剣というよりも深刻で、彼女にもなにか差し引きならない事情がありそうだ。
ただ、だからといってエネルギー補給を遮られるのは困る。いくら食事をしたからとて、即座に生命力が回復するわけではないのだ。ここでモタモタしていたら、蛍光双子を追うのも、他の人間たちを狩るのも遅れてしまう。
「どうしたんだい、グラ?」
僕は繰り返し問うた。これは元々、彼女が求めた事だ。僕に、化け物としての道を歩めと、そう乞うたのは君じゃないか……ッ。
「これは、僕らにとっては普通の事だろう? ただの食事さ」
そう。人食いの化け物にとっては、人を殺して食らうのは普通の事だ。実際、これまで殺してきた人間はグラが食らってきたはずだ。そこに、なんの感慨も抱かず。ただ淡々と。
だから僕も、普通に食らうだけだ。
「……違います」
静かな声音で、しかしキッパリと僕の言葉を否定する姉。その目には、常は僕にしか伝わらない感情が、いまはありありと浮かんでいる。それは、決意の光だ。
「いまのあなたは違う。普通ではありませんし、自棄になって、これまで背負ってきたなにもかもを投げ出そうとしています」
「…………」
反論の言葉は浮かばない。僕はいま、自暴自棄だ。それは酷く自覚している。気分爽快であるのも、それは責任感からの解放というよりかは、どうにでもなれというやけっぱちの感が強い。
だが、それでいいのではないかとも思う。これまで僕が、無駄に抱え込んできたあれこれなんて、さっさと捨ててしまえば良かったものだ。
人間の感性。人間としての倫理観。人間であるという自己認識。
化け物として生きるならば、それらはただの足枷でしかない。僕はモンスターとして生まれ変わり、生きる為には人を食らわねばならないのだから、そんなものをいつまでも持っていては、いずれ致命的な失態を犯していただろう。
餓死するとは思わない。最近は生活が安定して、そんな惧れが減ったから忘れがちだが、僕は餓死するような状態に陥れば、後先など考えず人を殺し、食らっていただろう。実際いま、そうしようとしているように。
結局、こんなものは遅いか早いかでしかなかった。必要な通過儀礼でしかなかったのだ。僕は間違っていないはずだ。
グラに掴まれた腕を振り払う。
「僕は、必要な行為をしようとしているだけだ! これは、僕らが生きる為に必要な事だろう!?」
ザリザリと、まるでノイズでも混じっているような声で叫ぶ。対するグラもまた、その相貌に切迫感を滲ませて言い募る。
「たしかに我々にとって、食人は生存に必要な行為です。当たり前の事です。だからこそそれは、自暴自棄になって行うものでも、ましてなにかの代償行為でもないのです」
その言葉の意味はわかる。食事というものは、当たり前だからこそ決意をしてするものでも、自棄になってするものでもない。ともすれば、そこになんの感慨も抱かずに、流れ作業のようにしてしまう程に、それは日常であるべき行為なのだ。
だが、僕はそれにも一応の反論の言葉を持っている。
「人間には、食べ物の好き嫌いというものがある。僕はたまたま、人間という食物が苦手なダンジョンコアだったんだよ……」
実際、動物やモンスター、下水からDPを得る事には、僕は躊躇しない。単なる食べ物の好き嫌いというのなら、食事の際にある程度の葛藤があっておかしくはないのではないか。
だが、僕のそんな誰に対してしているのかもわからない言い訳は、どうやらグラには届かなかったらしい。彼女は僕から数歩離れると、散らばった鎧のプレートを光の糸に変えてから、再度編み上げる。
その形は、以前彼女が使っていた突撃槍であった。……そういえば、あれは僕がお願いして作ってもらったんだった。
「来なさい、ショーン。丁度いい機会ですから、あなたのその認識をここで正しておきましょう。我々が、いかな化け物であるのか。化け物の道のなんたるかを」
グラが漆黒の突撃槍を構え、挑発するように僕を手招きする。その言動の意味するところは、まるで僕らが干戈を交えると示唆しているようではないか。どうして、僕がグラと戦わなければならない? もはや意味がわからない。
僕は、なんの為に、誰の為に――ッ
「ゥアァァァアアアアアアアアアア!!」
ぐちゃぐちゃになった心理状態で、僕は竜の左腕を振りかぶる。頭の隅で鳴る理性の警鐘は、濁流となった自己嫌悪に押し流されてしまう。
「嗚呼ァぁぁあアアアぁああァアアあああアアあ!!」
どうして!? すべては君の為に、僕は、僕は……ッ!! この世界でただ一人、僕が守りたいのは君だけなのに。僕に残された、最後の家族を――
――違う。これは、そんな押しつけがましい、汚らわしい善意で糊塗していいような思いではない。家族に対する親愛の情であり、僕は決して見返りを求めているわけじゃないんだ。
――うるさい!! 見返りを求めてなにが悪い!? それしか寄る辺がないからこそ、そこに依存してしまうのは仕方がないだろう! 僕にとっての全ての選択肢は、グラなのにッ!!
「ショーン!」
錯綜する思考を払うような、まるでガラスを打ち鳴らすかのような清廉な声音に、そちらを見る。
「私を見なさい。語りかけるべきは、あなた自身ではなく、あなたの半身であるこの私です。自問自答せず、自己完結せず、自家撞着せず、自縄自縛せず、すべてを私に曝け出しなさい」
決然とした表情のグラが、厳しい口調で僕を諭す。だが僕は、その言葉に戸惑う。
こんな激情を、グラにぶつけていいものか。こんなドロドロとした内面を、グラに見せてもいいものか。
だが、なおも躊躇する僕にグラは言い放つ。
「さぁ、その腕を私に振り下ろしなさい。すべてを私にぶつけなさい」
最後にダメ押しとばかりに、炭化ホウ素で盾を作り出して構えるとグラは、ふっとその端正な顔に笑みを浮かべる。姉としての優しさと、戦士としての強さが共生した、力強い笑顔を。
「――さぁ、姉弟喧嘩をしましょう」
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