五章 バカンスと海中ダンジョン
第0話 それぞれの思惑
〈0〉
「陛下。どうやらゲラッシ伯爵領での騒動、終息した模様にございます」
「ふむ。存外、小さな火だったの」
「は。件の姉弟、やはりなかなかの強者のようにございます」
「そうか……」
物憂げな陛下の
この二家によって、我らヴェルヴェルデ王家はベルヴェルデ大公領に封じられ、忌々しくも人によっては我らをヴェルヴェルデ大公などと呼ぶ始末である。
「面白うないの……」
「は。王冠領にて騒動が起これば、ドゥーラやラクラの連中の耳目も、向こうを向いたのですが……」
「そうじゃの。帝国や公国群も、存外情けない。陰謀のやり方すら知らぬと見える」
「おっしゃられる通りかと」
まったくもってその通り。たかだか二人の姉弟相手に、どうして二〇〇〇もの兵を集めて失敗するのか、逆に問いたい程の無様である。ここで陛下が法国の名を出さなかったのは、どこに教会の目や耳があるかわかったものではないからだ。
我が国にも広く教会をおいている彼の国は、非常に耳聡い。下手に敵対せぬ方が、陛下の大望にとっては無難であろう。無論、法国の連中に思うところがないではないが、無暗矢鱈に敵を増やすのは悪手だろう。
「……オタカル・ネーメトよ」
「は」
陛下に名を呼ばれ、私は顔を伏せたままに返事をする。
「そのままでは話しづらい。面を上げよ」
「されど」
「構わぬ。面を上げよ」
「は」
お許しを経て、私は陛下を直に拝す。ミドモ・ドラッツェン・ティベリウス・フォン・ヴェルヴェルデ陛下は、六〇も半ばを過ぎるとはとても思えない、まるで壮年のような若々しい気概を、そのご尊顔に浮かべて私に語り掛ける。
「件の姉弟とやら、なんとかして我らが掌中に入れられぬか?」
「不可能ではないかと。ただ、どうやらその姉弟、アルタンの町にかなり大規模な工房を用意しているようで、それの放棄と、我らが大公領における再建を約さねばならぬかと……」
「ふぅむ……。しかし、その工房とやらは領主にすらも開示されず、無理に押し通る際の損害を思えば、なかなか手を出せぬという話ではなかったか?」
「は。左様にございますれば、十分に不穏分子となりかねませぬ」
「面倒な。その工房とやらを我らの管理下におく形ではいかんのか?」
「さて。野の魔術師がそれで納得するかは……」
在野の魔術師というものは、束縛をなにより厭う。不自由に見合った報酬さえ提示すれば黙る者も多いのだが、そうでない者も一定数存在する。そういった輩を、無理にこちらの思惑に乗せようとすれば、軋轢はより一層深くなる。
下手な騒動になるのは、非常によろしくない。もしも、陛下が件の姉弟を勧誘し、袖にされたなどという噂が出回れば、ヴェルヴェルデ王家の名に瑕が付く惧れもある。
「しかし、まごまごと拱手しておれば、ドゥーラやラクラの連中に奪われかねぬ人材じゃ。それは惜しかろう?」
「おっしゃられる通りかと」
私がその御言葉を肯定したところ、陛下は鷹揚に頷かれた。どうやら、なんとしても彼の姉弟を、幕営に迎えるおつもりのようだ。たしかに、敵に渡すには惜しく、危険な者らである。味方に引き込めるなら、それに越した事はあるまい。
できるだけ穏便な形で、こちらに与するよう誘導せねばなるまい。関係の悪化をなにより悪手として交渉をするよう、使いにも重々言い含めて配すしかあるまい。さて、どうなるやら……。
●○●
「なんと! 失敗したと申すか!?」
私は心苦しい思いで、主であるタルボ侯爵、ウーディ様の驚愕する声を立ったまま浴びる。ウーディ様に任じられた、サイタン、シタタンの後方を扼すアルタンでの跳梁は、手もなく失敗した。
「アルタンの町での混乱は、陰謀の第一段階であったはず。それが本当に失敗したと?」
「は。面目次第もございません」
「むぅ……」
なんの言い訳もせず、ただただ頭を垂れた私に対し、ウーディー様もそれ以上は言及せずに押し黙った。ここからさらに手を加え、陰謀を再開する事すら無理な状況であると、理解していただけたようだ。
「どうやら、件の【白昼夢の悪魔】と【陽炎の天使】と呼ばれる姉弟の実力を見誤っていたようでございます」
「左様か。ただの上級冒険者扱いでは、その実力を見誤るか?」
「は」
四級冒険者は、たしかに個人の武勇に秀で、戦力的に単なる民兵、雑兵と侮る事はできない。それでも、その戦力はあくまでも局所戦における優位にしかならない。一騎当千の兵が、一人で十~一〇〇人を相手にしているだけならば、戦術的にはそこまで気を払わねばならぬ脅威ではない。無論、そのまま陣を食い破られればその限りではないが、十分に手当てをすれば問題ないレベルの敵というだけだ。
だが、三級冒険者は違う。その戦闘能力は確実に戦術レベルに達し、既に人類という枠から一歩か二歩、逸脱している存在である。二級、一級など語るに及ばず。
「ふぅむ……。いっそ、神聖教に密告してみるか?」
「【悪魔】と【天使】に関してでしょうか?」
「然り」
頷くウーディー様に、私は渋い顔で無言しか返せない。その提案は、ただの悪手にしか思えなかったからだ。だが、それをそのまま口にするのは、流石に憚られた。
やったところで、姉弟に対する嫌がらせ程度にはなるだろうが、それ以上にもそれ以下にもならない。いまさらあの町を陰謀に組み込むには、騒動が大きくなり過ぎた。王冠領、第二王国、そして当然ゲラッシ伯が、手の者の暗躍を許すまい。
そうなれば、単にあの姉弟に我ら帝国の悪印象を植え付けるだけにしかならないだろう。戦になった際、あの姉弟が参戦してくる可能性は、できるだけ低くしておきたい。
それよりも――……
「ウーディー様。今回の一件、そもそもは外部の者が我らの間諜に持ちかけた話。万事つつがなく事が運んだ際にも、いろいろと無理のある話でした」
「うむ。それはたしかに……。されど、帝国内における香辛料の値段は、既に看過し難い程にまで暴騰しておる。それにつられて、十分に蓄えのある塩までもが高騰し始めている。この塩の高騰は、早急になんとかせねばならんのだ」
そう。我らがネイデール帝国において、必要なのは海なのだ。香辛料に関しては、この際第二王国経由のままでも構わない。スパイスなど、最悪なくても構わないのだ。
問題は――塩である。
塩は戦略物資だ。だが海のない帝国にとって、塩の値段は他国の胸三寸。幸い、第二王国、公国群、連合王国、パーリィ王国と、売り手には困っていない。だが、それらの国すべてが手を結べば、帝国は早々に塩がなくなり、国としての態を維持できなくなるだろう。
なんとしても製塩地を手に入れなければ、我が国は戦略物資を他国に握られ、影響を受けすぎる状況を甘受し続けなければならない。
「ですがウーディー様、ナベニポリスは相変わらず塩を作っておりません。彼の地を得たとて、すぐさま塩の供給が安定するわけではありませんよ?」
「されど、沿岸地域を確保すれば、安堵から塩の高騰も落ち着こう。ナベニポリスがそうしているように、輸入するという手もある。その事実だけで、とりあえずは問題はないのだ」
「それは、そうではありますが……」
一時、我らが帝国はナベニ共和国を陥落せしめ、念願だった沿岸地域を版図に治めた。だが、あにはからんや、ナベニポリスやその周辺の
あれは我が国にとっても、痛恨事だった。海があるのなら、当然塩を作っているものだと思っていたのだ。そして、帝国民に製塩のノウハウを持つ者はいない。
手を拱いている内に、連絡経路の乏しさから反乱と独立を許し、結局帝国は海を失い、香辛料の入手先を一国に絞らざるを得なくなった。このせいで、帝国は第二王国にかなり気を遣っている。
ナベニポリスが独立からこっち、帝国に入ってくる香辛料の量は目減りし、当然値段は反比例して高騰した。もしも第二王国とまで関係が悪化すれば、そのときこそ塩の値段は同重量の金をも超えるだろう。
いまは、その香辛料の交易路であるスパイス街道の半ばにあるアルタンの町に、ダンジョンが出現した影響で、香辛料の値段は往時の五倍以上にもなっている有り様だ。既にダンジョンは討伐されたというのに、その情報で香辛料の値段が落ち着くのは、まだ先の事になる……。
おまけに塩だ……。侯のおっしゃられる通り、備蓄は十分にあるのだが、帝国の民にとっては、スパイス街道に陰りありとなれば、どうしたって塩の入手先を心配してしまう。それが、いまの値段に反映されている。
再三になるが、備蓄そのものは問題がないのだ。こんな事にならないよう、帝国もウーディー様も、平時から塩の備蓄は欠かさない。城の蔵には、いますぐ戦が起こったとて、塩だけは問題のない量が蓄えられているのだ。
だが、塩の高騰の原因は、現実的な物資の不足ではなく、単にそれを危惧する人々の思いに他ならない。こればかりは、ウーディー様のおっしゃられる通り、実際にナベニポリスを手に入れたという情報でもなくば、すぐさま落ち着きはすまい。
「やはり、再びナベニポリスを併呑しようとするのは、リスクばかりでメリットが小さく思えます。初めから、クロージエン公国群の、製塩地を有する領邦を狙った方が良いのではありませんか?」
私は、幾分僭越なところまで踏み込み、ウーディー様に提案する。このような戦略面にまで、単なる家臣でしかない私が口出しをするのは、流石に踏み込み過ぎだろう。
ただ、これ以上ナベニポリスに固執すれば、第二王国やスティヴァーレ圏に対する火種になりかねない。
私の踏み込み過ぎた言葉に、しかしウーディー様は僅かに方眉を吊り上げた程度で、注意はしなかった。恐らくは侯も、その点は重々承知のうえだったのだろう。だが、タルボ侯爵は帝国における南方の雄。逆に言えば、帝国の北を覆う公国群は、ウーディー様の管轄ではないのだ。
だが――……
「彼のアルタンの町にはいま、三級冒険者たる【壁】のセイブンがおります。彼の者は、モンスターの殲滅能力が低いという理由で三級とされておりますが、純粋な戦闘能力だけを見れば、ダンジョンの主と一対一で戦える程の実力者。十分に二級、あるいは一級相当の戦力といえるでしょう」
「ワシも【壁】については聞き及んでおる。消耗戦に弱いともな」
「ダンジョンの主相手でもなければ、彼の【壁】は剣と盾で戦うそうです。それでも雑兵など鎧袖一触であり、【壁】も然程には消耗しないとか。消耗戦に弱いというのは、あくまでもダンジョンにおける階層ボスやダンジョンの主を相手にした際に、という事情のようです。殲滅能力に関しても、モンスターを一網打尽にする術がないとの事で、雑魚が集まった程度で手こずるという話ではありません」
「ふむ……。そうか……」
ウーディー様の顔色が
「それに加え、【
「…………」
懊悩するように黙するウーディー様。私の言葉に納得はしているのだろうが、それでもなにか、ナベニポリスに固執する意味があるのだろう。これ以上食い下がるのは、いくらなんでも越権にも程がある。私は口を噤み、タルボ侯たるウーディー様の判断を待った。
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